「とりとめのない作品」009 RE:CYBORG tochiroさんの映画レビュー(感想・評価)
とりとめのない作品
この作品を観た一番の印象は「とりとめのない話だなあ」というものだった。
言いたいことは色々あるが、その中でも特に強く感じた2点に絞って書くことにする。
その1は「キャラを生かし(使い)切れていない」ということだ。サイボーグ009と言えばギルモア博士を中心に、9人のサイボーグがそれぞれの個性と能力を生かして戦うものだという思いが個人的にあるのだが、今回ギルモアは9人に召集をかけただけで、その後は実質的に何の役にも立っておらず、存在感が全くない。9人のサイボーグにしても007と008は最初にちょっとでただけで後は出番なし。この二人が姿を消したことの理由(必然性)も描かれず、これでは9人のキャラを使いこなす能力がないと思われても仕方ないだろう。また002の009に対する確執の元が「世界の警察(守護者)をもって任じるアメリカ人の自分がリーダーになるべきだ」という、009への嫉妬だったなどというのは陳腐すぎて理由にもなっていない。
その2は敵の正体があいまい過ぎるということだ。確かに昔のように「黒い幽霊」に人間の暗黒面を全て背負わせて、サイボーグ達は正義の味方で一般人はもっぱら被害者という単純な善悪二元論の描写は、今の時代では無理かもしれない。しかし冒頭の高層ビル爆破テロの犯人がアメリカとそれを操るイスラエルということが示されたと思えば、「彼(神)の声」がその元凶とされ、これは神との戦いを描いてくれるのかと期待すれば、結局「神の声」の言うままに人間をやり直そうとする人々との戦いになり、それもラストに至って「神の声」に唯々諾々と従うのではなく、神の声に逆らってでも未来を切り開こうとする人間の登場を期待する「神の試練」がその真意だということになってしまう。
一体この先サイボーグ達は誰と戦っていくのだろう。「神の声」に従って人間をやり直そうとする「良心的で従順な人々」だろうか、それとも理不尽な試練を与える「神」そのものだろうか。私にはこの作品で描かれたエピソード以降の展開が予想できない。
一体製作スタッフはどんな「サイボーグ009像」を持ってこの作品を制作したのだろうか。またこの作品を石ノ森章太郎が観たとしたら、はたしてどう思うだろうか。