ものすごくうるさくて、ありえないほど近いのレビュー・感想・評価
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「ものすごいうるさくて、ありえないほど近いものとは」
さて、この映画、まずポスターで損してますね。
いくらでも感動的な場面を切り取れたのだろうに
何故にホラーチックなイラストを採用したのか真意が分かりません。
そして、それと同様に映画を観るまではタイトルも雑な気がしてました。
長ったらしいじゃないですか!
でも観終わって
このタイトルの方はこれでいいのかな。。って思えました。
今思い切って「鍵穴の向こうに」とかの邦題でも良い気がしますが。
で、作品の感想はと言われれば。。
全編を通して、泣きっぱなしでした。
こだわりの強い9歳の少年が
8歳の自分の娘とダブったこともありますが。
主人公である少年オスカーは「9.11」の事件で
最愛であり尊敬してやまない父を唐突に失います。
もともと
診断に至らない?までも
アスペルガー症候群的な挙動を見せていた少年は
音に敏感で、
人一倍繊細で、
人と話すことが苦手で、
心が弱い分攻撃的で、それでいて臆病。
そんな息子を心配して父は常に優しく、
そして深い熟慮を持って息子の成長を促していきました。
父が息子のために作るリアルなRPG「調査探検ゲーム」は
【個】にこもりがちな我が子の視野を外界に向けるために
ニューヨークを盤面に緻密に練り上げられ
その謎解きも佳境を迎えていきます。
父の作った「課題」を、人と接することで徐々に解き明かしていくオスカー。
しかし、そんな最中にあって、
人生の大切な案内役を突如として、不条理に失うことで
彼の精神が次第に壊れていくのです。
父が遺した「課題」の「答え」が分からない。
それ以上に遺体すら発見されず「父の死」をどう受け止めて良いか分からない。
けれど、ある時、彼は父が生前手元に温めていた
「nonstop looking(探すことをやめない)」という
新聞記事の切れ端とともに、ある「鍵」を見つけます。
そして少年は考えるのです。
この鍵に次の「答え」を解く手がかりがあるかもしれない。
探すことをやめない限り、父とつながっていられるかもしれない。
彼はこう言います。
例え太陽が今この瞬間、爆発しても
僕たちは8秒間、「失ったこと」に気付かない。
それは父を失った今の自分に似ている。
そして今、自分はまさしく8秒後を迎えている。
でも、この鍵の「鍵穴」を探しているうちは
8秒と言う時間は、もっと延ばせるかもしれない。。と。
なんとも健気な考えで泣きました。
異常なほど内向的なオスカーが
母の責め口調、マンション警備員の尋問、街の雑踏etc
色々な外的干渉 = LOUD を乗り越え
鍵に会う「鍵穴」を探す冒険を始めます。
父からの…最愛にして最大の「煩わしさ」でもあった
「怖さを乗り越えて進め」というメッセージを胸に抱いて。。
この映画「ものすごくうるさいもの」に関して
何を象徴しているのか…がこの映画の見方における最大の焦点だと思います。
それは電話の呼び鈴の音か
「ブランコ」に乗れと誘う父の言葉か、
うんざりするほど自分を案じる母の存在か、
周囲の干渉や同情の言葉か、
はたまた街の雑踏、電車の音、車のクラクションか
私は最後の冒険記のタイトルに付けた事もあって
「ものすごくうるさいもの」は
亡き父の「息子への言葉」ではなかったかと思います。
この映画を見ていたら、
娘に自己と向き合わせるような壮大な謎解きゲームを作りたくなりました。
親の知性と愛情が問われるような、
子供の成長、そして自立を促す長編RPGを。
泣いて頭がいたくなるほどでした
私は家族をなくした経験もないので、そういう意味での感情移入というのはあまりなかったのですが、パニック障害があるのでそういう観点で
この男の子にとって鍵の場所を探すということがどれほどの恐怖と困難を伴うものだったか?分かる気がしてすごく応援しながら見たのでした。
映画という性質上それぞれのキャラクターの奥深くまでは描けないにせよ、トムハンクス演じるお父さんは本当に愛すべき男性だということが伝わってきてよかったです。こういう役をいやみなくやっちゃうところがすごい俳優さんですね!
家族を亡くすということきっと一生かかっても受け入れるのが難しいこと。ただその人がいないという事実に慣れていくだけのことだと思います。
これからどういう生き方をするにせよ、少年にとってこの鍵の場所を探すというのは前に進むために必要な過程だったと思います。
お金を払ってカウンセラーをやらされた気分
とても重要なテーマを取り上げていて、優等生の映画だと思いました。
ただ、全体的に主人公の悩みや憤りが、一方的に観客にぶつけられているようで、
どうしたもんかと、複雑な気分になりました。
その割りに見終わった後の感動は、それほど大きくなかったように感じます。
311を経験してしまうと、やはり物語でしかないなぁ、と感じました。
“最悪の日”に、さよならを
この映画のタイトルが意味するもの。
それは、主人公・オスカーの五感に飛び込んでくる映像や音ではないかと思いました。
感性がとても特殊なオスカーには、様々な物事が何でもストレートに吸収されていく。それが、不器用だけど豊かな発想があるという個性を築いています。
でも、その個性によって“最悪の日”から、彼自身は内なる攻撃を受けます。
2001.9.11 朝━━
それ以降、雑踏や喧騒が目を、耳を、肌を容赦なく突き刺し、情緒を掻き乱す。オスカーはそれらを怖がるようになり、“うるさくて、近い”と感じるようになったのではないでしょうか。
自分のことを誰よりも理解してくれたパパ。怖いものに押し潰されそうになっても、パパは支えてくれた。
でも、そんなパパは“最悪の日”以降、もういない……。
父親の死から心を閉ざしていたオスカーは、父親の部屋で何かの鍵を見つけます。
この鍵穴の向こうに、パパからの最後のメッセージがある…!
そう信じて、手掛かりであろう“ブラック”をもとに、NY中のブラックさんを訪ね歩き、交流します。
途中から、祖母宅の間借り人のおじいさんも協力します。一切喋れず、すべて筆談で関わりますが、その表情は言葉以上の力を感じました。
涙が溢れてくるシーンは、いくつかあります。
9.11以降、生ける屍のように放心する母親に、父親の死の悲しみをぶつけ、冷たく当たるオスカー。
鍵穴探しに難航し、堰を切ったような早口で、間借り人に感情をぶちまけるオスカー。
そして、鍵の真実を知った時のオスカーの姿は、とても辛くていたたまれなかったです。
でも、母親はそんな息子を優しく受け止めました。何も知らないようでも実は、オスカーをちゃんと見守っていたと気付いた時は、温かい気持ちになりました。
この映画には、鍵の他にも重要なアイテムがあったと思います。オスカーがお守りのように持っているタンバリンです。
情緒を安定させるための必需品で、大部分で断続的にシャランシャランと鳴り響いていました。
でも、最後には鳴らなくなりました。
きっと、“うるさくて、近い”から克服できたことを示しているのでしょう。
また、その努力の結晶が、こじつけ感アリアリですが、父親が出した謎である、“第6行政区”の答えではないでしょうか。
オスカーが“最悪の日”に手を振って、さよならと言えるまでの、長く不思議な旅でした。
亡くなった魂は死後も生き続づけ、遺族をきっと護り導いていてくれているだろう
映画フリークの私としては、アカデミー賞に関係する映画は一応観て置きたい衝動に突き動かされるが、この映画を観るには相当迷いがあった。あの911事件から僅かに10年しか時が経っていない。私は、被害者遺族でもなければ、アメリカ人でもないが、あの事件の後も幾度もNYを旅して、決して被害者遺族のみならず、あの日、NYにいた人々であの悪夢の影響を受けてなどいない人は恐らくいないと言う事実を知ったから。
事件後、911の恐怖がトラウマとなり、その後の人生を辛い想いの中で現在も生きている人に何人も出会った。その後、アフガニスタンやイラク戦争へとその被害は拡大され、イラク戦争などで亡くなられた人命は数え切れない。その遺族の事を思うと冷静に映画を物語として観ている事が難しいのだ。
あの911には謎が多く、陰謀説なども存在しているが、その総ては‘藪の中’であり真実が明らかにされる日が巡って来るのは、きっと遠い未来の事だろう。
公式発表では、2753名の方が亡くなり、うち日本人は24名と発表されているが、その亡くなられた方々全員に、家族があり、友人・知人がいるのだ。そしてその被害者を知る人達の多くが、今もその苦しみを克服しながら懸命に毎日を乗り越えようと生きている事実があるのだ。
この映画は、特別に911で父を亡くしてしまう息子のドラマでなくても、父と息子のドラマとして存在は出来なかったのだろうか?
しかし、その一方でオスカー少年と変わらぬ想いで暮している現実の遺族も、必ず何処かにいるのだろう事を想う時、決してこの、忌まわしい事件を埋もれさせてはいけない気も同時にする。
そして、この映画の唯一の救いは、亡くなってしまった父親の存在が、そこで終わってしまうのでは無く、遺族の心と暮らしの中で、今も共に存在し、悲しみの原因ではあるけれども、同時にその死が遺族との関わりを絶ってしまう別次元の世界の出来事ではなく、遺族への愛を立派に育んでいて、ついにはオスカーの希望へと昇華している事だ。ラストのブランコを懸命に漕ぎ続けるオスカーが心に焼き付いた。
オスカーを演じたトーマス・ホーン、そして間借り人のお爺さんを演じるマックス・フォンシドーがこの映画の命であったのは確かだ。彼らの素晴らしい感性無くしてはこの作品の成立は無かったと思う。
オスカーが、このお爺さんを、家に呼び入れた時に、オスカーと父トーマスの写真がリビング置かれている、そのアップショットで、私は涙が溢れ出し止まらなかった。
オスカー少年が鍵を探している事を知った母親が、内緒でブラックと言う苗字の家々に先回りしていたと言う話しは、少しばかり出来過ぎているようで、そんな話しにしなくても良かったのにとも考えるのだが、そんな事にナンクセを付けようする自分の小ささに嫌気がさした瞬間でもあった。
何故911のような人災が起きてしまうのか、その原因の特定はとても一口で簡単には語れないだろう。真実が明かされるのも、ずっと先かもしれない。
しかし2度とこのような惨事が、この地上の如何なる地域でも起きない事を願い、911で他界された被害者のご冥福とご遺族の今の日々が安らかである事をお祈りしてレビューを終わる事にしたい。この映画を制作してくれた事に感謝を捧げたい。
間借人に完全しびれました
愛する大事な人を唐突且つ永遠に失う事は何て残酷で痛いんだろう。
トムの演じた父の愛はどこまでも大きく、少年の傍らに“ものすごく”近く、サンドラの母は“ありえないほど”(同じ母として私にはここまでの力はないと感服)深く、強い。
主人公の少年の演技力はもちろん卓越しています!!!!
が、私はこの両親に泣きました。
そして両親をも凌ぐ、素晴らしい存在が“間借人”…心にしみました。もっていかれました。
辛い内容だったけれど観てよかったです。
ニューヨークのブラックさん達(拒否した方も)私からもお礼を言わせて下さい。
絶望、そして希望
阪神淡路大震災から15年が過ぎて「劇場版その街のこども」が上映された。そして2001.9.11から10年が経ちこの映画が作られた。未曽有の悲しみを負った遺族の絶望感、恐怖、不安を映画にするにはこれだけの時間が必要なのかとあらためて感じた。この映画がこの時期に公開されたことは、とても重要ではないか。日本はまだ悲しみから抜け出せないでいる。当然だ。家族を亡くした悲しみは消えないし、失ったものは返らない。解決などないのだ。唯一あるとすれば、自分の力でそれを乗り越えることだと、この映画は教えてくれる。そしてそれを陰で支えてくれる人がいることも…「日本もいつか立ち直り、振り返れる日が必ず来る。だから今はたとえ意味のない扉だとしても、探して開けてみろ、怖いけど勇気を出して橋を渡ろう。先に渡った僕らが言うんだから信じて踏み出してみよう。必ず出来るから」この映画はそう伝えているように思えた。この映画の日本公開に感謝したい。
違和感
9.11で父親を亡くした(たぶん)アスペルガーの少年が、
悲しみを乗り越えてゆく。。というのが、おおまかなストーリーです☆=
脚本として、言いたいことはよくわかるのだけれど、
アスペルガーの少年を主人公にしたことで、
逆に暖かさのようなものが薄れてしまった気がします。
アスペルガーを理解していないと、わかりづらいところもある半面、
映画の中のアスペルガーの描写そのものに、疑問がある点もありました。
良かったのは、やっぱりトム・ハンクス演じる父親と、(老人)の心の暖かさです。
いつものことながら、トムの演技は本当に素晴らしかったです!!♪
逆に、サンドラ演じる母親が、実は器用に手をまわしていた。。という愛情の示し方は、
「対等に扱って」という少年の心の叫びを、無にしているようで、好感がもてませんでした。
父親の、「この子が最初に恋する相手は・・」というセリフ、
そのひとことで、映画すべてが救われた気がしました。 ^-^
対峙して受容する。
試写会にて。
監督がS・ダルドリーということでかなり期待してしまった。
9.11で大好きな父親を失ってしまった少年の心の変遷を、
繊細すぎるほどの描写で丹念に描いた作品。
T・ハンクスとS・ブロックというコメディなら大成功役者を
夫婦役に抜擢しながら、彼らの見せ場は皆無というくらい^^;
少年役のT・ホーン君のまさに独壇場的な場面がほとんどだ。
この演技未経験?な男の子の天才的小生意気演技は凄い。
クイズ番組優勝経験で抜擢されたという頭の良さが伺える。
しかし冒頭から知的な会話ばかりが埋め尽くすテンポの速さ、
心温まる父子関係を想像していた自分は肩透かしを食らった。
えー。なんかT・ハンクスらしくないな。
S・ブロックにしても見せ場があるのは最後の最後くらいで、
この息子がなぜこうなったのか(元々の性格云々においても)
まったく見えてこない。夫婦の葛藤も。家族の背景も。
突如父と子の「第6区」探しが始まり、唐突に「あの日」が訪れる。
向かいに住む祖母と謎の間借り人、少年を支える人間は多い。
が、この少年にはトラウマともいえる「あの日」の記憶がある。
それが何なのかを探し当てることが
少年にとっては父親との「穴」を埋めるカギであり、
観客にとってはこのクソ長いタイトル(汗)を解くカギになる。
ビルから落下する父親の映像(確実ではないが)を映し出す
シーンはこの上なく辛い。
一家を突然襲った不幸は、幸せだった少年の心を痛めつける。
極端に神経過敏で他人との距離を巧くとれないこの少年の
唯一の味方で理解者がこの父親だったのだろう。
その父親亡きあと、彼に同じような温もりをもたらす人物は、
ある程度の謎に包まれているが、この作品の謎は何といっても
このタイトルなんじゃないかと私は思う。
原作を知らないので作者の意向は分からないが、
私にとってのタイトル通りの存在といえば「親」である。
どうふり払おうとふり払えない。遠く離れようと心は離れない。
(声を発しようとしまいと。シドーが最高に巧い)
常にうるさくてありえないほど近くにあるのは、その存在と記憶だ。
死者の記憶は消せるものではない。
というより、消してしまうものではない。
自分が受け入れられる時期がくるまで苦しみは続くと思うが、
自分にとって大切な存在は記憶になっても大切な存在なのである。
哀しみを心強さに置き換えて、いつも自分を見守ってくれている
心の中の存在、ものすごくうるさくて、ありえないほど近い存在で
あり続けるべきだと私は思う。
あんなに苦しんだ少年が初めて安堵の表情を示すラストの場面で
彼は誰にそれを見せたか。
いちばん大切なひとって、ちゃんと傍にいるんだよ。。。
(傷みを知れば成長もできる。頑張れ少年!お父さん見守ってるから)
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