「見る者によって違う惑星メランコリアの正体と解釈」メランコリア マスター@だんだんさんの映画レビュー(感想・評価)
見る者によって違う惑星メランコリアの正体と解釈
地球と巨大惑星メランコリア。ふたつの天体の軌道が重なる。前途を失う馬と人間。狂いだす磁場と重力。本篇に先がけて超スローモーションで描かれたプロローグは圧倒的な美しさをもつ。サウンドはワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』のみ。荘厳で且つ切なく響き渡る。
本篇は、ふたつのパートに分かれ、姉妹の名をサブタイトルにして語られる。
豪華な結婚パーティーで祝福を受けながら、ジャスティンの心は塞いでいく。マリッジブルーなのか、それともメランコリアの接近のためか?
はたして、この作品における巨大惑星の接近は現実なのか、それともジャスティンの心の鏡なのか、どちらにもとれる。
そもそも、あのような惑星が恒星を周回する軌道から外れて、この太陽系にやって来るというのは現実的ではない。あの惑星もまた、同じところを周回することに疲れ果て、ジャスティンのように現実から逃避してきたのであろうか。
ジャスティンの指先から光が空に向かって抜けていくさまは、概念や慣習といった社会のしがらみから心が開放されていくようだ。
ジャスティンの姉クレアは、結婚パーティーに遅れてきた新婦である妹をたしなめる、極めて常識的な女性だ。夫は富豪であり、執事を置くような豪邸に住み、賢い息子にも恵まれ何不自由ない。妹の不調に一定の理解を示すが、夫や招待者の手前、妹の無礼ともとれる言動に怒りを覚える。
冷静で、賢妻・賢母のクレアからすれば、妹は勝手な人間にしか見えない。つい思い余って吐く。「時々あなたのことが憎たらしくなる」
いよいよ、さまよえる巨大惑星メランコリアが地球と衝突する危機を迎える。地球の最後かもしれない日、人は何を思うのだろうか?
ジャスティンは、静かにその時を待つ。何もかも放出して本来の姿になったかのように、慌てず落ち着き払っている。
対して、良識ある人生を送ってきたはずのクレアは、失うものの大きさにうろたえる。安定した世界に浸る心地よさを奪われる苦しみに耐えられない。
ジャスティンとクレアの魂が逆転する。
ジャスティンがクレアを優しく包みこむ。
再び、クレアが洩らす。「時々あなたのことが憎たらしくなる」
メランコリアとは人間を試すために現れた宇宙の“意思”なのかも知れない。