無言歌のレビュー・感想・評価
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何故人は生きるのか
また何故人は生きることを許されなかったり諦めねばならないのか。
程度の差はあるとしても、人の命人の存在よりシステムの方が上位となりそのシステム下で、致し方なく蔑ろにされ生きる権利を何の疑問も抵抗となく奪われることは、この時代の中国だけではない。システムもまた人が作り動かしているもの。
反右派闘争
そのあとこの国はもっと激烈な不条理システムに治められることになるわけだけど、この反右派闘争の強制移住、労働、学習では砂漠を開墾。食糧危機の中広すぎる大地の、この砂漠を開墾しようとして、日々死んでいく人たち。都市部からきたインテリ、専門職の人たち。
上海から妻が会いにきた男はしんでいたが志願者のようだった。
あまりに貧しく厳しい自然と過酷な体制、システムにうなだれ無気力になり無体力になり死んでいく。
元気や感覚があるうちは、仲間と話す。妬み嫉み誹謗やら、互いを気遣い叱咤し連帯し何とか生きて帰ろうとする。
会話以外に聞こえるのは決して止まない砂漠、荒地に吹き荒ぶ容赦ない強風の轟音のみ。
鳴り止まない、風の音。ごーごーと。
ニーチェの馬のよう。
程度の差があるとしても、他人事ではないだろう。
今はもっと巧妙だろうか、しかし人を人として扱わない仕組みはさらに残酷だろう。
この事実のことをこのようなリアリズムに徹したドラマにし涙するスキも甘えも与えず描いたワンビン監督の集中力、勇気、責任。脱帽する。
広々とした青空の下で起きていたこと、そして今もなお・・・
1 建国間もない中国において、僻地の収容所に送られた人々の姿と人間の尊厳を描くドキュメンタリードラマ。
2 政府の巧妙な誘いに乗り意見具申した所、反動分子とされた人々。多くは知識人層。建国を祝い、国をより良くする気持ちがあだとなり収容所に送られる。
そこは、土中の横穴式塹壕からなる死の施設。劣悪な環境と食糧事情から、誰もが病気や飢餓で衰弱していく。他人の吐しゃ物を食べる者、枯れ草から実を取る者、墓荒らしや人肉喰い。誇りや尊厳は薄れていく。死ねば持ってきた布団に包まれ、砂漠の傍らで墓碑銘の無い土饅頭とされる。何処に誰が埋まっているかはわからない。
3 そんな中、夫に面会に来た一人の女性の登場により、映画の様相が変わる。そして、夫を想うこの女性の気持ちの強さが、ある男に勇気と人間性を取り戻させ、男は死地からの脱出を試み、夜半に足を踏み出す。
4 劇映画ではあるが、余計な演出や音楽を排し、淡々と人物描写に徹している。セリフやライティングは少なく、自然音や生活音が取り込まれ、野外撮影では空を広く写し撮り、記録映画の雰囲気を創り出していた。
5 収容所から脱走した男は、恐らく無事逃げ切り、そのことで収容所の実態が明るみとなり本作に繋がった。この収容所は、1960年の頃のことであり、別の映画「馬三家からの手紙」では、2000年代の収容所の存在を明らかにした。また、中国では今だに、政府にとって不都合な真実を知る人間が突然姿を消すことが平然と起きている。時代や体制が変わっても彼の国の抑圧体質は何も変わっていない。
ドキュメンタリー監督だけあって、映像や展開などはドキュメンタリー...
ドキュメンタリー監督だけあって、映像や展開などはドキュメンタリーなのではないかと見間違うほどの作品。スターリン批判の影響もあって、中国においても百花斉放百家争鳴が提唱されたが、そこで意見を述べた知識人たちが“右派分子”として粛清され、強制労働を強いられる再教育収容所へと送られた。中にはこのドラマのように、本当の右派ではなく、単に意見を述べただけのものもいたことは想像に難くない。
塹壕掘りの強制労働の中、食うモノもろくに与えられず、疲れ果てた体はネズミを獲って食べたり、草をお粥の具にしたりと過酷な状況。もっとも悲惨に思えたシーンは、仲間の労働者が吐いた穀物を拾って食べる老人・・・食欲がなくなること間違いなし!さらに、衰弱して死んでいく者も多いが、その死体が埋められている墓(とはいっても、広い荒野にぽつりぽつりと墓標を立てるだけ)を荒らして、人肉を喰らう者までいる始末だ。さすがにその映像はなかったが・・・(汗)
物語は、衰弱して死んだドン・シェンイー(ヤン)の妻グー(シュー)が収容所を訪れるといった展開で、遺体を返して欲しいと泣き叫ぶが、荒野のどこに埋められているのかわからない状態で、狂ったかのように夫の遺体を捜す姿が痛々しく描き出される。
ストーリーとしては雑然としていて、夫の遺体を捜す妻の物語から一転して脱走する二人を描き、そして死者が多くなったため収容者を帰国させるまで。虚しくさせるだけの映画だ。
ドラマでもなく、ドキュメンタリーでもなく
毎度毎度、「邦題」というのはよく考えてるもんだな、と思う。
文化大革命時代の思想矯正のための強制収容所に送られた人間がどう生きたかが描かれた映画。
そう聞けばいろいろ想像するし、そのための味付けには、実に絶好な邦題といえる。
しかし、作品が始まり目に入ってきた英語のタイトルは「THE DITCH」というもの。意味は「溝」だ。
中国語タイトルは「夾辺溝」と、その収容所のあった地名と収容者が暮らした「溝」のこと示しているのである。
監督の王兵はすぐれたドキュメンタリーを撮っている監督らしく、これが劇映画としては初の作品なのだという。
なるほど…。
しかし、劇映画としてのこの作品の魅力は私が記した程度でしかない。
登場人物の視点がぶれていて感情移入ができず、おもしろみがないのだ。
見る者にはただ「過去にこういう過酷なことがあった」という事実をテキストでなく映像で見せたというだけの作品だ。
劇映画を撮るなら、ドラマチックに、演出過剰になるくらいにしないと。
現代中国の暗黒史に興味がある人は見に行くべきだが、そうでないならお金を出してまで見るほどの作品ではない。
ただ、日本が戦後復興、高度経済成長へのホップ、ステップ、ジャンプをしていた1960年代に、隣国ではこういうことがあった、という事実は知っておくべきだろう。
それは、日本人だけでなく現代中国に生きる人すべても知っておくべきことだ。いや、知っているからこそ、目を背ける人がまだまだ多いのだろうか。
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