英雄の証明(2011) : 映画評論・批評
2012年2月21日更新
2012年2月25日より丸の内ルーブルほかにてロードショー
シェイクスピア悲劇を大胆に翻案したレイフ・ファインズの“荒々しい”デビュー作
庶民のデモ隊が政治への不満を叫び、機動隊と激しく衝突する。そんな21世紀の世相を反映した光景で幕を開ける本作は、何とシェイクスピア悲劇の映画化だ。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー出身のレイフ・ファインズが、数あるシェイクスピア作品の中でもマイナーな「コリオレイナス」を大胆にも現代劇に翻案し、監督デビューを飾った。
ファインズがなぜシェイクスピア悲劇の現代版を作ったのか、理由は定かではない。政治の混迷や民主主義の危機、英雄の定義といったテーマに、タイムリーな意義を見出したからか。それとも予算的制約ゆえか。いずれにせよ完成したのは、政治闘争あり、骨肉の情あり、壮絶な復讐劇ありの波瀾万丈の人間ドラマだ。シェイクスピア特有の詩的なセリフを生かしつつ、ロケットランチャーが炸裂する市街戦(ロケ地はセルビア!)などのバトル・アクションを映像化。「ハート・ロッカー」のバリー・アクロイドが撮影監督だけに、手持ちカメラの荒々しい臨場感は過剰なほどだ。
そんなファインズの娯楽性豊かな志向に驚く半面、ドラマが粗削りな印象は否めない。とりわけローマの大将軍マーシアス(ファインズ)と、もうひとりの猛将オーフィディアス(ジェラルド・バトラー)の宿命的な敵対関係がいまひとつ盛り上がらないのは残念。しかし俳優兼監督の作品とあって、キャストの充実は特筆ものだ。バネッサ・レッドグレーブ扮する老女が復讐鬼と化した我が子の前に跪き、“英雄の証明”ならぬ“母なる証明”を突きつけるシーンは、本作の最も情感高まるハイライトである。
(高橋諭治)