「なんとなく痛いところを突かれる」ヤング≒アダルト 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
なんとなく痛いところを突かれる
わたしの高校には卒業生ぜんたいのパーティーがある。300人くらいになるので、大味なことになる。おちついて話というより、名刺交換しまくるとか、お酌にまわるとか、ただ側にいる知友と話していることもできるが、それにしても踏み込んだ話はしない。
世の中には同窓会的なものへ出たくない人がいる。正直わたしもそうだ。ただし地元にいると役が巡ってくる。そういう地域社会の抜擢というものは、大人としては横を向き続けているわけにはいかない。
かつての考え方とすると、同級会へ出席しないことはかっこいいことだった。過去を捨て去っているような潔さがある。
それにも増して、わたしはぜんぜん誰にも会う気がしないのである。会いたくないひとがいるわけじゃない。でも、みんな出世してたり子供を育て上げていたり、人生のestablishmentの階梯を順風に登っている(ように見える)のであって、なんにも成し得ていない、役無しでバツ付きのわたしなんか、居心地が悪くってしょうがないのだ。
学生時代を引っ張ってなんかいない。
しかしinferiority complexみたいな、明瞭ではないけれどやるせない感情は消えてくれないものだ。
わたしはモラトリアムなんて言葉を輸入してその概念を浸透させてしまったひとに文句を言いたい。人は大なり小なりモラトリアムなものだと思う。
ヤング≒アダルトはシャーリーズセロンと脚本家ディアブロコーディ、監督ジェイソンライトマンの映画。三人はタリーと私の秘密の時間(2018)でも再度トリオを組んでいる。
ヤングアダルトはハイティーン向け小説で、メイビス(シャーリーズセロン)はその作家。過去の栄光で、もはや売れていないが虚勢をはって生きている。
どろどろに過去を引きずっていて、学校時代の元彼──結婚して子供もいて幸せな男──に猛烈アタックして派手に撃沈する。
コメディだがわたしにはメイビスの気持ちがわかった。マット(パットンオズワルト)の気持ちもわかった。
ひるがえって、ディアブロコーディは亡霊のごとくにわたしたちをつかまえる、学校時代の思い出という普遍のペーソスを絶妙に料理していた──笑える一方で、なんとなく心が締め付けられる話でもあった。
コーディはユーモラスでブラックでモラトリアムだが、夢や理想を追う人の吐息みたいなものがリアルにあらわれる。彼女自身、職を転々し直前歴はストリッパーだった。その等身大が投影される。タリーにもJunoにもそれがあった。