パーフェクト・センスのレビュー・感想・評価
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人々はやがて飢えを覚え、気が狂ったように食い始める。こうして人々...
人々はやがて飢えを覚え、気が狂ったように食い始める。こうして人々は味覚も失われていったのだ。そして、怒りや憎しみを覚え、聴覚を失っていく・・・
パニック映画なのに、どことなくヨーロッパ的な映像感覚の映画。パニックにあたる部分は実際の映像ドキュメントを散りばめ、スーザンとマイケルを中心とした恋愛感情をメインにしてある。嗅覚と味覚が失われると、それによって狂わされる職業のマイケル。パリパリ、サクサク、触覚に訴える料理を研究したりして、徐々に客足も戻る。人々は他の感覚が研ぎ澄まされ、人間らしさを取り戻していくのだが、次なる発症によって人間の醜さも露呈される・・・
エヴァ・グリーンの見事な脱ぎっぷりは『ドリーマーズ』以来だろうか、医師であるけど恋に溺れ、人間の幸せを追い求める姿はなかなかよい。
ウイルス感染恋愛作品。 ぼかしなしの海外DVDで観たんですけど、ユ...
ウイルス感染恋愛作品。
ぼかしなしの海外DVDで観たんですけど、ユアン・マクレガーの、
えっと・・見えちゃったの・・。
けっこう毛深くてパオ~~ンンだったの・・(゚∇゚ ;)
人間って、強い。
深い悲しみに襲われ嗅覚を失い、
たまらない恐怖心に襲われ味覚を失う。
そして、激しい怒りに襲われて聴覚を失う。
・・・五感が次々に破壊されていく、恐ろしい病気。
だけど、そんな中で最後に残るのは。。。
それでも、生きていく。
人間って、強い。と、改めて思った。
どうしようもない結末
でも、胸糞は悪くない。
バッドエンド好きは好きな映画だと思います。
話もポンポンと進んで(進むというか、もう登場人物にとっては終わりを待つだけという感じなのですが)観やすかったです。
最後の感覚が失われたら?
その時に過ごす最愛の人って?
みたいな終わり方だったので
最後までズーンと沈んだ気持ちで観ていました。
ラブストーリーというジャンルを超えた作品。
恋人に勧められて見た。
本来愛するということは
真っ暗な中でお互いだけを感じて
お互いのことだけを思うことなのだろう。
設定がとてもいい。
最後の数秒で涙が出てきた。
ラブストーリーというジャンルを超えた作品。
着眼点が素晴らしい
典型的なパニック 群衆心理 破滅 と進みそうな題材を、二人の男女を中心にしながらも広い視野でとても穏やかな空気に仕上がっています。
音楽もこの物語の世界観をわかりやすく表現している。
着眼点の良さ、特にそう思ったのは「理性を取り戻す」 ここが素晴らしい。
失ったものを追わないある意味とても前を向いたお話し。心の物語でした。
終末官能ラブストーリー?
謎の感染症で人間の五感が麻痺してしまった世界。運命的に巡り合ったマイケルとスーザンは強く惹かれ合うが…。
終末世界やウィルス・パニックを、ちょっと変わった視点からラブストーリーとして描いた本作。
味覚、聴覚、視覚と次第に感覚が奪われながらも、二人は愛を貫く事が出来るのか。二人の愛が試される話なのだが…
この作品は僕の感覚には合わなかった。
話そのものより、ユアン・マクレガーとエヴァ・グリーンのやたらと多い大胆ラブシーンしか印象に残らなかった。
エヴァ・グリーンは綺麗。
感染したら。
破滅的な状況の中、希望を持って生きようとすることの、切なさ。
悪あがきではなく、人間として、生きることの意味を持ち続けようとする姿。
納得できた。
設定に関しては、なんで?と疑問に思う点はたくさんあるけれど、
ストレスを感じず、観ることができた。
恐らく、シンプルに、日常とその感情に焦点を絞れているからなのかな。
病気?はメインでは無く手法でしかない
見始めの30分位はコンテイジョンに似てるなぁと思ったが、実際は全く違うジャンルの映画。コンテイジョンは病気の感染そのものを映し出している群像劇だが、この作品はいわゆるヒューマンラブストーリーだと思う。病気の感染(実際は病気かどうかも不明だが)自体はそれを映し出す手法として使っているに過ぎない。なので、いわゆるアウトブレイク系のパニック物を期待すると肩透かしを喰らうかも知れない。
見ていて面白いと思ったのは、感情と病気の発症を結び付けている所。正直最初は「全く関係無いやん!」て思ったけど、それはこの映画の狙いを理解してなかったからで、見終わった後には少し納得。少しだけどね。でも発症や感情の順番が違ってたら悲惨な映画になってたろうなぁ。w
しかし「人間てタフだなぁ」って思った。多分実際にこういう状況に陥っても、きっと世界中の人は仕事に行って、飯食って、屁こいて寝るんだろうなぁって思えた。
まぁ何というかそれ程人にお勧めするほどの映画では無いですが、表現方法に独自性を感じたので4点付けました。
しかし、最終的に触覚はどうなったんだろう、、、。
触感て、五感には入らないんでしたっけ??
石鹸食べるのは御免被りますが、五感がなくなってもセックスで愛し合えるならそれはそれで良いと思いました。
ただ、こういう世界で生きていくには「完全なる孤独に耐えられる」または「一生付き合えるパートナーを持つ」人でないといけませんね。
もし私がこの世界で暮らすとしたら、アラブ辺りのハーレムがある所がいいなあ、寂しくないから。
パンデミックから悟る愛の物語
去年観た「コンテイジョン」の後にこの予告を観て
題材は似てるけど何か別の方向性に惹かれ鑑賞。
単なるパニック映画ともサスペンスという感じでもない
優しい雰囲気。
嗅覚→味覚→聴覚→視覚という順番で五感が失われていく
奇病が原因不明で世界中で発生。
失う寸前には、走馬灯のように巡る想い出から
あらゆる喜怒哀楽の感情や欲望が爆発してやがて
それが静まった後におとずれる絶望や後悔。
(食欲が爆発するとこはちょっと胸焼けしそうでしたw)
パニックから予想される窮地に追い込まれた
人間の怖さなんてのも従来道理、表現されているものの
荒廃した街には、最後をもがき暴れる輩だけでなく
冷静に倫理を保とうとしている人たちもいたことが
救いでちょっと新鮮だったかも。
五感のひとつひとつが失われて見えてくる
健康であることの当たり前の幸せに感謝するとこ、
残された心のみで得られる唯一の悦びとは、
最終的に残されたのは信頼できる人との愛や絆という
悟りの境地を見出したとこ。
じわじわと恐怖や絶望はあるものの原因とかがどうという
ガツンとした刺激やスッキリした終わりではないものの、
とてもひとつひとつ緩やかに丁寧に紐解く哲学の
ような詩のようなやさしい感じの作品でした。
何もかも失う中での光とは
この映画の怖いところは、五感を失調する感染症がなんの前触れもなく世界に蔓延してしまうことだ。せめてもの救いは、五感のすべてが一度に奪われなかったこと。
作品では、嗅覚を奪われても、味覚を奪われても、人類はこれまで蓄積してきた知的財産によって、なんとか対応の道を探るものだと、その知恵を賛美してみせる。こちらも「なるほど」と感心して見るのだが、事はそう甘くはない。
この広い宇宙のちっぽけな星に生命が誕生したことが偶然の重なりによるものだとすれば、その生命体が生きていく上でなんらかの異常が発生することなく進化し続けることは更に奇跡といえる。たまたま人類は、何百万年もの間、何ごともなく文明を築き、それを謳歌してきた。それ故の傲りもある。まるで神のごとく振る舞う者までいる。
あって当然のごとく使ってきた五感が次々と奪われたとき、いったい人間はどうなるのか? 作品は様々な視点で、その顛末を描いてみせる。
人類の滅亡は、なにも小惑星の地球への衝突や地球外生命体による攻撃だけとは限らない。化学兵器や環境破壊など、内なる要素で簡単に滅びる可能性があると、この作品は警告する。人類のあらゆる行動が地球規模になった現代、その危険性は充分に現実味を持つ。
離れてしまった愛する者どうしが再開できるかどうか、まだ第六感が残っているが、それさえ当たっているか確認するには五感のどれかが残っていなければならない。
触覚まで失ったとしたら、すぐ隣りに愛する人がいても、その存在すら感じなくなってしまうということに考えが及ぶ。もはや完全なる孤独だ。周りに家族がいようが可愛がってきたペットがいようが、その存在をまったく意識できない世界。これはもう無の世界であって、自身の存在自体も意識できるかどうか怪しい。
そんな時を迎えようとする瞬間、手にしているのが大切な人の手であったならどんなに安心できることだろう。頬を寄せ合い、穏やかな終焉を迎えられる人は幸せだ。富と権力はなんの役にも立たない。僅かな光にもならない。
終末映画かと思ったら・・・
この作品の劇場チラシには荒廃した都市の姿が描かれ、「終末」や「人類最後の瞬間」の言葉も使われているが、実際の内容は普通のパニック映画やディザスター映画とは少し趣が違う。
人々はまず過去の出来事を思い出して、後悔や悲しみにくれた後臭覚を失う。次に強烈な飢餓感に襲われた後味覚を失う。そして更に怒りに我を忘れた後で聴覚を失い、ラストで視覚さえ失ってしまう(触覚を失う描写はない)。
人類が未知の病気に襲われるという作品の場合、ストーリー展開としては「その原因を解明し、人類を救おうとする医師や科学者の活躍を描く」か「病気の蔓延によって文明社会が崩壊した後、新たな環境のなかで人々はどう生きるのかを描く」のどちらかが多いが、この作品はそのどれとも違う。感染症研究者のスーザンは全く無力だし、社会は混乱するが崩壊はしない。
確かに感覚を失う度に人々は混乱し、一部で破壊や殺人も行うが、それでもしぶとく日常を取り戻そうとする。それを象徴しているのがマイケルがシェフを務めるレストランの描写である。人々が感覚を失う度に客足は減り、オーナーは店じまいを口にするが、それでも色々な工夫(味ではなく食感に訴えるなど)で客足は戻ってくる。
またパニックに襲われる世界でも、冷静に誠実に自分の職務を果たしている人々も描かれる(姿は出てこないが発電所が動いて電気が来ているのもその表れ)。製作者は安易な解決策を提示することも、声高に人間の愚かさを訴えることもなく、淡々とあり得べき姿(マイナスもプラスも)を描いていく。そしてラスト、視覚をなくした暗闇のなかに提示される「それでも人は生きていく」というメッセージこそがこの映画のテーマであると思うのだ。
涙ボロボロの大感動作ではないが、観終わった後映画の中の人々に「これから大変だろうけど何とか頑張って。僕も自分の人生に頑張ってみるわ」と呼びかけたくなる佳作であった。
世界的規模のパニックとラブストーリーを結びつけた構成力が素晴らしい作品
世界的な疾病の蔓延が世紀末的な様相を見せる中で、偶然出会う主人公とヒロイン。疾病パニックの緊張感と私的なラブストーリーが反響しあい、愛し愛されることの意味を問い直す、意味深なドラマでした。壮大な世界の終わりに導く、絶望的な状況設定と、そんな状況のなかでかえってこころから人を愛することを見つける主人公カップルとのコントラストの際立てさせた構成力は、素晴らしいと思います。
きっと本作をご覧になれば、どんな困難に遭おうとも前に進もうとする人間の愛の強さ、力強さを感じられることでしょう。上映時間は92分と短めでテンポ良く進んでいきます。余計な説明は極力省き、主人公の心の動きにフォーカスしたことには好感が持てます。
五感が徐々に奪われていくという恐ろしいパニックストーリーなのに、パニックの描写はなく、作品のルックは至って叙情的。哀愁のこもった音楽に乗せて、カメラは普段の平和な人々の営みを俯瞰して始まります。まるで造物主の如く。
何気ない一日の朝、目醒めた主人公のマイケルは、昨晩ナンパした女性を、添い寝されては眠れないんだという身勝手な理由で部屋から押し出します。彼はナンパしても、一晩で捨ててしまう、人を愛することが出来ない男だったのです。彼の職業は、ロンドンの人気レストランのチーフシェフ。五感をなくす本作には相応しいキャラでした。
そんなマイケルが偶然知り合うのが、感染予防学者のスーザン。彼女の元には、既に嗅覚を亡くした患者が隔離されていました。しかし何も原因が分からず彼女は困惑するばかり。結局最後まで、病気の原因は分からずじまいでした。マイケルは、スーザンに手料理を振る舞うことで、次第に親密になっていくのでした。
本作で小うるさく感じるのが、ナレーション。余計なお世話だと言いたくなるような親切な解説ぶりは、まるで造物主の如く、地上の人間に病の進展を「通告」します。
最初の通告は、「悲しみ」が訪れるという予告でした。
本作の構成は、必ず喜怒哀楽という人間本来の感情の高ぶりが起こった後、五感の一つが失われていくという展開なのです。
異常な悲しみ、喪失感を味わったマイケルとスーザンは、突如狂ったように発情し、貪るようなベットシーンへもつれ込みました。本作では、二人が絡むベットシーンが多いのも特徴です。五感を失っていく恐怖感が、ふたりの人間的な防衛本能に火をつけているのかもしれません。演出で巧みなところは、どんなにふたりが激しく絡んでいても、本当の愛が感じられないというところです。それは来るべき恐怖から忘れたいだけの安心であり、体を絡ませているときだけ絆を実感できるという刹那にしか見えませんでした。
こうして、ふたりも、そして世界も嗅覚を失ったのです。
マイケルのレストランは、客が来なくなり、ピンチになります。しかし、面白いことに残された五感を刺激するメニューを開拓したことで、客足は戻り、世界全体も日常を取り戻していきます。そんなところに、どんな環境になっても人は覚悟を決めれば生きていけるのだという監督のメッセージを感じました。
次の通告は、異常な食欲が訪れるという予告。
人々は狂ったように手近なものを食べ漁ります。なかには口紅や花束まで喰い漁るシーンには唖然としました。マイケルの店のスタッフたちの食いっぷりも迫力満天で、見どころです。
このシーンでは、人間の根深い煩悩の深さを見せつけられたような気がしました。食欲が無限になるのだったら、性欲もと思ったのですが、さすがにそっちは主人公の二人以外は起こらななかったですね(^^ゞ
こうして世界は味覚を失いました。でもマイケルの店は残された視覚や味わいを頼りに営業を続けるところが逞しいです。このシークエンスでよくやるなぁと思ったのが、マイケルとスーザンが風呂場でいちゃついて、シャボンのあわや石けんを味覚がないことをいいことに、ぱくぱく食らいつくシーンです。あれ本物の石けんなら凄い役者根性ですね。
世界はまたまた平静を取り戻したかというとき、また次の通告が予告されます。
それは、底なしの怒りでした。
突然激しく怒りだした後、聴覚を失うという現象が世の中を覆い始めます。ここに来て、政府も対策に乗り出し、聴覚を失った患者を隔離するようになっていました。
スーザンは、比較的安全地帯にあったマイケルの部屋に避難して同棲を始めます。そこでやっと自分の身の上を明らかにするのでした。スーザンは、子宮の病気で子供ができない体になっていたのでした。そのため恋することすら拒絶して、研究に没頭していたのです。そんな打ち明け話をすんなり聞くマイケルに、スーザンは意外に思うのでした。
結局女性を愛することができない快楽男と女であることを諦めていた女が、世界規模の疾病を縁として、かろうじて結びついていたのです。
しかし、その脆いつながりはマイケルの発病でこときれます。急に怒りだしたマイケルに恐れを為したスーザンは逃げ出してしまいます。
その聴覚を失ったマイケルがスーザンに電話をずっとかけるシーンが空しかったです。
聴覚を失った世界は、いよいよ次の視覚が失われるのも時間の問題ということを自覚し始めます。人々の対応は両極端に別れました。あるものは略奪に動き、あるものは信仰に救いを求めました。
本作に極めて宗教的なテーマを感じるのは、五感を奪われるなかで、人は何を得られるかということです。五感が満足なうちは、人は足ることを忘れて、他人との違いに一喜一憂して、グチを言い続けがちです。けれども本作のように五感を奪われる経験をすると五体満足なことが、いかに奇跡であり、有り難いことであるのかと意識が宗教的に変わっていくのでしょう。
最後の通告は、突然前触れもなく予言されました。
人々は、突如至福に包まれて、他人を愛さざるを得なくなります。マイケルも真っ先にスーザンのオフィスに向かいます。スーザンも同じく彼の部屋に向かいます。
出会ったころは、いくら体を合わせても、自分で作り上げたこころの境界線を越えることはないふたりでした。しかし、最後の感覚の喪失を直感したとき、お互いの境界線が吹っ飛び、思い切って愛情に飛び込もうとするのです。
恋をすると盲目になると言われます。本作の五感を失うストーリーは、まるでそんな恋愛感情を比喩しているかのような話でした。逆にいえば、人を恋しいという感情を、いかに五感が邪魔しているかがわかる話なんですね。
例え全ての感覚を失っても、愛する人の息づかいさえ分かれば、それを生きる勇気につないでいけるというところに、大きな希望を感じた次第です。
本作は、ハリウッド的な壮大な背景を作ることなく、あくまで恋愛を強調し外側でなくこころの内面の向かっていく作品なのです。
イギリスのトップスターに登り詰めたマグレガーは、本作でも快演。女を遊び相手としてか思えなかったマイケルが、本気で人を愛するまで変化をよく演じていたと思います。そして何よりもエヴァ・グリーンが、スーザンの真実の愛に目醒めていく変化を繊細な演技で表現していることが特筆に値するでしょう。
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