ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qのレビュー・感想・評価
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評価するに値しない
内容に山もなく
オチもなく
意味もない
まさにヤオイ映画でした
前作劇場版から新たな展開と作られた今作品ですが
新たな展開にするにあたってその説明を全くしないという
奇想天外な手法を容易ています
結果、視聴者が内容を理解できない作品になっています
前作やTVシリーズを見ていてもわからないキーワードが盛りだくさんで
それを想像しつつ映画の内容を理解することも不可能
あくまで旧劇場版やTVシリーズ見ていて理解出来る内容なのに
それすらできなくなってしまった今回の劇場版
視聴者がどこに視点をおいて良いかも解らず
コレを見て面白いといえる方の脳みそを疑います
そして、監督の人にものを見せるという
姿勢にかなりの違和感を感じます
これだけ風呂敷を広げて次回作で収束させることはまずムリでしょう
収束できたとしても、ちゃぶ台をひっくり返すことになると予想します
もう見るに値しないと判断しましたので次回作を見るのは
DVDが100円になってからでしょう
再投稿(修正)-新生ヱウ゛ァを見守っていこう!
これまでのエウ゛ァは、「人類補完計画が実行され、古い世界の破壊→新しい世界の創造が始まった(?)…」で話が終わってました。
で、新劇場版ですが、私は「もう一つの歴史」・「もう一つのエウ゛ァ」に期待しています。すなわち人間が思い描く形での「古い世界の破壊→新しい世界の創造」が進行していかない・実現していかない「時間軸」です。
人間ごときが世界を壊したり作り替えたり「創造」したりできるとするのは危険な考えだと思います(ゲンドウの発想はまさにこれ?)。一方ゼーレは「神との契約を忠実に実行しよう」としているわけですが、神(存在するとして)が人間ごときとそんな契約を結ぶなんていうことはありません。宇宙論的スケールで言えば、人間はただの「生きもの」である点において他の生命体と平等です。
物語の枠組みが「新世紀」で始まっていますから終末論的な話になるのは仕方ないとは思いますが、この時間軸の設定がそもそも「人間中心主義」なのです。
「人間中心主義」から脱却しつつ、我々「人間」の真の「希望」をどう語っていくのかが、あれから15年余り経過した現在の庵野さんが考えていることなのかな?と思います。となれば、Q(急)のあの転換は、ある意味必然でしょう。
これまでの話の進行で散りばめられた材料の全てが「回収」「解明」されなくてもいいじゃない!と、私は思います。エウ゛ァのファンならば、いまの庵野さんが考えていること・伝えたいことを最後まで受け止めていきましょうよ。そのうえで、旧エウ゛ァを振り返り・懐かしみつつ、庵野さんの現在のメッセージに耳を傾けましょう!
というわけで、庵野さん、ガンバレ!
※以下は前回の投稿です。
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「人間は世界の主人公ではない」
一応「エウ゛ァ・ファン」のつもりなので、この作品をダメ!とか言うつもりはないです(それなりに面白かったので)。その上で、エウ゛ァは「卒業するもの・懐かしむもの」だと感じました。
まず、世界が終わる…という終末観は、人間の勝手な思い込みです。神(存在するとして)は人間の善悪・歴史の善悪など判断しませんし、地球上の生命体のなかで人間が特別なわけでもありません。すなわち、人間は「世界」の主人公ではないし、「世界」は人間の所有物でもないわけです。また、宇宙というスケールで考えれば、人間(そしてその他多くの生命)が暮らす地球も、小さな小さな「一つの惑星」にしかすぎません。
人間の思いなぞお構いなしに、自然(神?)は気まぐれに災いをもたらしますし、その訪れは善人・悪人平等です。更に言えば、そもそも自然は、人間と人間以外の生き物を差別・区別したりしません。
ゲンドウ(またはゼーレ)が何を企もうが、それを誰かが阻止しようが、人間の力が所詮矮小ななか、本来ならばそれは「人間同士の勝手な猿芝居」にしかならないハズなのです。1995年3月の地下鉄サリン事件(因みにエウ゛ァのTVシリーズは同年10月から放映開始)は、その茶番劇(とは言え、と言うよりそれゆえに、悲劇でもあります)の一つでしょう。
ただし、今後人間が「生命のからくり」に迫っていくなか、「神が(今度こそ)殺される」という事態に陥る可能性は、現状でゼロとは言えないかもしれません。
もし「世界をリセットする」というゲンドウ(そしてゼーレ)のセンチメンタリズムが生命を巡るテクノロジーによって現実化し得るという設定ならば、それに異を唱える人達たちの行動に合理性を見出だすことは出来るでしょう。
自意識過剰な少年(少女も?)は、時として「こんな世界、1回無くなってリセットされちゃえばいいのに…」とカタルシスを求めたりしますが、人間には本来「世界を終わらせる」力なぞありません(そのハズです)。逆に、人間が「壊したくない」と思っても、例えば巨大隕石がたくさん落ちてきて「世界がリセット」されてしまうことはあるでしょう。
だからこそ人間は、自然と向き合いつつ、知恵と工夫と連帯をもって、(時に互いに争ったりもしますが)共に生きていこうとするのです。
テレビ編から始まって、どエラく風呂敷が広がってしまった感がありますが、「父と息子、そして母」という関係性だけで「世界全体を飲み込む」ことは出来ないハズ。一方、アスカの描かれ方がテレビ版(後の映画2本含む)から大きく変化しているところから、庵野さんのスタンスも、この15年余りで大きく変化していることでしょう。
揚げ足取りなんかするつもりはないので、庵野さんには「本当に表現したいこと」を存分にやってもらいたいです。で、欲を言えば、あとで見返したとき「俺にもこんな頃があったっけ…」だけでは終わらない、新たな発見が出来るような、「歴史の重みに耐えられる」良い作品を作ってもらいたいです(ちなみに1stガンダムは、いま見ても「再発見」があります)。
次回作、期待しています。
11/20に見ました
急展開のキュウ、クエスチョンのQ
やっぱりエヴァだった・・・ということか
社会現象にまでなったアニメ「エヴァンゲリオン」の新シリーズ第三弾です。今作はいきなりの急展開が繰り広げられます、それはいい意味でも悪い意味でも・・・。
あの新展開をいれたことには別にいいのですがどうも無理のある個所が見受けられる気がしました。私の情報不足なだけなのかもしれませんがところどころ「あれ?そいつって本なんか好きだっけ?」というようなキャラクターや「前作の最後のシーンはなんだったのか?」などいろいろ疑問に思うシーンがちらほ。シンジをあの状況に追いやるための段取りとは言えどせっかくの前二作の魅力的な設定が崩れてしまっているような気がします。あまり言うとネタバレになっちゃうんですが。
旧「エヴァ」シリーズからのファンの方なら今作の急展開には実は裏があるのではと予想したり(ネットで言われているループ説など)次の完結編が出るまではとりあえず今作に関しては様子見するなどができるかもしれませんが、新劇場版シリーズしか知らない方なんかは今作を見てポカ~ンとするか次作を見る気力が失せてしまうのではないでしょうか。つまり今作は「エヴァ」ファン以外の方はお断り、初心者切り捨て同然の作品だったとおもいます。
しかし決してつまらないわけではなく思わず目を引くアニメーションや世紀末的な世界観などアニメのすごさを思わされるものがたくさんありました。
大スクリーンで見るには申し分ない作品ではあったと思います。
旧「エヴァンゲリオン」シリーズと新シリーズを合わせても今作は決して出来のいい作品とは思えませんでしたが、なんだかんだで完結編が気になってしょうがない。これが「エヴァンゲリオン」のすごさ、というより庵野秀明さんの魅力なんでしょうかね。
別物です。
鑑賞前のあなたへ。
これから「エヴァンゲリヲン新劇場版:Q」をはじめて鑑賞する、あなたへ。
このテキストにネタバレはありません。
鑑賞前の注意のみ述べます。
鑑賞前に、覚悟を決めて下さい。
何が起きても決して動じない覚悟を。
全く新しいエヴァンゲリオンが巻頭からぶちまけられます。
だから、覚悟して欲しい。
衝撃に備えて欲しい。
しかし思い出して欲しい、エヴァンゲリオンとは、何度も繰り返すこと。やり直そうと、もがき苦しみながら前進を試みる物語であったことを。
理不尽な拒絶、残酷な現実に抗い、立ち向かい、どんなに無様でもみじめでも立ち向かい、生きて行こうとすること。それこそがテーマであり、散りばめられた思わせぶりな謎も伏線も、単なるガジェットに過ぎなかったことを。
四部作の中にあって、「Q」の役割は「断絶•変調•再編」。
だからこそ「redo」なのです。
鑑賞のポイントは、碇シンジ君。彼もまたその「状況」に突然放り出され、ポカーンとする間もなく物語に追い立てられて行くからです。
演出サイドは、意図的に、観客がシンジ君の視点で鑑賞することで、突然の「異世界」を徐々に受け入れられるように「全てをシナリオ通りに仕組んで」います。
突然のことに呆気にとられるかも知れないけれど、どうか碇シンジ君の背中を追いかけて行って欲しい。
Qにおいて、物語はあえて観客を放り出します。理不尽でもなんでも、説明があろうとなかろうと、理解できようとできまいと、そういう状況に居合わせてしまった、関わってしまった、その中でもがきながら、わからないなりに、前だと思う方向へ進んで行くしかない。
ここに制作者の意図があります。
なぜ、あえてこんな構造を採用したのか。
東日本大震災に対する、物語の語り手としての、ひとつの回答、なのかもしれません。少なくとも俺はオトナの立場でそう受け取りました。
強制的に、そんな状況に放り込まれてしまうから、賛否両論真っ二つに割れているんです。
恐らく、そんな反応も織り込み済み、でしょう。
新たな謎や伏線の数々、聞き慣れないコトバは、とりあえず、「そういうモンなんだ」と受け流して。二回目、三回目の鑑賞でじっくり消化しましょう。
あなたの期待するものがそこにあるかどうかはわからないけれど、全く新しいエヴァンゲリヲンが始まる、その地平に立つ事はできる。その事だけは、保証します。ここまでの話が理解できていれば、この映画は一回でちゃんと「わかる」ようにできてます。
思い出して下さい。はじめてエヴァンゲリオンを体験した時のことを。そして、新劇場版は単なる焼き直しではないという事を。
繰り返します。
覚悟を決めて下さい。
衝撃に備えて。
最後にひとこと。
本作のキャッチに採用されたコトバ。
「希望は残されているよ。どんな時にもね」
観て、感じて。そして考えて下さい。
アスカに惚れました
2回見た後での感想
これから見に行く人も多いと思うが、まず、見る観客側に対して特に序盤は、状況の把握を能動的に求められる映画だと感じる。今までの展開から、ある程度の状況の予測を観客側で(補完)しないと、進行するストーリーにおいていかれてしまうし、描写自体に対する的確な理解ができないと感じる。
個人的には、製作側の意図(視点の絞込みと一貫性を重視した展開)は理解できるが、製作側の理解している背景や状況全体が、映画にいきなり入り込んだ観客のもつそれと、かなりギャップができているし、おそらく製作側の意図に深く入りすぎて、観客側の視点、立場や理解の速度に対するバランスが、見る側にかなりの作業を要すると思われる。
自分は2度目にはかなりスムーズに入れたが、そういった楽しみ方をできない観客にとっては消化不良になりかねず、作品自体の質や製作側の高い目標はかなり先鋭的でユニークなものがあるものの、この作品に初見で響く観客の数を限定してしまう可能性を感じる。
ある程度の情報をもう少し早い段階で提示して、観客をもうすこし助けながらも、製作側の意図を実現する表現方法がありえなかったのか、疑問が残ることが、やや低い評価の根拠である。
また、人物間のドラマが集中する印象があり、幅が狭いと感じた。これは視点や一貫性との兼ね合いがあるものと推察されるし、またやりすぎは、ストーリーにノイズを増やすものであるが、もう少しスパイスがあったほうが、全体としての味が深みが増すのではないかと個人的に感じた。
その一方、前2作からの転換点としてのQというコンセプトとストーリーの方向性には興味が尽きない。周到な計算をうかがわせるが、完結作を待たないと本当の真価は見えてこない気がする。新たな要素も多く出ているが、いずれもかなり映画全体の中でデザインされていることが、注意深くみると伺える。製作側がいかに力を入れたかが感じられる。
結論としては、製作側のユニークで斬新な力の入れ方が現れた作品だが、それが一方、作品の提示方法としては、見る側に対応を求められる形となっており、前2作よりも観客を選ぶ性質の作品となっている。未補完の第3作、急展開のQ、これからも乞うご期待、といったところか。ファンなら2度見れば、理解が改善するだろう。
やっぱり、よくわからん
個人的には相当苦しい作品
これまで学生時代からずっと見続けていましたが、
矛盾したエンディング(情報不足で呑み込みきれない)の過去作品と比べても
相当無理のある内容でした。
新しい展開で驚かせたいという意識が出すぎていて、
話の展開が全体的に苦しく、無理やり結果だけを視聴者に理解させるばかりだと思います。
正直、次回とりあえずちゃんとやるから今回は急展開だった事情だけ理解して。と言われているように感じる作品です。
別物であると理解してみても、相当苦しく、初めて残念に思う作品でした。
他の方は評価が高いので違う見方もあると思いますし、
ファンは一度は見るべきだと思いますが、
これまでの劇場版と違い、地上波でももう一度見たいとは思えない出来でした。
非常に残念でした。
気持ちが整理できない・・・。
初日・初回を鑑賞。
のっけからシンジ君が放り出される展開と
観客は全く同じ状況に・・・。
「なんだ、これ???????」
こんな不思議な感覚は久々です。
隣にいたおじ様(明らかにパチンコから入ったな)は途中から?過ぎて飽きモード。
おじさん、大丈夫。最初からのファンも理解できてないから。
“つづく”が出た時点で場内が一時騒然に・・・。
しかし、旧劇場版のときの“気持ち悪い”の後とは異なり、
明らかに皆が戸惑っているのが分かりました(怒りとは違う)。
席を立てずに“理解できた?”“いや・・・。”という会話が
いたるところから聞こえてきました。
シンジ君には
今回は“あんた、バカ~?”とけっこう怒りたいですが、
今後の活躍に期待しましょう。
興味もたれている方は
早めに劇場に行かれることをお勧めします。
この“不思議な感覚”を大勢で共有できますから。
P.S.本編後の次回予告は全く“アテにならない”ことが本作で分かりました。
何これスゴい
破格のサプライズに感情の折り合いが付かない
「うわっ!うわっうーわっ!うわっ!何だよこれ?」
というのが、上映後、劇場に明りが灯ってからの第一声でした。
いやぁいやいやぁ、これはちょっとねぇ~。
ここへ来ましたか?という。つか、こんなトコ僕ら連れてこられたんですか?という。
こんなゾーンにそんな球を放り投げて来たの?という。
だってこれ、大暴投じゃないですかぁ。ある意味でw
なんつーか、この破格のサプライズに、嬉しいのか腹立たしいのか何なのか感情の折り合いが付かない。付けられない。
頭ン中で全然情報処理が追っ付かない。
ん~、ん~、だってねえ。もうねえ。
冒頭からずっと「ん?んん?」「えっ?何?」「はぁ!?」という、疑問符だらけ。疑問符のバーゲンセール。オンパレード。
これ本当にエヴァですの?パラレルワールド?っぐらいの大胆方針転換。
この不可思議で唐突な世界に放り込まれたシンジと一緒に我々も…―
って、ああ~ダメだ!ダメダメ!これちょっとでも内容に触れちゃうとネタバレになるから滅多なこと言えない。
んん~まあつまり、どう説明すればいいのかな。もどかしいな。
もうベツモノなんですよね。我々が知ってるエヴァじゃない。
踏襲された前作イメージはスッパリ消え去り、違うステージに行っちゃってます。
そういう感じです。そういうことです。
是非、劇場に足を運び、その目で確認してみて下さい。多分俺の言ってること分かると思いますから。
是非、劇場のライヴ感で疑問符撒き散らして下さい。そんで上映後に感情の折り合い上手く付けて下さい。
はー。またセンセーショナルキメやがった、庵野。
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