コンテイジョン : インタビュー
もうひとつ、ウイルスの感染と同時進行で描かれる恐怖にインターネットの情報がある。その役割を担うのが、ブログに「伝染病を米政府が隠ぺい」などと書き込むフリー・ジャーナリストのアラン。演じるジュード・ロウは、「シャーロック・ホームズ シャドウ・ゲーム」の撮影と重なったため、約1カ月遅れでの現場入りを余儀なくされた。
「ジュード抜きで撮影し編集していたから、アランのキャラクターが必要かどうか常に考えていたけれど、キャストをオーケストラにたとえると彼はユニークな音を加えてくれる存在なので、いなければこの映画はうまくいかない、絶対に必要だと思うようになった。彼は、情報がオープンになった社会でいいことも悪いこともすべて表してくれるキャラクターだと感じた。どこか救世主的なところもあるしね」
正体不明のウイルスの発生も現実に起こりうるが、インターネット上ではんらんする情報の問題は現代社会においてさらに身近だ。映画の中でも、アランのブログによって人々がパニックに陥るシーンがある。それだけ危機感を抱いているのだろうか。
「制限するつもりはないけれど、インターネットは新聞や書籍などの活字と比べて責任の重さはあまりないと感じている。ネット上の情報が事実ではない、ゆがんだものであると分かっていても、皆が自分に関係のないことは意外に信じてしまい、そのソースがどこからきたものか疑問に感じないことを不思議に思っていた。それにゴシップとジャーナリズムは区別しなければいけない。アプローチとして見えるもの、知っていることに関してはすべて書くが、その情報が正しいかどうかを疑問に思わず、ひとつの側面でしか考えないというのは私の定義ではジャーナリズムではないと思う」
なかなか手厳しい指摘だが、そういう思いをロウの役に託し、リアリティを追求するあたりは一貫している。そのために自らカメラを持ち、編集でも20通り近いバージョンの中からえりすぐっていった。
「編集室に入り、構造を再構築するように作品をいじるのはいつもやっていること。ただ、この映画は90分だと自分でルールを決めていた(完成品は106分)。その中で、どの部分が生き残って使われるかは競争。最終的に残ったものが、皆さんに見ていただいたものなので、この映画としては最もいい形になったと思う」
落ち着いた口調だが、作品に対する確固たる自負がみなぎっている。監督として譲れないものを問うと、「コントロール(統制)」と即答。常に「ワンマン・ワンフィルム」をモットーに、映画の権限は監督が持つべきと唱え続けた名匠フランク・キャプラに通じるものを感じた。
「私は最初からラッキーで、契約がどうとか出資者を説得する力があったかどうかといったこととは関係なく、常に最後の権限を持つことができた。自分の好きな映画を10本挙げれば、9本までは監督が最終的な決断を下した作品だと思う。それに、自分の映画をいじったらそいつの家を燃やしてやるぞというくらいの気持ちを持つことも大事だよ(笑)」
48歳。これからますます熟練の域に入っていきそうで、既に次回作「Haywire」が来年1月20日に全米公開。その後も2013年公開予定でデイモン、マイケル・ダグラス共演の「Liberace」まで3本の監督作が控えるが、それをもって引退という噂も流れている。これに対しては「休暇に入る」とやんわり否定したが、意味深な言葉も残した。
「(『セックスと嘘とビデオテープ』で監督デビューした)22年前に比べれば、映画を作るということに関して腕はたけている。だが、何が自分にとって重要なのかと考えれば、その答えは今はない。だから、今よりもいい形で戻ってこられるのでなければ戻ってくるつもりはないんだ」
メジャー、インディペンデントを問わず自らの定めたテーマにこだわり、リアリティを突き詰め、エンタテインメントへと昇華させてきた、たぐいまれな才能を失うのは世界の映画界にとって損失だ。ぜひとも今後数年の間に、ソダーバーグの興味をひく題材が現れることを願ってやまない。