メランコリアのレビュー・感想・評価
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ジャック・バウアーが薄情過ぎる
メランコリアは地球に衝突しないと余裕綽々も束の間で衝突確定したら奥さんも子供も置き去り!?
恐れをなしていたのはK・サザーランドのみなテイタラク。
最後は地球終焉で現実を受け入れる潔い女子たちの生き様。
地球滅亡がテーマでソコを中心に進んでる?関係無い内容が前半から続く。
オススメはしない
愛ではなく暴力を描く作品や、楽しさではなく悲しさを描く作品があるように、この作品は希望ではなく絶望を描く。おそらくこの作品を理解できるのは監督だけでしょう。彼の作品は大概その絶望を描く。難解な手法で。観る前からそれは分かっているし、観た後も、やはり訳が分からないし嫌な気分になる。でもそれは残酷な動画の再生ボタンをクリックしてしまうのに似ているのかも知れない。怖いもの見たさという言葉では説明しきれない、人の潜在意識にある死や絶望といった、日常では対極にしまいこんでおきたいタブーを少しだけ覗きたいという衝動に。
ところでシャルロットゲーンズブールの劣化は著しい。この劣化という表現を、人に対して使うのはあまり好きではないのだけれども、シャルロットフォーエバーとか生意気シャルロットとかを初めて観た時のことを思うと同じ女優とは思えない。
よくわからなかった
冒頭から不思議な映像が始まって。
いったいどんなジャンルなんだろうと思いましたがSFでしたね。
話の見えない話が続いて少し眠かったです。
登場人物もぶっ飛んでる人が多くて、それが終末だからなのか、元々の人間関係がそうさせるのかよくわかりませんでしたが、とにかくよくわからない不思議な話でした。
地球が滅ぶなら大切な人の側で終わりたいですね。
ついていけなかったけど
究極の終わり方
気が滅入るよ・・・
いやぁ、ラース・フォン・トリアー監督って、なんでこんなことを描こうと思ったんだろうね。この人って、なんかだいぶ変わってるような気がしますよ。実はむかし、むかしに『奇跡の海』を観て、その頃はなんだか基本的に悲惨な映画を見たなぁという感想であり、その後、なんとなく敬遠してきたんですよね、この監督。あんまり詳しくないですけど、なんか映画運動的なこともやっていたようだし、どうもその主義主張的な姿勢が重く感じられていたっていうこともあるのかもしれません。
それでまぁ、キルスティン・ダンストのファンということで、久々にこの監督の作品を見ることになったというわけであります。
で、確かにものすごくうまい監督なのだろうという感じはしました。ショットもキメキメになりすぎず、しかし的を外していない、なんかそうしたうまさを感じました。
でもさ、もう特にPART1がさ、気が滅入るっていったらないっすよ。なんだろ、この重さ。ラストシーンに何らかの希望を見出すべきなのかなぁ。なんかそれよりも結局、徹底的に人間が嫌いでしょうがないっていう感じが伝わってきちゃうんですよね。
この監督、確かにオリジナルなんだけど、さて、好きかと言われたら・・・って感じがありそう・・・ なかなか次の作品に手が伸びそうもないですわ・・・
よかった!
あっという間の135分
どうであれ、やってきてしまう
超ネガティブ映画です。
鬱々
トリアーの作品をいろいろ観てから鑑賞してください。
トリアー監督の作品はダンサーインザダーク、ドッグヴィル、マンダレイ、イディオッツ、このあたりは観たんですが、どれもすばらしく、ファンです。自分自身の中に無意識にあるゆがんだ道徳観をグシャッとひねりつぶしてくれる感じが、マゾ的な意味で大変気持ちいいです。特にドッグヴィルは秀逸でした。
そういった人間の闇の部分、底まで落ちたと思ったのにさらに存在したもっと深い闇、を作品ごとにどんどん掘り下げてくれます。このメランコリアは、ついには地球そのものを破壊してしまうのですが、僕としてはずいぶんロマンチックな結末を描いたなあと言う印象を受けました。本当は人類には逃げ場もなにもなく、ただ醜く生き続けるしかないことこそが本当の地獄であるはずなのに、この映画はスパッと息の根を止めてくれます。これを救いと受け止めてしまう人間は、トリアーの側の人間ですね。僕はDVDで見ましたが映画館で観たかったです。
次回作のニンフォマニア、期待しています。
甘美なる絶望
自らの鬱病経験を元に、絶望名人(!)トリアー監督の描く、甘美なる絶望。絶望は片思いに似ている。見終わるとその世界観に陶酔してしまうほど、この絶望は甘く切ない。
ワーグナーのオペラ『トリスタンとイゾルテ』の音楽に乗せた、冒頭8分間のプロローグ映像が圧巻だ。このスローモーション映像が本作の全てを物語る。くずおれる馬、がんじがらめの花嫁、空に浮かぶ2つの月。あまりの美しさに息を飲むと共に、この世界の虜になってしまっている自分に気づく。私の片思いの始まりだ。
物語は主人公である2人の姉妹それぞれの名前を付けた2部構成になっている。前半は妹ジャスティンの結婚パーティーが舞台。鬱という病を抱えたジャスティンは、結婚によって今の状況から脱出を計ったのだが、周囲の人々との精神バランスの差から、どんどん鬱状態に陥って行く。鬱病を知らない人々の「当たり前」が彼女にとってどんなに「キツイ状態」であるか、誰も理解してくれない辛さ。しかし“普通の”結婚パーティーに呼ばれたつもりの客や家族たちに、ジャスティンの奇行は、単なる「変人」にしか映らない(つまり悪いのはすべてジャスティン)。無理もない、誰も彼女の心の中を知らないのだから・・・。ただ1人、彼女を愛し理解している姉クレアも、大勢の客の対処に追われ、妹の行動にイラだってしまう。「時々、あなたのことが本当に憎くなる。」本音を言えるのは愛がある証拠。姉の言葉を責めることは誰にもできない。俗物の義兄や職場の上司、娘の結婚に最初から悪意を持っている母(シャーロット・ランプリンの存在感!)、状況を把握できない父、これらの心無い人々にがんじがらめにされる花嫁。笑顔の溢れていた幸福な花嫁が、数時間後には夫も職も失ってしまう様を観るのは辛かった。
後半は、重度の鬱状態に陥ってしまった妹の面倒を見ながら、地球に異常接近して来る惑星メランコリアに怯える姉クレアの物語。青く輝く惑星メランコリアが、“普通の人”であるクレアと、“絶望の人”であるジャスティンに間逆の影響を与えるのが興味深い。守るもの(=家族)のあるクレアは、メランコリアが近付くにつれ、軽いパニック状態に陥っていくが、守るものの何もないジャスティンは、メランコリアのエネルギーを吸収するかのように、日々活気づいていく。2人の対比が非常に良く描けている。地球滅亡はジャスティンにとって、今の状況からの脱出(それが最悪の状態でも、“今”から逃れられればそれで良いのだ。この気持ち、鬱を経験した人は絶対解るはず)に他ならず、惑星メランコリアは自分を救ってくれるヒーローでもある。深夜、全裸で川辺に寝そべり、メランコリアの青い光を全身に受けて恍惚とするジャスティンの美しさは、月の女神アルテミスのようだ。
「メランコリアは絶対に地球にぶつからない」と豪語していたクレアの夫は、妻も幼い息子も見捨てて、安直な逃避に走る卑怯さを見せる中(本作のキーファー・サザーランドはヒーローじゃない。24時間で地球を救ってはくれない・・・笑)、恐怖に押しつぶされそうになりながらも、家族のために食事の準備をするクレアの強さが印象的だ。刻一刻とその“瞬間”が訪れようとしている。
このラストシーンはある種のハッピーエンドと監督が言うように、こんなにも美しいのなら地球滅亡も悪くないかもしれない・・・、その瞬間に手を取り合う人がいれば尚のこと・・・。
スマートな 心のために 吹っ飛ばす
「奇跡の海」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」などの作品で知られるラース・フォン・トリアー監督が、「マリー・アントワネット」において印象的な演技を披露しているキルスティン・ダンストを主演に迎えて描く、壮大な群像劇。
ただただ、見事、としか言いようがない。シンプルに言えば、拍手喝采である。ここではっきりとしておきたいのは、作品の品質に対する純粋な賞賛という訳では無いことである。
では、何が見事なのか。何が拍手喝采なのか。答えもまたシンプル。映画という芸術を最大限に利用して、自らの中に溜りに溜まった欲求不満、余分な脂肪を徹底的にぶっ壊してしまえという欲望。
その源である作り手、ラース・フォン・トリアーの潔さである。
一人の女性が迎える、世界の終末。そんな基本的な物語のテーマを軸に置きながらも、決して作り手はそのテーマにのみ着地しようとしていないのは明白である。
一人の映画人として、堅実に名声を高めてきた作り手。当然、その中で溜め込んできたのは、作家としての創造力、富だけではないだろう。面倒な人間関係、周辺が自分の仕事にかける期待、執着、そして好奇の目。
作り手は、その多くの要素を本作で形を変えてさらけ出す。結婚式という様々な立場の人間が一度にあつまる舞台を設定して、そこに溢れ出すエゴイズムを淡々と、緻密に描写する。そこに、本当のテーマが見えてくる。
全部ここに、ぶちまけます。・・・で、全部吹っ飛ばします。
不安、疑惑。おまけに入り込むのは前作「アンチクライスト」で観客に植え付けてしまった「強い宗教観」という先入観。作り手はシャルロット・ゲンズブールを改めて起用することで、前作から引きずっているイメージを再度、物語の中に作り出す。一本の作品の中で、作り手が抱える感情やイメージの脂肪を凝縮して組み立ててしまうというところか。
さて、フィナーレである。巨大惑星メランコリアが最接近するその瞬間。多くの地球終末映画ならば、「私・・お父さんを愛していたわ」「私もだよ・・ジェシカ」な感動の和解世界が定説のように設定されるものだ。が、本作はそうはいかない。いや、そんなシーンは必要ない。そもそも作り手は全部、破壊することにしか興味がないのだから。ドラマはいらない。
宗教的な要素を強く印象付けるラストの描写の中で、迎えるその時。映画監督として、さらに前進するために。そして新しく創造していくために。今まで積み重ねた歴史を、先入観を、不安を力強く吹き飛ばす。完膚なきまでにぶっ壊す。そこには、あっけらかんとした解放感と喜びだけがある。
なんて気持ちが良いんだろう。なんて健康的な最期だろう。これぞ、究極のデトックス空間。さあ、スマートになった心をもって次の作品に挑み続ける作り手の荒ぶる意欲に、期待は高まるばかりである。
他人の結婚式ほど退屈なイベントはない
全米映画批評家協会賞にて、作品賞&主演女優賞の2冠に輝くなど絶賛されている作品なので、意気揚々と劇場に向かったのだが…。
つまんなかった…。
去年の『ツリーオブライフ』同様、キャストと冠の権威に安直に誘われるとロクな事ぁないっていう典型例。
ツリー〜が人類の誕生ならば、今作は人類の終焉がテーマと云えるが、その程良い中間点って無いものかね?
グダグダの自慰ワールドが延々続き、ドデカい睡魔にぶつけられた此方が悪夢の終焉ってなもんだ。
オープニングでの壮大なる衝突・爆発シーンで
「おぉ〜」
っと期待感が高まったものの、見応えは唯一そこだけだった。
あそこだけ観て帰りゃ〜良かったって今更ながら後悔している。
芸術性重視の『アルマゲドン』かなって切り換えて対応しようとしても、ずーっと結婚式で集うワケ有りの家族・仲間達のグチャグチャの泥沼模様やからね。
アンタらのいざこざなんざぁ知らんがな、とっとと死んどくれって了見である。
他人の結婚式ほど退屈なイベントは無いって改めて痛感した。
まあ、キルスティン・ダンスト嬢のオールヌード拝見できただけでも良しとするか。
意外と胸が大きく、美しい裸体だった。
スパイダーマン時代よりだいぶ可愛くなった気がする。
ので、そこのみ評価して20点
後は無い。
有ってたまるか。
そうやって妥協している自分がとてつもなく虚しい。
そろそろ自分自身も終焉時なのかもしれない。
では、最期に短歌を一首
『瞳を閉じて 蠍との距離 踊る花 愛して終わり 地球(ほし)もあなたも』
by全竜
劇場メランコリア。
久しぶりに途中退席をする人の数を数えてしまった作品。
いや、まぁ想像はしていたけど、爆睡過多になる可能性が
かなり大きいことは言うまでもなく…^^;
劇場内はいびきとお菓子袋の音しかしない(スクリーンが静か)
という、異様な静けさ&煩さだったけれど、身体がダルくはない、
(それは、寝てたからだろう!というご指摘、ごもっともです)
ただ劇場サイドに申し上げたいのは、今作をプレミアスクリーン
にて午後の回に上映するのは、いかがなものかと思いますよ。
さぁ~♪眠り~なさい~♪を助長している、と思うんですが…。
惑星メランコリア。
だいたいこのネーミングからして「憂鬱」になるでしょう…^^;
(梓みちよが頭の中でグルグル歌い出しちゃって、これがまた)
監督がそうだったから、こういう作品ができたの。はいいけど、
なんていうのかな、とても正直に描かれ過ぎてついてゆけない。。
異常が正常に戻れる世界が「滅亡」だ。という、かなり心理的な
メッセージが込められているのだが、強すぎるんだわ。病素が。
主人公の行動(家族のも)がいちいち気に障り、進まない展開に
眠くなってきて、ハッと目が覚めてもダンストのアップ。なんだぁ、
さっきから進んでないじゃんと思っていると、また眠くなるという…
どのくらい時間が経ったのかを尋ねたくなるダンスト感。
彼女がニガテ~っていう人は、目覚めが彼女ですから、要注意。
ただこう言っちゃ本当に失礼なんですが^^;
このメランコリックな表情を醸し出せる稀有な顔立ちかもしれない。
一番かわいそうなのは新郎だと思っていたけど、
あの人もダンストに、突然土地を買って、押し付けてましたね。
何しろ登場人物、父親も母親も姉も皆おかしい。
いや、姉はまだイライラしながらも、頑張っていた方なのか…。
いよいよ、という時になって夫はああいうことになるし、子供を
抱えて彼女も神経が参ってしまうワケですね…切に耐えた方が
追いつめられ、鬱に苦しんだ方が解放されるという、この矛盾…
でも運命って、正しい。間違っている。じゃないしなぁ。。
今作で、地球に惑星が衝突して滅亡する。というのは設定上、
心理的外傷を負った人間には、そのくらいの衝撃が加わらないと
すべてにおいて解消されないという、比喩みたいなものなのかな。
世界が滅亡するのにあの家族だけが対象となっている描き方も、
そもそもかなり狭い世界観の中で起きている事象であるという、
この世の終わり。なんていう台詞を個人的に言ってしまう概念。
心を病んだ人間には、どうにかして改善が望まれるだろうが、
それは個々の心理環境に基づいており、他人には計り知れない。
だけどそれだけ大きな不安に苛まれているから、もうそのくらいの
衝撃じゃないと「屁」でもないワケよ。とダンストに言われてるような。
どうして観ているこっちがこんな気分に!?そう思って
トイレに立ったアナタ、出ていかれたアナタ、帰ってしまったアナタ、
自腹料金を解消できなかったことで、メランコリーになりませんよう。
(可哀相な馬たちの、可愛い顔が目に染みる。しかし豪邸だったなぁ)
たいくつでした。
最初の映像は見ごたえあったよ・・・でも長い。
結婚式のシーン、花嫁が他人とアレしたりゴルフ場でアレしたり・・・長いな。
お姉さんが主人公のパートはお姉さんが右往左往するところがまあまあ・・・でも長い。
おっぱいに、0.5点足し。
まいった。。。
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