「時空を越える老若男女の恋模様」ライク・サムワン・イン・ラブ cmaさんの映画レビュー(感想・評価)
時空を越える老若男女の恋模様
いきなりのラストに、しばし茫然。「シャンドライの恋」の幕切れをふと思い出した。しかし、エンドロールにかぶってきたのは甘い音楽。思わず顔がほころんだ。これはやはり、犬や蓼が顔を出しそうなたぐいの物語なのだろう。そしてもしかすると、まどろむ若い女と、夢見がちな老人が垣間見た幻が重なり呼応した、一瞬の夢かもしれない。リアルに見える渇いた映像、淡々とした語り口に、観る者も惑わされ、不可思議な世界に迷い込む。
メインの三人はもちろん、この作品に登場する人々は揃いも揃って不穏さをまとっている。大学生アキコに訳知り顔に説教する男(でんでん)はデートクラブの元締めだし、元大学教授タカシの隣人女性のねばっこさは、声だけでも鳥肌もの。アキコを乗せるタクシー運転手やたまたま出会うタカシの教え子さえ、「何かある」気配を漂わせ、観る者の心をざわめかせる。(…そもそも、「何もない」人などおらず、それぞれに事情を抱えていて当然なのだが、私たちは時に自分だけが特別に思え、周りが見えなくなる。)そして、それぞれに後ろめたさを抱えるメインの三人。言葉や行動で相手を威圧し、自衛するノリアキ、自分からは決して動かず、のらりくらりと浮遊するアキコ、そんな二人にかかわり小さな嘘をついたことで、抜き差しならない状況に陥っていくタカシ。もつれた糸は、絡まっていくばかりだ。
いいトシした大人の男女が妄想・暴走する前作「トスカーナの贋作」には少々引いてしまったが、今回は、「若さ(老い)ゆえ」と多少の逸脱が許容されそうな若者と老人が主人公、という点がいい。身勝手なはみだしっぷりも、かつての記憶をくすぐられ、ある意味壮快。呆れつつもいつしか引き込まれ、彼らの行く末をあれこれと夢想してしまった。彼らのうち、誰に嫌悪し、いらつき、はらはらし、(多少なりとも)共感するか。そんなところから、観る者の本性さえ暴かれそうだ。
冒頭の繰り返しになるが、アキコやタカシのまどろみは、物語を夢と現実の世界へ融通無碍に行き来させる。さらにこの物語は、時間や場所さえも軽々と越える。はじめのうちこそ、深夜まで街頭で孫娘を待とうとする祖母の時間感覚に驚いたが(私の周りの年長者は、日暮れを合図に帰宅し、9時10時には就寝している。)、「待ち合わせの駅の銅像」として渋谷のハチ公ならぬ家康公(静岡駅?)が現れるという肩透かしに絶句。時間や場所にこだわらず、映画の世界に浸り愉しめばよいと悟った。看板や標識など細かな文字情報からロケ地の見当がついてしまう日本人ゆえかもしれないが、渋谷、静岡、横浜、青山…と瞬間移動を繰り返しつつ物語がなだらかに進む点が、地に足のついていない彼らを象徴するようで面白い。
観たあと、あれこれ考え、はっとし、ニヤリとさせられる。久しぶりに、映画らしい映画を観た。