きっと ここが帰る場所のレビュー・感想・評価
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ロードムービーの傑作
感受性は、自分で守らなければならない。
感受性が強ければ強いほど、それを入れる頑丈な器が必要になる。
「きっと ここが帰る場所」は、
過去の出来事への悔恨から逃れられないでいる中年の元ミュージシャンが、
自分ともう一つの家族の探索を通して、再生へと向かう物語である。
元ロックミュージックのスーパースターだった男(シャイアン)を
ショーン・ペンが演じている。
自分の感受性を守るために、シャイアンはできるだけ世間との関わりをなくしている。
シャイアンは妻とごく少数の友人たちとだけつきあう。
その一人がシャイアンと瓜二つのロック少女メアリー。
シャイアンにも少女にも、埋め難い寂しさが心を覆っていることが分かる。
メアリーには兄がいるが、3か月前に失踪し連絡が途絶えている。
2人はショッピングモールの中にある行きつけのファーストフード店で、
コーヒーを飲みながらとりとめのない会話をする。
シャイアンはいつも囁くように会話する。
「寂しさと寂しさは相性が悪い」とシャイアンはメアリーに語りかけたりする。
シャイアンの寂しさの正体が少しずつ明らかになる。
ミュージシャンとしての商業的成功をもたらした楽曲の暗鬱さゆえに、10代のファンの兄弟が自殺をしてしまったこと。
シャイアンは30年前にNYからこの兄弟が暮らしていたダブリンに移り住む。
それから、父親との確執。
シャイアンのもとに「父親が危篤」という知らせが届く。
映画は一転、男を “奇妙で切実な旅”へといざなう。
飛行機が苦手なシャイアンはNYに住む父親の元に、船で帰る。
家に着いた時にはすでに父親が息を引き取った後だった。
シャイアンは父親とうまくいかず、15歳のころからずっと父親から嫌われていると感じていた。
ダブリンに移り住んだ30年前からは、まったく連絡を取ることはなかった。
父親の葬儀に集まった親戚から、父親がシャイアンのことをずっと気にかけていたことを聞かされる。
父親の左手首に刻まれた数字が、シャイアンを旅に向かわせる。
父親はアウシュビッツ収容所に捉われていたユダヤ人の一人であった。
父親は、息子が去ったNYでの孤独な生活のなかで、自分に屈辱を与えた収容所の門番(ランゲ)を、執拗に追いかけるようになる。
シャイアンは父親が30年かけて探し出そうとした人物に会ってみようと、
わずかに残された手がかりを頼りに、NYを離れアメリカの南から北まで車で突っ走る。
まず、歴史教師のランゲの妻を探しあてる。
教え子のふりをしてランゲのことを聞き出そうとするが、うまくはぐらかされてしまう。
だが、そこで孫娘がいることを知る。
こんどは何千キロも離れたニューメキシコ州に住む孫娘レイチェルを探し出す。
シャイアンは、レイチェルとその息子トミーの家に何日か滞在をする。
この家でのエピソードがこの映画のテーマを表わしている
。シャイアンはトミーにせがまれて、トミーの歌に合わせて“This must be the place”を演奏をする。
何十年かぶりにギターを手にして音楽を弾く。
母子家庭だが、息子は父親の写真を持ってきて、父親に聞かせるように歌う。
シャイアンは父親のように伴奏をする。
シャイアンは、「息子のことを嫌う父親がいるはずがない」と気づく。
「きっと ここが帰る場所」
父親に屈辱を与えたナチの残党にも、帰りを待つ家族がいることを知る。たとえ縁を切って遠くの地で暮らしていても。
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