「メモ ドラッグに溺れ酒に溺れる荒んだ日々の中でとうとう人を殺してし...」マシンガン・プリーチャー supersilentさんの映画レビュー(感想・評価)
メモ ドラッグに溺れ酒に溺れる荒んだ日々の中でとうとう人を殺してし...
メモ
ドラッグに溺れ酒に溺れる荒んだ日々の中でとうとう人を殺してしまうサム。妻の助けを借りて信仰に目覚め、南スーダンやウガンダの悲劇を目の当たりにすることで自らの使命を自覚し、牧師=伝道師として生きることを決意する。
困っている人を助けたい。だからといって世界中の人を救うことはできない。
そんなことは誰でもわかっている。だから人は自らの愛する人と、世界の果ての不幸との間で折り合いをつける。ある時は知らないふりをして。またある時は目を塞ぎながら。
遠い世界の不幸。それは実際に目の当たりにしたものでなければその地獄、深刻さを実感することはできないだろう。だからと言って誰も好き好んで他人の不幸に首を突っ込むようなことはしたくない。
サムはわざわざ遠い国の不幸に首を突っ込む。そして不幸を目の当たりにして、その悲劇に心を痛め心の底から助けたいと実感する。でもその実感は遠い国に生きている普通の人には伝わらない。その実感の乖離にサムは一人孤独になって行く。人を助けるためにしていた行動が、愛する家族さえバラバラにして行く。
世界中の人を救えないならば、やはり自分の近い人にだけ愛を注ぐべきなのか。やはり世界は救えないのか。
愛の行為の範囲だけが問題ではない。その行使において暴力が容認されるのかという問題もある。
南スーダンのような内戦状態にある状況において、英雄は一方の側、つまり敵にとっての虐殺者でしかなく、どちらか一方の正義を正当化することには常に危うさが伴う。
子どもを救うためとはいえ、マシンガンを撃つサムに、同じく人道的支援活動をしている白人女性が揶揄する場面がある。暴力に訴えるものは皆、自分を正当化している。虐殺者として描かれるLPRの指導者コニーも、かつてはあなたのようだったと。
殺さなければ殺される現実の中で、暴力に加担するしかない現実に、自分のしていることにさえ絶望して家族や仲間さえ失いかけていたサムだったが、一人の少年の言葉に救われる。憎しみに支配されたらあいつらの思うツボだと。
少年は生きるために母殺しをした。悲劇というにはあまりにおぞましい地獄が今この瞬間にも南スーダンで起きている。駆け付け警護で派遣された自衛隊は無事に帰国したと聞く。サムチルダースがマシンガンをもって戦っていることの是非はともかく、彼の行為やこの映画の突きつける現実はあまりにも重い。