「じじい、おっさん、ぼうず、全ての男子に捧ぐ・・・のつもりが」ドライヴ しんざんさんの映画レビュー(感想・評価)
じじい、おっさん、ぼうず、全ての男子に捧ぐ・・・のつもりが
古典的ストーリー、60年代ふうのゴズリングの風貌、80年代ふうBGM、そして00年代ふうのキタノバイオレンス。
本作の主人公はただ、どういう仕事をしているかというだけの説明があるだけで、一切何者なのか分からない。
しかし主人公が何者なのか、など必要ない。
これはオトコの美学を想像しうる「雰囲気の提供」に全力投球した映画。
全ての男子、昔男子、今男子の既視感に訴え、主人公の内面をそれぞれが補完するようになっている。
それは孤高のヒーローであったり、トラビスであったり、デ・パルマだったり、武であったり。
そのため、この主人公の内面など存在せず、心情など車の中にも無ければ、車窓にもあるわけがなく、どこにも存在しないのである。
もっというと、それぞれの世代が補完できるように後半はあえて内面が崩壊している。
ゆえに本作の主人公は決してカッケー(ぷっ)オトコの話ではない。
何者かと言われると答えられないだろ?
当たり前である。
ストーリーは正直ひどい。
これは「雰囲気の提供に邪魔をしないようにわざと」じゃなく、ほんとに何も考えていないんじゃないだろうか。
だってあまりにもめちゃくちゃだもん。
オープニングは車内と車窓の風景しか映さない逃亡劇だが、それほどの緊迫感は無い。
ただし全編何かしら絶えず音が鳴っているが、うざいの一歩手前で緊張感の持続には成功していると思う。
80年代ふうのダサシンセは個人的に大好物。急に大音量になったりするのも懐かしい。けどカーチェイスの車と車がなでる音とかはちょっとうるさすぎたかな。
また印象的な点ではタケちゃんふうの最後のシーンのあとの影の使い方があったが、あれもはっきり言ってそんなに効果は無い。
オトコの美学の雰囲気にエロは必須のはずだが、エロがないのは、キャリー・マリガン出演決定の時点で封印したか?男子に捧ぐなら、エロはちょっとは要るよね。Vシネにもあるんだから。
ライアン・ゴズリングは古臭い感じがなかなかいい。
立ち位置としては、今後ポスト・ニコラス・ケイジとしてがんばってほしい。