危険なメソッドのレビュー・感想・評価
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退屈ではなかったけど楽しめませんでした
評価もまあまあ、出演者はマイケル・ファスベンダー、ビゴ・モーテンセン、キーラ・ナイトレイという事で観ました
始まってすぐのキーラ・ナイトレイのひく程の演技の女優魂で、マイケル・ファスベンダーとビゴ・モーテンセンはすっかりかすんでしまいました
実際にいた心理学者のユングとフロイトの師弟関係、そこにザビーナを絡めてのストーリー
ユングとフロイトの名前は知ってる程度で、心理学も全く詳しくなく、史実だからかストーリーは淡々としてるように思いました
恵まれている環境にいるユングへの嫉妬、そのユングに心理学者として否定されて遠ざけてしまうフロイト
夫に愛人がいるのを知っているのに夫を支え続けて、妊娠や生まれたのが女の子という事で、夫から捨てられないか心配する妻
そういう人間関係は退屈せず観れましたが、全体的に観終わって何も心に残らずで、強いて言うならユングのお家がとってもきれいなロケーションだったくらいです
「クラッシュ」でもそうだったし、クローネンバーグ監督作品は私には合わないようです
どうして危険なメソッドかということが少しだけわかるような気がする
ユンギャンの授業を受けて紹介された映画であった。ユンギャンの自由さ、第6感的な感覚とフロイトとの対比から、ユンギャンのすばらしさ・魅力を思っていたが、この映画を見ると、フロイトが言うように、ユングが下品な男と思っても仕方ないのかなという印象を持った。当時の世界情勢、人種差別、宗教的な影響もありいろんな背景を加味して、心理としての在り方を語るのは難しいと思った。ただ、どうしても性欲に対して、心理的理解をすることで正当化しているんじゃないかという自分の気持ちはないがしろにできないでいるが、よく理解しきれていないからこその、感情・思考なのか。いろんな立場の人がこの映画を見たときの感想、解釈を聞いてみたい。
それなりに楽しめた
ユングとザビーナ(ユングの愛人)が関係性を中心に物語は進む。二人の関係性の変遷がリアルに描かれ、感情移入をそそる。終始冷ややかに見えるほど理知的なユングが物語後半で愛人ザビーナに見せた感情の吐露にカタルシスを感じた。ユングとフロイトの手紙のやり取りが理性を保ちながらも熱を帯びていく様子も良い。精神医学の発展は医者と患者の双方の協力によって成り立ったことを思わせる。今作品を見ることにより、自分はユング派かフロイト派かどちらかを考えてみるとユング派となった(もちろんそれぞれの学問を全く知らないので感覚として)。具体的理由は、フロイトが精神的病状の原因をすべて性的な事に結びつけるのは自分も違うだろと思っていたことと、ユングが心霊や超心理学にも興味を持っていること(フロイトは非科学と断じている)。この作品を通じて、ユングの研究した内容を調べてみたいと思った。
さらに、この作品を見て意外に感じたのは、彼らが自分の夢の内容を分析していたこと。そのどこを意外に感じたかというと、夢占いという言葉があるように夢に意味を見出す向きは科学のない時代から占いという形であり、スピリチュアル的に夢の解釈をし自分の人生に活かすという事があるため、科学者としての彼らが夢を議論している様子は科学にこじつけて占うスピリチュアリストのように感じたからだ(私的な立場で夢を占う事を私は批判していない)。
物語中で印象的に語られるキーワード、モチーフ、シンボル的な事柄として、「ジークフリート伝説では純粋なものも近親相姦のような罪から生まれる」というような事象がある。これは作品を見終わった後もその具体例は思いつかずとも心の中で浮遊し、そうなんだろうなと思った。
最後に、ラスト、元愛人となったザビーナにユングが告白した言葉はとても印象的。「妻は家の土台で、彼女は漂う香りだ 君への愛は大切だった 自分自身を理解できたから」。この言葉を聞いて、不倫をする理由と意味を理解した気がした。
自分がこういうふうに感想を書き終わって気づいたのは、この作品を見れば、不倫を肯定的に捉えるようになる人間もいるだろうなという発見で、それは進められないなとは思いつつ、そういうふうにこの作品の影響には批判的な意識を持ちつつも結構楽しんだんだなということに気づかされた。
クローネンバーグの作品としては地味でクセが無い
1904年、チューリッヒのブルクヘルツ病院 8月17日
一人の若い女性が激しく抗いながら、精神病院に担ぎ込まれるところから始まります。
クローネンバーグの映画だと気付かず観てしまいました。
クローネンバーグにしては、独特なクセもなく。ちょっと地味で実話に忠実で普通という感じがしました。
自分は心理学などに少し興味があり、放送大学で何個か心理学関係の講義を受講したことがありますので、そこそこ、興味深く観ることができましたが、フロイトやユングなどに全く興味のない人にとっては、退屈な映画かもしれません。
キーラ・ナイトレイの神経症患者(おそらく、いわゆるヒステリー患者)の演技はなかなかのものでした。顔をゆがめて、アゴを突き出し苦しそうにする姿が印象的。お尻をむち打たれることに快感を覚えるとは、マゾヒズムなのか。このザビーナ・シュピールラインという女性の存在は知りませんでした。後で調べたら実在して、ユングと恋愛関係になったことも事実のようでした。
フロイトとユングが仲違いをした話は有名ですが、フロイトという人は、自分と違う意見を持つ人や自分の考えに共鳴しない人などをとことん責めて、その人の精神が病んでしまうほどの鋭い影響力を持った人のようでした。ユングもフロイトと決別した後は、やはり精神を病みますが、この映画では、フロイトはマイルドに描かれているように思います。本当のフロイトはもっと、もっと面倒くさいおっさんやったと思います。
ユングがフロイトから離れていったのは、フロイトが何もかも、「性的」解釈することに疑問を抱いていたからですが、映画ではそのあたりのことをリビドーの話もまじえて、一般人が理解できるようにうまく描かれていたと思います。
全体的に淡々と物語は進んでいきますが、出番は少ないけれどグロスというやんちゃな医師の存在でハッとしました。ユングが「フロイトによる神経症は性衝動に起因する」といったら、
グロスが「彼は自分がヤれないから性に執着するのさ」
などとひどいことを・・・笑 でも、エンディングの説明でグロスはベルリンで餓死とあって、淋しい最期だなと思いました。
実話に基づいた精神臨床(ヒステリー患者を治療する)を描いている作品に『博士と私の危険な関係』(2012)というフランス映画があります。これは、フロイトの師である精神科医シャルコーとその患者の恋愛(転移)が軸になっています。タイトルは俗物的ですが、内容は古典的な精神療法の話。こちらも、女優さんは熱演でした。
キーらナイトレイのしゃくれ演技やヌードが堪能できる作品。ただ、この...
キーらナイトレイのしゃくれ演技やヌードが堪能できる作品。ただ、この映画でそんな体張る必要性があったのかは微妙。再度きちんと鑑賞し直す必要は大いにある。
薄っぺらいゴシップ映画
心理学の巨星・フロイトとユングを描く映画。
ユングは、フロイトと別れてから、自身も精神疾患を患ったと言われるほどの心の危機を乗り越えて、ユング心理学(臨床心理士・河合隼雄先生が学んだ心理学)を打ち立てた。
心理療法で、転移・逆転移の取り扱いはとても難しく、心理療法の成功・失敗を左右するものであり、倫理の一つの性的接触や二重関係にも関わる要件であり(それこそ身の破滅)、心理療法を学ぶ時にスーパーヴィジョンを受けながらの訓練が必要になっている要点でもある。
なんて知識から、フロイト、ユング、ザビーナの心理的ダイナミックを期待して鑑賞したのだが…。
なんだこりゃ。
出だしこそ、キーラさんの好演もあって、ワクワクドキドキの始まり。ザビーネと対照的なエマの描き方もあり、暮らし等での人間にとって大切な安らぎを与えてくれるエマと、知的好奇心を分かち合い、高め合うことができるザビーネの二人を必要とし、その間で葛藤するユングとなるのかと思ったら、あっさり。肩透かし。
フロイトとのやり取りも、映画の粗筋紹介だとザビーネを巡る三角関係みたいな書き方をしているけれど、理論支持とかの面では取り合いあったかもしれないけれど、フロイトがザビーネに”恋”するのかは疑問。だって、フロイトはその粘着気質もあってフロイト夫人への執着すごかったから。
お話療法は、フロイトの共同治療者であるヨーゼフ・ブロイアーの発案。ところが、ブロイアーの患者が「ブロイアーの子を妊娠した」という妄想にとりつかれ、ブロイラーは恐れをなして撤退。でもフロイトはそれ以後も改良・研究を続ける。元々、裕福な商人の息子として産まれたフロイトだけれど、神経心理学者として才能もあったけれどユダヤ人だったので大学に残れず、仕方なく開業医をしていた。そんなこともあって、業績を認められることへの執着が凄かった。
対してユングは、プロテスタント牧師の息子として産まれ、当時も今も著名な医師オイゲン・ブロイラーの元でチューリッヒ大学の助手を務め、将来を嘱望されていた人(フロイトが望んでも得られなかった職)。だから、そのユングが自分の研究に興味を示しているという事が、フロイトの業績を世に認めさせる近道としても、重要だった(ユングを息子とすることで、ユングの就いている憧れの職にフロイトは同一化できたという側面もあったのだろう)。
そんなふうに、フロイトはユングを大切にし、ザビーネからも影響を受け、自説をどんどん発展させていったけれど、フロイトの元には他にもたくさん集まっていた。
映画に出てくるオットー・グロス(=オットー・ラング)も、最後はとんでもない説を唱え世間からそっぽ向かれたけれど、一時は時代の寵児となり、今の研究につながる重要な論文を残している。
他には、映画には出てこないけれど、今のドライカースにつながるアドルフ・アドラーやフレンツィ、フロイトの末娘など。他にもサロンを訪れた著名人は枚挙にいとまなく、ナチスの侵攻に当たっては、著名人のつてでイギリスに亡命できている。
という風に、フロイト側にはたくさんの人がいるけれど、
ユングをとりまく人々もたくさんいたはずなのに、
(ユングの理論構築に関与した患者はザビーネだけじゃない)
なんで、ユングは、フロイトと決別した時に、心の危機に陥るほどとなったんだろう?
そこらへんの心の機微が描かれるのかと思っていた。
ふう。
それでも、役者の演技は”らしく”見せてくれたし、
フロイトの家、ユングの家や病院等、
文献を読んでいるだけではわからない空間の様式美が見られたのは収穫でした。
ユングとフロイトは基本中の基本!!!
おぉ!今年初の映画レビューなのではなかろうか?
違うか?もう十月だぞ。・゜・(ノД`)・゜・。?
↑違った!良かった(^^)
哲学や心理学を語る時、ユングとフロイトは鉄板だ!
ちなみに心理学の租はフロイトであり、正式にはフロイトとユングてのが正解だ!
(*深層心理や無意識はリビドー/性衝動に起因する!としたフロイトと、いやそれだけぢゃネェだろ!としたユング。
ちなみに。最近は?
いや、コンプレックスやトラウマ/劣等感が起因だろ!てアドラーも入れて、三大心理学の租!なのかも知れない。)
さて、話逸れたが?
俺はクローネンバーグ監督の『クラッシュ』て映画で、自身のドSに気付いた。
〜ので、偶然?ギャオの無料視聴で本作に触れ、ちょっと嬉しく思った次第だ。
ただ。
この題材で、この内容。】てのは、老いたりクローネンバーグと思わざるを得ないか?
90分強でなく、二時間でも良かったかも知れない?
(*でもそうすると、こちらも老いてるので、二時間はキツいかも知れないが?笑♪)
フロイトの『リビドー/性衝動が、心と身体を支配する』て理屈は、やはり一般的に正しいし〜
アドラーの『コンプレックスやトラウマに、向き合う向き合わないの一歩目含めて、心はそこから始まる』て理屈も正しい。
もちろんユングも。
神経衰弱?燃え尽き症候群?
一度自身も精神疾患に侵されたユング。
フロイトよのような楽天思考と違い、完全主義者で有ったのだろう?
そんな完全主義者(で潔癖や神経質な気が有ると共に、無神経無配慮な面も)で有ったかも?なユングが上手く描けてます。
キーラナイトレイは圧巻。
彼女のちっぱいも好きです!!!
他の方のレビューにも有りますが、確かに。もう少し深く掘り下げて良かったかも?な気はしますね?はい。
キーラナイトレイのちっぱい】☆④
もう一回見たい度】☆②
心理学好きです度】☆③
おススメ相手は?】大人の?オーバー30の交際相手が居ない、もしくは倦怠期の男女へ!
ギャオの無料視聴水準で☆②と半分だけど、キーラナイトレイのちっぱいで、プラス☆①
(フロイト×ユング)÷ザビーナ+クローネンバーグ
精神分析の礎を築いたカール・グスタフ・ユングとジークムント・フロイト、そして彼らの功績の影に居た一人の女性患者の史実を描いたデヴィッド・クローネンバーグ監督作。
フロイトとユングも大変有名な人物らしく、確かに名前は聞いた事もある気がするが、詳しくは知らず。
なので、ほとんど予備知識ナシの真っ白な気分で、興味本位も兼ねての鑑賞。
フロイトが発案したのが、“談話療法”。
対話によって、心の奥底に眠る感情を引き出す。
よく色んな映画で、精神科に通う登場人物がソファなんかに寝そべって語る、アレ(だと思う)。
ユングがこの療法を用い、女性患者ザビーナの心の奥底のトラウマに迫る事に成功する。
が、医師と患者の一線を越え、親密な関係になってしまう…。
欲と罪悪感、師弟関係と友情の亀裂…葛藤する複雑な感情をあぶり出す。
異色作の多いクローネンバーグ作品の中で、また別の意味で異色の淡々とした史実ドラマ。
しかし、人間の心の暗部に迫る辺りは、やはりクローネンバーグの作風。
ユングをマイケル・ファスベンダー、フロイトをヴィゴ・モーテンセン、それぞれ巧演。
そして、二人の関係に波紋を投げかけるヒステリー患者をキーラ・ナイトレイ。
女優生命を崩壊しかねない変顔、キ○ガイ演技は衝撃的であると同時に、天晴れ!
監督の意図が知りたい
はてさて、映画を観てて思ったのは、なぜクローネンバーグ監督はこの作品を撮ろうと思ったのだろうかという問い。製作の背景とか、誰か知っていたら教えてほしいです!
たゆまず、人間のこころの微妙な揺れを描いてきたクローネンバーグだっただけに、それを突き進めて、心理学の領域へってことなのかな?
いつもの暴力描写は、おかしな方向の暴力描写へと移行してますが、やっぱりそのシーンの力強さという意味では、『ヒストリー』『イースタン』の方が上かなという感じがしましたです。
面白かった
クローネンバーグの新作で、そんなに評判もよくなかったので期待しないで見たら、ユングやフロイドの映画で、けっこう面白かった。女の患者が深刻に病んでいて、その原因が性欲を持て余していたことだったため、大変な事になっていた。女優が発作でアゴをぐいぐいしゃくらせていたのが凄かった。おっぱいが出たり、乳輪がはみ出したりして気になっていたら、WOWOWの解説の安西水丸さんも同じ指摘をしていた。
フロイドとユングがお互いを否定し合って言い合いしているところはヒリヒリとする感じで面白かった。お互い張り合っているものの、ユングは一等船室で、奥さんがすごくできた人で、かなりな長寿だったことも人間トータルな意味で決定的な感じがした。そんなみみっちさがあったからこそ、精神医学が発達したのかもしれない。
作品作りは己を見つめる事だとは言うけど、このような精神的な病理を直接描くのはリハビリになるかもしれないけど、相当にきつそうで真似できない。大変なお仕事ご苦労様!と思った。
二兎を追う者は一兎をも得ず
心理学にあまり詳しくない人でさえフロイトとユングの名前くらいは知っている。
ユングの患者であり愛人であり自身も後に心理学者となり、フロイト、ユング両者の理論に影響を与えたザビーナという女性については今作で初めて知ったが、登場人物はすべて実在の人物である。
しかし、何故か、この登場人物がリアルに感じられない。彼等が何故そう行動するのか、どうにも唐突に感じてしまう。
ザビーナが回復して行く過程も彼女とユングが惹かれあって行く過程も表面的な描写しかなく、後の二人の行動は理解に苦しむ。
こちらの方が幾分マシとは言え、フロイトとユングの関係についても、何が二人を結びつけ、決裂に至った決定的な理由は何だったのか、充分に描かれているとは言えない。
ユングとザビーナ、ユングとフロイト、両方の関係を描こうとして、どちらも表面的で中途半端になってしまった印象が否めない。
興味深かったのは、フラリとユングの元を訪れるフロイトの弟子であるヴァンサン・カッセル演じるオットー・グロス。
自らも心理学者であり、ドラッグ中毒者である彼は、ラストで後にベルリンで餓死したことが明かされるが、かなり破天荒な人生を送った人物だったらしい。
登場シーンは少ないが、ザビーナとの関係に対してユングの背中を押すのは彼だ。
夫の気持ちがザビーナに向いていることに気づきながらも、彼を支えるユングの妻も印象的。一番全体が良く見えているのは間違いなく彼女だと思う。
危険なのはメソッドではなくて…
クローネンバーグ監督は特に熱心なファンという訳ではなかったが
興味があったユングとフロイトを描くと聞いて観た。
地味。
ユング、フロイト、どちらを主人公にしたとしても地味になるよなぁ精神分析の開祖だとしても。
(二人の医師の主張の方向性とか決別なんかを知ってないと楽しめないと思う)
そこをキーラ・ナイトレイの体当たり演技でみせる志向か。
抑えた演出で淡々と進んでそのまま終了。
映画的興奮は特になし。
キーラ・ナイトレイのオッパイは見れますけど、得した感がない(笑)
精神分析医に興味がなければ観る必要はないかな。
暗い部屋と白い壁
あら何この映画、すんごく面白い!!!!!
いやー何より映像がイイ!!(この監督の画がカッコイイのは当たり前っちゃ当たり前なんだが)。
ユングとフロイトの対比がとてもイイ。
フロイトの部屋は暗く混沌としている。
対してユングを描くときのバックは白基調の無機質な感じ。病院が舞台ということもあるけど白い壁がとても印象的だった。
暗い部屋と白い壁。
何だろうこの映像の対比。単なる学問上の対立だけでは無いような。
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フロイトは当時(20世紀初頭)のヨーロッパ医学会・心理学会ではかなり批判も多く鬼っ子的存在(現在でも狭義の心理学にはフロイトは含まずというスタンスは根強い)。
なおかつフロイトはユダヤ系(後にナチスの迫害を受けアメリカに亡命せざるを得なくなる)。
もうひとつオマケに子沢山で貧乏。
(さらに言えば、映画では描かれていないがユング以外の有力な弟子アドラーなども次々と離反し、かなり孤独な時期もあった。)
なんつうか苦難とコンプレックスの役満である。
それを映画では薄暗い部屋で表現していたのか?(そう単純でもないような気もするが…)
そんな苦難の中でも、自分の説を学問として確立しようと尽力したフロイト。
偉くもあり、その妄執が怖くもある。
アラゴルン・モーテンセンが偉人フロイトの妄執を淡々と演じていて、とても良かった!!
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対するユングは、ドイツ系でお金持ち&スイス住まい。当時のヨーロッパ事情の中では、フロイトに比べかなり恵まれている。
それでいて保身のためなら愛人を平気で捨てる酷薄さも併せ持つ。
酷薄さを表現するための白い壁だったのか?清廉さを装う彼を皮肉る白い壁?
それともユングの学問への思い崇高さを表現するための無機質な壁だったのか?
無機質な白い壁の前で繰り広げられる、患者との不倫(まるで昼メロみたい)。このギャップがとてもイイ!!
無機質と肉欲という真逆なものが一つになった感じがグっとくる。
無機質と肉欲、聖と俗、正気と狂気の間を行ったり来たりするユングの描写がとても面白かった。
正気と狂気は陸続き、差なんてないんだなーと思ったりもした。
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そしてもう一人、超面白い男オットー・グロスも出てくる。
父親はドイツ犯罪学の権威ハンス・グロス。強い父親に反抗して、かなーり破天荒な無政府主義者になってしまった人。エディプスコンプレックスを地でいく男。秀才でフロイトを支持する論文も残している。
彼の生涯は一本の映画になるくらい面白いのだが、この映画ではサラっとしか説明されていない。
それでもオットー演じるバンサン・カッセルが好演。
オットーの破滅的な魅力、虚ろな眼の奥に潜むコンプレックスを説得力ある演技で見せてくれたと思う。
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最後に、ユングの患者であもり愛人だったサビーナ・シュピールライン。
彼女自身優れた学者でもあり、フロイトのタナトス概念に影響を与えた。
まさに精神分析界のファム・ファタル。
ザビーナ演じるキーラ・ナイトレイが個人的にはとても良かった!!
シャクレ、痩せ過ぎ、貧乳という彼女のマイナスポイントが、この映画では逆にプラスに。神経質な才女という役にピッタリ合っていたと思う(かなりベタな発想で本当に申し訳ないんだが爆乳に神経質は似合わない)。
乳むき出しで尻を打たれて喘ぐキーラ・ナイトレイ。絶妙なリアリティにグっとくる。巨乳だったらエロが勝ち過ぎて方向性が変わっていたかも。貧乳もこんな活かし方があったのね…と目から鱗が落ちた(乳のことばかり書いて本当に申し訳ない)。
最後の場面は、乳に関係なく美しくとても上手い女優さんだなあと思った。
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映像、俳優ともに個人的にはとてもツボだった本作。
台詞のひとつひとつも、どこを切り取っても詩になるようなカッコよさ。
欲を言えば、もしこれが英語ではなくドイツ語だったら、もっと硬いゴツゴツした言葉の響きで印象も変わっていたのかなー、ドイツ語版があれば聴いてみたいなーと思った。(監督がカナダ人だし英語なのも至極当然なのだが…)
あともう一つちょっとした謎が。
フロイトは葉巻、ユングはパイプ、オットーは紙巻き煙草を吸っていたんだが、これは何かの暗喩なのだろうか?物知りの人がいたら教えてほしいと思った。
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追記:こんな感想長々書いといて何だが、
この映画、別にユングとフロイトの伝記がしたかった訳ではなく、
心という目に見えないものを目に見える形にしようとした悲しさの話なんでないの?とも思う。
危険な香りがぷんぷん(∩´∀`)∩オォ♪
心理学の基礎を築いたフロイトとユング
そしてその2人の理論をさらに発展させる切っ掛けとなったザビーナ女史
この3人の何とも危険な関係が映画からにじみ出てる(゚∀゚ ;)タラー
元々フロイトは何でもかんでも性衝動が根本の原因だという理論だが、それはどうだろうとユングは疑問に思ってた。
フロイトとユングが最初に面会した頃から、後に袂を分かつことは分かってた。
その切っ掛けが、ユングの所に担ぎ込まれた統合失調症の患者だったザビーナ。
まるで悪魔に憑りつかれたと思わんばかりの凄まじいヒステリー発作∑(゚ω゚ノ)ノ
ザビーナはユングの対話療法を受けていくに連れて、どんどん幼少時の体験を吐露する。
父親にぶたれ続けてて、それが大変興奮したとオォォー!!w(゚ロ゚)w
つまり性衝動を抑制し過ぎて発作を起こすようになったということね。
しかしこのキーラ・ナイトレイのヒステリー演技は素晴らしい!!!(=´∀`ノノ゙☆パチパチパチ
顏芸もさることながら、ぶたれて喘ぐあたりも((;゚д゚))ス、スゲェ
フロイトとユングは意気投合して、精神分析の分野で協力していくが、結局両者の出自や経済力の差、そして性格が災いして決別。
そしてヴァンサン・カッセル演じるオットー・グロースの「思うがままに快楽に身を委ねろ」という言葉を切っ掛けに愛人の関係にヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ
しかしヴァンサン・カッセルは『ブラックスワン』でもそうだったけど、とにかくこういう「もうお前やっちまえよ~( ´_ゝ`)σ)Д`)ツンツン」っていう役柄多いな~(゚∀゚)アヒャ
そのうちどんどん深みにはまって行って、ザビーナはユングの子供を産みたいと言う。
ところがユングはもうこの関係はやめようと言うと「じゃあ私はフロイト先生の所に行きます!!」と言うヾ(゚Д゚ )ォィォィ
ユングの嫉妬心を煽ったり、具合が悪いふりをして誘惑したり・・・女ってこういうもんなんですよね~゚+。゚(・∀・)゚。+゚イイ!!
フロイトとユングが渡米する時に、ユングは奥さんが予約した一等船室にそそくさと行ったりするという無神経さΣ(゚д゚lll)ガーン
もうこれが決定打ですな(・∀・)ウン!!
とにかく精神分析という研究分野の危うさが、そこかしこからにじみ出てる印象ですな(;・∀・)
フロイトとユングの対話シーンで、2人の微妙な齟齬があってほんとに協力できるのか分からんという危うさ、ザビーナとユングの関係性の危うさ、そしてフロイトのリビドー理論の危うさ、さらにユングは決別した後に集団的無意識という独自の理論を打ち立ててオカルト世界にまで足を踏み入れていくという危うさ・・・
三者三様の「危険なメソッド」なわけですな。
フロイトも怒り狂ってぶっ倒れちまった後、ザビーナの統合失調症に関する論文を読んで、ワーグナーのワルキューレ、ジークフリートを持ち出してリビドーは実は自我を破壊しようとしているのだというザビーナの考えを示す。
これがフロイトのタナトス理論に影響を与えたとかスンゲェ──―Σ(゚∀゚ノ)ノ─―─ッ!
ユングは「境界を越えるべきでない」というフロイトの忠告を無視してオカルトにまで足を踏み入れるけど、これも結局ザビーナの関係から導き出された一種の結論ですな。
このザビーナ、実はとんでもないミューズであったことが良く分かるイイネ♪d('∀'o)
ラストでザビーナとユングが湖畔で語り合うシーンは実に泣かせる。・゚・(ノД`)・゚・。
この時ザビーナは別の男と結婚して子供を身ごもってる訳だけど、その子供が自分の子供だった可能性も無きにしも非ず・・・
色々と想像しながら涙する( ´Д⊂エーン
マイケル・ファスベンダーのユングとヴィゴ・モーテンセンのフロイトはほんとに生き写しみたいな感じでそっくりΣ(゚Д゚ノ)ノオオォッ
さらに風景やら部屋の調度品や置物、そして服装なんかもほんとに当時のドイツにタイムスリップしたかのような素晴らしさ(・∀・)イイ!!
知的で難しい映画だけど、その中にエロさとコミカルさ、そして下品さも含む秀逸な傑作です(゚∀゚)アヒャ
史実への好奇心が満たされない
冒頭のユングとザビーナの出会い。“談話療法”を始めるシーンが少し舞台っぽいと感じる。あとで分かったのだが、本作の元は舞台版だったということだ。
心に傷を持つ役が多いマイケル・ファスベンダーが、本作でも自分の患者であるザビーナへの思いが断ち切れず葛藤するユングを好演する。
また、幼い頃の体験が原因となる性的トラウマに悩むザビーナを、キーラ・ナイトレイが体当たりで演じる。
ユングの心がほかの女性に向かっていることを知りながらも、夫に愛情を注ぐ貞淑な妻エマのサラ・ガドンの品のある美しさもいい。
フロイトのヴィゴ・モーテンセンは一歩引いた演技で、ユングとザビーナに焦点を当てる。
ただ、ユングとフロイトの結びつきと決別、この二人へのザビーナによる影響を語る構成が曖昧で、史実がきっちり伝わってこない。とくにザビーナが精神分析学の道に進み卒業論文を書き始めるあたりからは描写が駆け足になり、やや腰砕けぎみになる。
中盤で、フロイトが自己の固定観念にとらわれた考え方なのに対し、ユングは自由な幅広い分析をして両者の間に溝が入り始める描写はある。だが、その決別に至る決定的な原因は何だったのか、そしてザビーナがどう絡んだのか、彼女が二人の偉大な学者に与えた学術的な影響も見えてこない。史実への好奇心が満たされない。
終盤は、ヴィゴ・モーテンセンをもっと前に引き出してもよかったのではないか。
危険な関係
精神医学の礎を築いた二人の出会いと決別を描いた作品。クローネンバーグの作品にしてはとても内省的で落ち着いた映画だが、蓋を開ければ「危険なメソッド」は間違いなく彼の作品だと確信した。
ユングとフロイトの出会いのシーンは非常に面白い。マイケル・ファスベンダー演じるユングは冷静沈着でいかにも「精神科医」だが、内にはあふれ出んばかりの情熱が潜んでいる。自分の中に潜む矛盾した二つの感情を必死で抑えつけようとしているのが目に見える。そしてフロイトに扮するヴィゴ・モーテンセン。とても博識で雄弁な人物だが、実は傲慢で自分がトップでないと気が済まない。それは裏を返せば、ユングに対する劣等感の表れでもある。様々なシーンで彼が時折見せる表情は、彼が持つ”脆さ”である。二人とも役に完璧になりきっているから、丁寧な言葉でやり取りされる手紙の議論でさえも、手に汗握るものとなる。
しかし、実際のところこの映画が主軸に置いているのは「ユングとフロイトの師弟対決」ではない。「ユングとその患者ザビーナの逢瀬」である。いや、これはこれで面白いのだがどうも物足りない。
その理由の一つはザビーナ役のキーラ・ナイトレイの演技力が追いついていないことだ。初めの彼女が見せる演技は大げさ以外の何でもない。手を振るわせ、目を見張り、歯をむき出してとにかく暴れる。冷静なユングとのギャップのせいで、彼女の演技はパロディにしか見えない。だがその後がもっと良くない。”大げさな演技”は影を潜めるが、今度は繊細すぎて、ただでさえスローペースな映画の展開をさらに遅くする。映画の中で数年は経っているのだが、彼らの間柄はいつまで経っても微妙なまま。関係を持ってからは、むき出しのマゾヒズムに初めは驚くがそれさえもマンネリ化する。ユングとフロイトの方はあっさり終わるのに、だ。
上手く描けているのは明らかにユングとフロイトの方だ。思い出すシーンもほとんどが彼らが対話する場面ばかり。精神科医が分析を進めるうちに、自分自身が分析され、新たな自己を見いだす。このコンセプトは悪くないのだが、いつまで経っても学生にしか見えないザビーナは味付け程度にしておくべきだった。もし”このザビーナ”ももう少しカリスマ性があれば「精神学者の三つ巴の戦い」が成立したかもしれない。
(2012年11月18日鑑賞)
想定外
予備知識も何もなく、ただ「フロイトとユングの話」というだけで面白そうだなと思い見に行ったので、こんな話だとは思いもよらず。
というか、自身が全然この二人のことを知らなかったのがそもそもの間違いなのですが…
最初、患者としてやってくる医師志望のザビーナを焦点にして二人の関係を描いた本作。
そして、心理学者ユングの乱れた関係。ユングとフロイトの蜜月と確執。
史実に基づきながら、おそらくはグレーな部分を解釈で補っている。
さらに、ザビーナ役の役者の体当たりな演技がいい。
絶賛という訳ではないですが、一件の価値アリだと思います。
「壁」からの連想に「花」と答える人。
現代心理学の祖、フロイトとユングの友情と決別を1人の女性を核として描く、実話に基づいた人間ドラマ。暴力とエロスを前面に押し出すことなく(それらは深層心理の中にある)、上品な会話劇として仕上げたクローネンバーグ監督の新境地。
本作の主な登場人物はフロイトとユング、そしてユングの元に患者としてやってきて、後に愛人となる、女性心理学者の先駆者であるザビーナ。この奇妙な三角関係(肉体ではなく精神面での)が物語の主軸だが、私は敢えて脇役であるユング夫人エンマにスポットを当てたい。冒頭に登場する彼女は、滑らかなシルクのマタニティ・ドレス姿だ。ベッドでまどろむ姿は、愛する人の子供を宿した幸福感に包まれている。しかし次に、「自由連想」という夫の実験での被験者として登場する彼女は、心の奥底に不安を抱えていることが判ってくる。男であるユングには解らなかったが、「妊娠したため夫を失うことを恐れている」と、同性であるザビーナは見抜く。産まれた子供が女の子であったために夫に「男の子を産んであげられなくてごめんなさい。」と謝る彼女の心のしこりが、何とも切ない。
ザビーナとエンマは全く対照的だ。幼い頃父から受けた折檻によって、ぶたれることに快感を覚えてしまったザビーナは、ユングによる「対話療法」によって、自分の性癖を暴露することで、彼に心を開いていく。女性が性について口にすることなど考えられなかった時代、彼女は持ち前の知性と行動力により、新しい女性像を築いていく。それに比べエンマは控えめで保守的だ。夫に愛人がいようと黙って耐える(それでも匿名の手紙を出して夫と愛人の仲を裂こうとする策士な部分もある)。裕福な彼女は、夫の欲しがっていた赤い帆のヨットをプレゼントして気をひこうとする。しかしそのヨットで夫は愛人と逢瀬を重ねる。余談だが、フロイトとユングの不協和音の1つに、エンマが裕福だということがあると思う。子沢山のフロイトが、家計に苦労しているのを察せず、ユングは悪びれることもなく「妻が裕福なので」と口走る。その瞬間フロイトにわずかな妬みが生まれたのは間違いあるまい。
ザビーナもおよそ裕福とは言えない暮らし向きだ。エンマは高級なレースのドレスを身にまとって登場するが、ザビーナは何年も同じバッグや帽子を使っている。それでもザビーナはフロイトのように自分の貧しさを卑しく思わない。そんなザビーナの不屈のパワーに、ユングは惹かれたに違いないのだけれど・・・。ザビーナと交わすライトSMチックなセックスも含めてユングにとって彼女は刺激的な存在だ。だがその刺激はとうてい長く接していられない。フロイトと決別するとほぼ同時にザビーナとも別れたユングは、半分魂の抜けたような状態に陥る。エンマはそんな夫のために、誰あろうザビーナに夫の力になってくれるように頼むのである。フロイトを失うのと、ザビーナを失うのと、エンマを失うのと、ユングにとっていったいどれが一番の痛手だろう?エンマがユングを支え続け、この後彼がフロイトを凌ぐ心理学者として成長したことを思うと、おのずと答えは1つだろう。
妻と元愛人の対峙シーンが印象的だ。高価なボーンチャイナの茶器でお茶を淹れるエンマ。受けるザビーナはロシア人医師と結婚しており妊娠中だ。精神病患者として登場したザビーナは、今や児童心理学者として自立しており、さらに妊娠によって穏やかで満ち足りているようだ。エンマの妊娠から始まって、ザビーナの妊娠で終わるこの物語は、ユングとフロイトという偉大な心理学者の出会いと別れを描きつつ、エンマとザビーナという正反対の女性の、それぞれの“自立”(アプローチは違うけれど)を描いた物語でもある。
情熱的なザビーナは魅力的だが、「自由連想」で「壁」という言葉に対して「花」と返したエンマの細やかな優しさを、私は女性として尊敬する。
スパンキング…
のっけから、あごを突き出して顔をゆがめる美人に怖くなりつつ観ていたけれど、眠ってしまい、意識が戻ったら、ユングが美人をスパンキング…フロイトともうひとり、呟いていた彼は誰だったんだろうと思ったら、餓死とエンディングで紹介されていた。裕福な妻を持ったユングと6人の子持ちのフロイトが対立、手紙の往信で亀裂を深めていったことと、最後まで生きて権威を確立したのはユングだったというところか。好きな役者が揃っていたのに、テンポが合わなかったのか、楽しめなかった。
興奮しないっす。
デンジャラス・メソッド。原題のほうが全然かっこいいのに。
キャスト豪華。予告編とは違います。思いのほかぽんぽん時代が飛ぶので盛り上がりに欠ける。
というか、そういうドラマではなかった。かといって、そんなご大層な話でもないので何を楽しんでいいかわからなくなる。フロイトとユングとサビーナ、どう考えてももっときりきりするドラマになりそうだけどシラ~とペンをとる、手紙を広げる、ペンをとる、ナレーション、船に乗る。。とエモーショナルになることはなく静かな構成です。当然ながら、そんな流れでケツをひっぱたいてるあたり繋がりのいくつかは笑ってしまうんだけど、まあ笑いの映画でもないしね。
ジェレミートーマス、アートで世界を揺さぶるようなの届けてよ!
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