「童貞が目覚める時」ファウスト 小二郎さんの映画レビュー(感想・評価)
童貞が目覚める時
願いを叶えるために悪魔と契約する話、ファウスト。
真面目な学者(でも童貞)が主人公。
世の中のあらゆる事が知りたいと、寝食を忘れて学問に励んでいる。
そこにやってきた金貸し(悪魔の化身)が、「真面目ばっかりじゃダメですぜ、いろんな世界を見せてあげましょう」と、学者を連れ廻す。
(連れ廻す先が、おネエちゃんイッパイの所だったり、居酒屋だったり…)
学者はそこで出会ったおネエちゃんに一目惚れ。
金貸しに、あの娘をどうにかしたいと頼み込む。
学者は念願かなっておネエちゃんと一夜を共にするが…。
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ゲーテ原作では、この後も、主人公と悪魔は行動を共にし、第二部へと続いていく。
映画では、この二人が仲間割れ。
「お前、あんまり助けてくれなかったじゃん、役に立ってねえよ」と
主人公は、悪魔をボコボコに殴って岩の中に埋めてしまう。
原作のカナメ「悪魔と人間の契約」は、あっけなく崩れてしまう。
確かに、この映画の悪魔は、間抜けで、役に立ってる感が薄い。
悪魔の力では無く、「何でも知りたい、ヤってみたい」という主人公の欲求が、様々な事を起したと言って良い。
(「ヤってみたい」の結果、娘さんは可哀想なことになるのだが、そのことに主人公はあまり頓着しないのであった。)
悪魔よ、童貞にちょっかいかけて目覚めさせずに、そっとしておけば良かったのになあ。
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映画の中に、現代の科学技術、クローンや核開発(間欠泉の所など)を思わせるシーンが出てくる。
「知」への欲求に従い、科学技術を進歩させてきた現代。開発した先に様々な問題を抱えている。
そんな現代の姿は、後先考えずに「何でも知りたい、ヤりたい」で暴走する童貞と、同じようなものだという、ソクーロフのそこはかとない皮肉に溢れた映画だった。
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すんごくゲージュツ的な映画なんだろうけども(19世紀の絵画を思わせるとか書いた方が正解なんだろうが)、
諸星大二郎先生の漫画みたいな「人造人間」とか、
実相寺監督みたいな「目眩坂」とか、
ただただ、ヒロインが美しいところとか(この美しさは迫力あるなあ)、
変態のストーカーにしか見えない主人公とか、
あと、菅井きんみたいなオバちゃんとか、
そういった描写が、すんごく面白かったなあと思う。
(ソクーロフ監督ファンの方、何だか下世話な感想になっちゃってすみません。)