「人間は死ぬ美学ではなく生きる美学を語る生き物やと思う」11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち 全竜さんの映画レビュー(感想・評価)
人間は死ぬ美学ではなく生きる美学を語る生き物やと思う
先日、CXの深夜枠で偉人達の名言を紹介する番組で、三島由紀夫が取り上げられていたのが興味の発端だ。
戯曲の台詞
「幸福って、●●ことなのよ」
とは何か?と云う問題
正解は「幸福って、何も感じないことなのよ」
そして、
「幸福ってもっと鈍感なものなのよ」と続く。
この一連の羅列が眠気眼だった私の心に、急転直下でブランチャーしてきた。
初日の初回に並んで観た。
結果はってぇっと…
あの時代を知らないからなのか?
ミシマ先生が想う幸福を一欠片も発見できなかった。
数々の名作を発表し、美人の女将さんを貰い、莫大なる地位・名声・富を築いたが、幸せだったとは一切想っていないだろう。
むしろ、アメリカの言いなりになって堕落していく日本の文化・思想に憤怒するばかりで、そもそも幸福感なぞ存在してなかったのかもしれない。
浅沼委員長刺殺に始まり、金喜老、よど号etc.社会事件を織り交ぜながら、疑心暗鬼に陥る三島の心理を炙り出す手法は魅力的だったが、三島本人には格好良さを全く感じなかった。
滑稽にすら思えた。
ベトナム戦争が混乱を極める一方の激動期に、手をこまねいているだけの日本に苛立ちを募る三島の心中には共感する。
しかし、自衛隊を昔の軍隊に戻し、天皇を敬う武士道国家を呼び覚ませねばならないって叫びは、筋が違いすぎると思う。
人間は死んでこそ開花するって侍美学は、現代社会とあまりにも乖離している。
よって、狂気しか浮上しなくなり、決死の強行も
「命を捨てるまでの大事なのか?他にもっと手段は有った筈やろ」
と冷める一方やった。
商売上、常々想うが、人間は生きてこそ美学を語り継がれる唯一の生き物である。
この事件を決して美談にしては成らない。
本編には無かったが、自決後、現場に訪れた師匠の川端康成のショック度は後の自分の悲劇に直結している。
勇気ではなく、犯罪であり、挙げ句に自殺するなんて卑怯以外の何物でもない。
だからこそ、生き残りの隊員の汚れた掌のカットでサゲたんやと私は思う。
最後に短歌を一首
『皇國に 捧ぐ刃で 美をかざす 武士の幕引き 憤怒を裂いて』
by全竜