「象牙の船と銀の櫂」北のカナリアたち つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
象牙の船と銀の櫂
クリックして本文を読む
実際のところ、旦那が「これなんかどう?」と提案してくるまで全くの射程外だった「北のカナリアたち」。
湊かなえは結構好きで色々読んではいるものの、原作も未読。予備知識ゼロ、ゆえにむしろ素直に作品を堪能出来たと思う。
劇中歌われる「かなりや」は西條八十の作詞である。糊口をしのぐため天ぷら屋を経営していた八十へ、鈴木三重吉が雑誌への寄稿を依頼し、掲載されたのが「かなりや」だった。
八十自身の思いは「かなりや」と重なり、歌(生きる意味)を忘れたカナリアは象牙の船と銀の櫂(詩作に打ち込み発表する場所)を与えられ、再び歌を思い出す。
それはまた、映画とも重なっている。
毎日が楽しかった、生きていく事に何の絶望もない、素晴らしい世界。その世界が崩壊してしまったら、打ち捨てられるしかないのだろうか?生きることは苦しみの繰り返しなのか?
雪に覆われた離島に厳しく吹き付ける横殴りの海風が、人生の辛さを見せつけるように画面を覆う。
いや、そうじゃない。「あなたが生きている」それだけで救われる思いがあること。それだけで報われる命があること。「あなたに生きていて欲しい」そう願う人がいること。
はる先生は生徒たちにそれを伝えたかったのではないだろうか。春の野原に響く歌声を取り戻して欲しいと、もう一度みんなと歌いたいと。
それは象牙の船となり、生徒たちに歌を思い出させてくれる。
究極言うと、この映画のテーマはそこに尽きる。後のことは些末な味付けに過ぎない。
「生きていて良いんだ」と思えること、「生きることは喜び」という単純だが奥深いテーマを最後まで描ききった良作だ。
コメントする