「甘美なる絶望」メランコリア Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
甘美なる絶望
自らの鬱病経験を元に、絶望名人(!)トリアー監督の描く、甘美なる絶望。絶望は片思いに似ている。見終わるとその世界観に陶酔してしまうほど、この絶望は甘く切ない。
ワーグナーのオペラ『トリスタンとイゾルテ』の音楽に乗せた、冒頭8分間のプロローグ映像が圧巻だ。このスローモーション映像が本作の全てを物語る。くずおれる馬、がんじがらめの花嫁、空に浮かぶ2つの月。あまりの美しさに息を飲むと共に、この世界の虜になってしまっている自分に気づく。私の片思いの始まりだ。
物語は主人公である2人の姉妹それぞれの名前を付けた2部構成になっている。前半は妹ジャスティンの結婚パーティーが舞台。鬱という病を抱えたジャスティンは、結婚によって今の状況から脱出を計ったのだが、周囲の人々との精神バランスの差から、どんどん鬱状態に陥って行く。鬱病を知らない人々の「当たり前」が彼女にとってどんなに「キツイ状態」であるか、誰も理解してくれない辛さ。しかし“普通の”結婚パーティーに呼ばれたつもりの客や家族たちに、ジャスティンの奇行は、単なる「変人」にしか映らない(つまり悪いのはすべてジャスティン)。無理もない、誰も彼女の心の中を知らないのだから・・・。ただ1人、彼女を愛し理解している姉クレアも、大勢の客の対処に追われ、妹の行動にイラだってしまう。「時々、あなたのことが本当に憎くなる。」本音を言えるのは愛がある証拠。姉の言葉を責めることは誰にもできない。俗物の義兄や職場の上司、娘の結婚に最初から悪意を持っている母(シャーロット・ランプリンの存在感!)、状況を把握できない父、これらの心無い人々にがんじがらめにされる花嫁。笑顔の溢れていた幸福な花嫁が、数時間後には夫も職も失ってしまう様を観るのは辛かった。
後半は、重度の鬱状態に陥ってしまった妹の面倒を見ながら、地球に異常接近して来る惑星メランコリアに怯える姉クレアの物語。青く輝く惑星メランコリアが、“普通の人”であるクレアと、“絶望の人”であるジャスティンに間逆の影響を与えるのが興味深い。守るもの(=家族)のあるクレアは、メランコリアが近付くにつれ、軽いパニック状態に陥っていくが、守るものの何もないジャスティンは、メランコリアのエネルギーを吸収するかのように、日々活気づいていく。2人の対比が非常に良く描けている。地球滅亡はジャスティンにとって、今の状況からの脱出(それが最悪の状態でも、“今”から逃れられればそれで良いのだ。この気持ち、鬱を経験した人は絶対解るはず)に他ならず、惑星メランコリアは自分を救ってくれるヒーローでもある。深夜、全裸で川辺に寝そべり、メランコリアの青い光を全身に受けて恍惚とするジャスティンの美しさは、月の女神アルテミスのようだ。
「メランコリアは絶対に地球にぶつからない」と豪語していたクレアの夫は、妻も幼い息子も見捨てて、安直な逃避に走る卑怯さを見せる中(本作のキーファー・サザーランドはヒーローじゃない。24時間で地球を救ってはくれない・・・笑)、恐怖に押しつぶされそうになりながらも、家族のために食事の準備をするクレアの強さが印象的だ。刻一刻とその“瞬間”が訪れようとしている。
このラストシーンはある種のハッピーエンドと監督が言うように、こんなにも美しいのなら地球滅亡も悪くないかもしれない・・・、その瞬間に手を取り合う人がいれば尚のこと・・・。