きっと ここが帰る場所のレビュー・感想・評価
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欠けたピースを求めて
特筆すべきは映像の美しさ。
自然を映し出しているだけのはずなのに、息をのむ美しさ。部屋の調度、佇まい。心に沁みわたる映像。それを眺めているだけでも惹き込まれる。
そこにスパイスのように組み込まれる登場人物のファッションコーディネート。予定調和的な場面もあり、トリッキーな場面もあり。
奇抜なファッションに、あの抑揚の声・言葉の発し方・話し方。間と表情。シャイアンが動き、話すだけでいい。
全てが計算されつくされたはずし方。
いつの間にか、シャイアンのように、ため息とともに、ふっと前髪に息を吹きかけたくなる。
たくさんの、欠けたピースを抱えて生きる人々が出てくる。
そんな人々を巡るロードムービー。
シルヴァスタイン氏の『ぼくを探しに』のような、
『あおくんときいろちゃん』のような展開。
そして…。
全編を通して、何か変な映画(主人公も、常に「なんか変」と言っているけれど)。
豪邸なんだけれど、廃墟?と言いたくなるような空っぽの家。
ある出来事から、ロック歌手をやめたはずなのに、当時のままの厚化粧。-化粧は心の仮面とも言う。その言葉を当てはめたくなる。
生気のない幽霊のような夫に、生命力あふれる妻。
人生を達観したかのようなシニカルなユーモアと、おちゃめないたずらっ子。
完璧にしつらえられていないからこそ、どこにでもある日常のようで、
緻密に完成された符丁合わせのようで、
何かのピーズが欠けているような寂しさが画面を支配する。
心が破裂しそうに、持て余してしまうほど一杯なくせに、心が空っぽ。
キャリーケースを引っ張って歩かなければいけないほどに。
あえて?間に合わなかった父の臨終。
そして、何かのピースを探しに行くかのように、旅に出る。
ロードムービーお決まりの、旅の途中で出会う人々。
父の意外なエピソード。
どういうわけか、シャイアンの中で腑に落ちた瞬間。
それまでうつつの中で焦点の合わない生を生きていたシャイアンが、現実に戻ってくる。
寂しさとキャリーバックを捨て去って。
なんて、粗筋みたいなものをさらってみても、わかった気になったようなならない映画。
あれ、どうなったの?等、回収していない伏線もあり、解説が欲しくなる。
けれど、要所要所でぽっと飛び出してくる台詞に魅了され、そこに哲学を見出したくなる。
実際に観て感じなければ、この映画は味合えない。
そして、リーフェン氏の役者魂。あのお年でも、映画に必要とあれば、あんな映像許すか。ペン氏は超ハリウッドのアクターなのに、場面によっては、醜悪と言えるほどの、皺のアップを許す。
感服、脱帽m(__)m。
もう唸るしかない。
心が満たされると、余計なものはいらない。
満たされた心だけで、充実する。
たばこは、大人の象徴というより、充実を伴う余裕の象徴のように見える。
そして、止まっていた時が動き出す。
ハマる人とと、心にシャッターが下りてしまう人に分かれる映画だから、評価は低め。
刺激的な作品です。
甘い甘い砂糖菓子の中にくるまれた、かなり苦い薬
ナチスによるホロコーストと、ロードムービーを通じた父と子のユーモラスかつヒューマンな和解物語を同じ映画で取り扱うなどという奇抜な芸当は、本作で初めて見た。
ホロコーストはユーモアなどと同居させてはいけない、という思い込みが当方にあったせいか、初めは非常に奇異に感じたものである。
例えばユダヤ人社会でこれを肯定的に受け入れたかどうか、何とも疑問に感じる。制作費2,500万ユーロに対し、興行収入1,200万ドルというのだから赤字もいいところで、興行的には失敗作である。恐らく「早すぎた野心作」というのが世界的な評価ではなかろうか。
その「野心」とは、戦後66年を経た2011年にもなり、いつまでもホロコーストを激しく追及するイスラエル、ユダヤ社会に対する穏やかな異議である。
もちろんナチスやホロコーストを肯定はしないまでも、永久に追及するのはおかしいのではないか。会話がズレまくるオフビートの笑いや、旅の途中で出会う奇抜な人々、ナチス親衛隊の家族たちの人間的な言動が醸し出すユーモラスな雰囲気の中から、監督たちのそうしたスタンスが浮かび上がってくる。
甘い甘い砂糖菓子の中にくるまれた、かなり苦い薬…それが本作である。類似の作品が多数制作されるようになれば、ホロコーストに対する硬直的で厳しい歴史観も、いくらか和らぐのではないか。そのように歴史観を動かしていく意図、野心が本作の核心にある。しかし、製作から12年近く経った現在だが、小生には違和感が残らざるを得なかったのも事実なのである。
ショーンペンがマドンナの元旦那て知ってる???
映画は、見る人の鏡?
何故に?この映画を?今見るのか?
何度も棚の前を通りかかり、目に触れる日も有れば、手に取らない日も有る。
だが、何故か?今回は本作DVD借りた。
10枚ジャケ借りなのにロードムービーが何作もΣ( ̄。 ̄ノ)ノ?
なんだ!?俺自身が・・なんか道に迷ってんのか?悩んでンのか?
特に、自分では意識もしてないが、深層心理で何か?
空気感?内容?とりあえず〜
日頃の自分なら絶対借りないであろう本作をチョイス。
テイストで言うと、コチラ暗い映画だ。
陰で暗で鬱屈?
全体的に漂うどよ〜んとした感じ。
なんやねん。
どないやねん(つД`)ノ?
☆評価は・・
DVD80円基準で(*^^)v
DVD買う度 ◎
モ1回見たい度 ◆
おすすめ度 **
デートで見る度 ◇◇
序盤かなりシンドイ!(*退屈過ぎる)
二時間?要るかなぁ!?
何故に借りたか?自身が分からぬ。
そして中身も?制作陣が何を伝えたいか?も分からぬ。
よって、レビューしといてアレだが、感想もモウ一つ分からぬまま*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
画面にあふれ出すシャイアンの感情
この映画を支えるものは3つある。
まずショーン・ペンの演技力。この大人になりきれないおかしな元ロックスターを演じられるのは彼だけだろう。序盤でシャイアンが変な笑い声を出したときから、観客は彼の虜だ。会話をしていてもボソボソと喋っているかと思えば急に大声を出す。その(いろんな意味で)スレスレの演技が映画の要となっている。シャイアンの混乱した感情をここまで丁寧に演じきるとは。一つ一つの表情や動きすべてに心が動く。あまりにも丁寧すぎて、人によっては感情移入できなくてつまらなく思うかもしれない。だが私はこれほどまでに魅力的なキャラクターを見たことがない。
2つめは脚本とカメラワーク。疎遠だった父親が長年追い続けていた元ナチス親衛隊の男を探しに行くという重いテーマを、見事に調理している。シャイアンという喜びと怒りを兼ね備えたキャラクターともフィットして、明るさと暗さが絶妙に混じり合った見事な構成を作り上げた。そこにひと味加えるのがワイドレンジを多用したカメラワーク。妙に広々とした画面の中にシャイアンが一人たたずんでいる。美しくも悲しい映像だ。これらの入り交じった両極端の感情がこの映画の最大の魅力だろう。
そして最後にトーキング・ヘッズの"This Must Be the Place"。デイヴィッド・バーン本人にもよる様々なアレンジを施したこの曲が物語のリズムを成している。感動的な歌詞も見事にストーリーとマッチしている。なによりシャイアンの内なる言葉をそのまま曲にしたかのような素晴らしいメロディが感動を誘う。デイヴィッド・バーンのライブシーンがなにげにこの映画の見せ場であることもミソである。
とにもかくにも、とりあえず映画館へ行ってこの映画を見て欲しい。言葉では伝えきれない様々な感動が「きっと ここが帰る場所」にはある。そして老いたロックスターの奇妙な道中に夢中になって欲しい。
(2012年7月15日鑑賞)
うーん、好みは大きく分かれる映画ですね
言いたいこと伝えようとしたいことが抽象的間接的すぎて、受けて(観客)の観察力と想像力にまかせてグングンと話が容赦なく進んでいったかな・・。
前に座ってた女性も、楽しみにしてたっぽいですが半分くらいは寝てしまってたかな・・・。
正直僕も一番最後の「探してた人」の小屋での話しのあたりはうかつにも寝てしまってました・・・。
途中で場内ウケてるシーンも何度かありましたが、個人的には多少クスっておかしく思えた程度でした。
音楽は確かに良かったですよ。
ショーペンの演技もところどころに人生に冷めてしまったユーモアや仕草がいかにも彼らしい雰囲気で良かったですが。
移動に使ってたピックアップトラック、途中のとあるアクシデントで色が変わりますが、あのあたりも不明瞭すぎるかな・・・。
(そのあたりももしかしたら少しウトウトしてたのかも・・)
個人的にはこの人の作品あまり自分には向いてないかな。ごめんなさい。
父と息子とは…。
示唆に富んだ台詞で綴られた一篇の詩のようなロードムービーです。ショーン・ペンは勿論、本人役で出演もしているデイヴィット・バーンの音楽も素晴らしい。このタイミングで母からは小包が父からは手紙が、また同じ日に届いた。父とは4年前33年ぶりに再会したきり。息子が理解できず手紙を書く。こちらも理解できないのだから当然なのに。そろそろ和解の道を模索しようかなんて思いました。おっと、今年見逃せない作品の一つだと思います。
ロードムービーの傑作
感受性は、自分で守らなければならない。
感受性が強ければ強いほど、それを入れる頑丈な器が必要になる。
「きっと ここが帰る場所」は、
過去の出来事への悔恨から逃れられないでいる中年の元ミュージシャンが、
自分ともう一つの家族の探索を通して、再生へと向かう物語である。
元ロックミュージックのスーパースターだった男(シャイアン)を
ショーン・ペンが演じている。
自分の感受性を守るために、シャイアンはできるだけ世間との関わりをなくしている。
シャイアンは妻とごく少数の友人たちとだけつきあう。
その一人がシャイアンと瓜二つのロック少女メアリー。
シャイアンにも少女にも、埋め難い寂しさが心を覆っていることが分かる。
メアリーには兄がいるが、3か月前に失踪し連絡が途絶えている。
2人はショッピングモールの中にある行きつけのファーストフード店で、
コーヒーを飲みながらとりとめのない会話をする。
シャイアンはいつも囁くように会話する。
「寂しさと寂しさは相性が悪い」とシャイアンはメアリーに語りかけたりする。
シャイアンの寂しさの正体が少しずつ明らかになる。
ミュージシャンとしての商業的成功をもたらした楽曲の暗鬱さゆえに、10代のファンの兄弟が自殺をしてしまったこと。
シャイアンは30年前にNYからこの兄弟が暮らしていたダブリンに移り住む。
それから、父親との確執。
シャイアンのもとに「父親が危篤」という知らせが届く。
映画は一転、男を “奇妙で切実な旅”へといざなう。
飛行機が苦手なシャイアンはNYに住む父親の元に、船で帰る。
家に着いた時にはすでに父親が息を引き取った後だった。
シャイアンは父親とうまくいかず、15歳のころからずっと父親から嫌われていると感じていた。
ダブリンに移り住んだ30年前からは、まったく連絡を取ることはなかった。
父親の葬儀に集まった親戚から、父親がシャイアンのことをずっと気にかけていたことを聞かされる。
父親の左手首に刻まれた数字が、シャイアンを旅に向かわせる。
父親はアウシュビッツ収容所に捉われていたユダヤ人の一人であった。
父親は、息子が去ったNYでの孤独な生活のなかで、自分に屈辱を与えた収容所の門番(ランゲ)を、執拗に追いかけるようになる。
シャイアンは父親が30年かけて探し出そうとした人物に会ってみようと、
わずかに残された手がかりを頼りに、NYを離れアメリカの南から北まで車で突っ走る。
まず、歴史教師のランゲの妻を探しあてる。
教え子のふりをしてランゲのことを聞き出そうとするが、うまくはぐらかされてしまう。
だが、そこで孫娘がいることを知る。
こんどは何千キロも離れたニューメキシコ州に住む孫娘レイチェルを探し出す。
シャイアンは、レイチェルとその息子トミーの家に何日か滞在をする。
この家でのエピソードがこの映画のテーマを表わしている
。シャイアンはトミーにせがまれて、トミーの歌に合わせて“This must be the place”を演奏をする。
何十年かぶりにギターを手にして音楽を弾く。
母子家庭だが、息子は父親の写真を持ってきて、父親に聞かせるように歌う。
シャイアンは父親のように伴奏をする。
シャイアンは、「息子のことを嫌う父親がいるはずがない」と気づく。
「きっと ここが帰る場所」
父親に屈辱を与えたナチの残党にも、帰りを待つ家族がいることを知る。たとえ縁を切って遠くの地で暮らしていても。
カートの中身は何か?
シャイアンが住む閑静な住宅街のすぐ横に、大きなスタジアムの屋根が見える。コンサートも開催されるであろうスタジアムと、今はまったく縁のない生活を送るシャイアンとのコントラストが、ロックを捨てた謎と寂しさを垣間見せる。
引きこもりの元スーパースターだが、決して暗くはない。広大な邸宅に妻と住み、その妻にハッパを掛けられながら送る日々を本人は嫌がってはいない。顔にはシワが増え、ビジュアル的には衰えてきたが、生活は荒んでいないのが救いになっている。変な目で見る主婦には悪戯で仕返しをし、音楽業界にも出入りがあり、株でも大儲けしている。
そんなシャイアンがもっとも苦手とするのが、父と飛行機。父親とは30年ものあいだ疎遠になっていて、そこに危篤の知らせが舞い込む。
それでも飛行機を拒み、船でアイルランドからニューヨークに渡る。
いかなるときもマイペースで、子供のような判断しかしないシャイアンが描かれる。
その父親の死後、生前に執念を燃やしていた事柄について知ることとなり、その件に決着をつける意を決したシャイアンが旅に出るというのが物語の発端となる。情報を手繰りながらアメリカを横断していくロードムービーだ。
本題に入る前のシャイアンはいつもショッピングカートを、本題に入ってからも作りのがっちりしたキャリーケースをガラゴロと引きずりながら歩く。
カートの中身は、シャイアンの重い過去なのだろうか?
人生の足枷を少しでも軽くするために、車輪の付いたカートを引いているのかも知れない。
ときどき唇に触れる前髪をフッと吹きつける仕草は、虚飾された自分を振り払おうとしているように見える。
ブルーの瞳が寂しそうだったシャイアンが旅から得るものは何かは、ここでは触れずにおく。
還ってきたシャイアンを見たら、妻のジェーンは喜ぶことだろう。ジェーンは、ずっと彼のことを叱咤激励して守ってきたのだ。
ショーン・ペンも巧いが、フランシス・マクドーマンドが逞しくも愛らしい妻を好演している。
時折、はにかむような「ふっ」という笑いをもらすシャイアン。ラストの「ふっ」は、同じくはにかんではいても、どこか誇らしげだ。もちろん、カートを引いてはいない。
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