あなたへのレビュー・感想・評価
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良い映画に出会えました。
「あなたへ」は夫婦愛について、深く考えさせられる秀悦な作品でした。
「さようなら」の意味するものがあまりに深く謎めいていた為、映画の鑑賞後直ちに書店で原作を購入せずにはいられませんでした。
原作では、冒頭で倉島英二と余命わずかな洋子さんとの温かい夫婦愛が多くのページを割いて描かれており、長崎で受け取った2通目の手紙も、便箋3枚に洋子さんの英二への温かい思いがいっぱいに綴られていました。
映画では夫婦愛に関する描写が最小限に抑えられ、また2通目の手紙も「さようなら」の一言に変更されており、そのため、ある意味淡々とストーリーが展開していくことになりました。
監督、高倉健さん他出演者の方々はおそらく、原作を繰り返し読まれたに違いありません。
その作品は、私の心を、そして涙腺を激しく揺さぶる素晴らしい内容だったと思います。
その原作の、要とも言うべき上記部分をあえて変更したところに、私は、映画関係者のこの映画に賭ける熱い思いを感じぜずにはいられませんでした。
私は思います。
2通目の手紙を簡潔にした事により、この映画が、倉島夫婦だけの物語ではなく、劇場に同席した全ての夫婦&恋人たちに贈る、ラブストーリーになったのではないでしょうか。
それぞれが互いを思い、最後の別れに際し何を思い、相手に願うのか、しっとりと考える時間をくれたように思います。
エンディングの音楽と画面が止るまで、誰一人席を立たなかったことが、この映画の価値を明示しているのではないでしょうか。
素敵な映画に久々に出会えたことに、感謝して止みません。
一羽のスズメ
妻の遺骨を携え、一度も行ったことのない妻の故郷・長崎の薄香へ自家製キャンピングカーを走らせるロードムービーだが、それぞれのエピソードは淡白で希薄だ。その割に出来過ぎなぐらいリンクする。
妻との思い出の地も都合よくコース上に点在する。ご当地の催事がお決まりのように挿入されるこの手のタイアップは取って付けたような不自然さがあり、どうにかならないものか。
良くも悪くも健さんの映画。健さんを見る映画だ。高倉健の存在感は大きい。
倉島が〈鳩〉になるためのケジメとして、世話になった総務部長の塚本宛てに郵便物を投函する姿は倉島の実直さを偲ばせるシーンで、高倉健本人の人柄が重なる。
*〈鳩〉が何を意味するか、ここでは伏せておく。
妻・洋子がなぜ故郷の海への散骨を願ったのか、その真意は分からない。
洋子の絵手紙にはいつも一羽のスズメが描かれている。洋子は倉島の人生の一部に宿らせてもらった気持ちでいたのではないだろうか。同じ墓に入ることで倉島の残りの人生にまで介入することが無いようにとの配慮ととれる。
また、倉島と知り合う以前に愛した男への遠慮もあったかもしれない。
町の写真館で見つけた古い写真に拳で軽くコツンとやる仕草は、「余計な気を使いやがって」と「ありがとう」がないまぜになった倉島の気持ちの現れであろう。
絵手紙が「さようなら」と空に羽ばたき、倉島もまた〈鳩〉となって新しい人生へと飛び立つ。
いい話だと思う。ただ映画としてみたとき、話の芯がどこにあるのか掴みづらく、話の運びもリズムが合わなかったというのが正直な感想だ。10年後に観たら違うかもしれないが・・・。
あなたへ
今日は、予約して映画「あなたへ」を見てきました。
高倉健さんのファンなので当然です。
感動の物語なのでハンカチを持って行きましたが・・・使えませんでした。
役者さんは、超一流ばかり。あの、内容だと可愛そうです。
原作者の「森沢明夫」さんも、これで納得したのでしょうか?
小説と大幅に違います。半分です。
すばらしいストーリーなはずなのに、かなりカットされかなり書き換えられ、物語がどうして次はこうなるの?? つながっていません。
登場人物のそれぞれの人生ドラマも有るのに全てカットされ、なんだか話がつながりません。
一番の問題は、「あなたへ」って、郵便局留めの最後の手紙が、クライマックスで涙が止まらなくなる場面で、手紙が3枚ほど有るはずなのに・・・この映画では「さようなら」これだけ。
ぶち壊しです。
何の為に、「倉島英二」がキャンピングカーを急いで作って、思い出に振り返りながら旅をしたのか? 訳が解らず見ている方々に感じてもらえません。
こう言うのは、監督とか脚本家とか?が変えてしまうのでしょうか?
とっても、残念な映画になってしまって高倉健さんが可愛そうです。
健さんをスクリーンで観ることに意義があります
80歳の健さんに何を求めるのか?
それはまさに「健さんを」です。
映画自体は単なるロードムービーであり、
行く先々での人との出会いと触れ合いが回想シーンと
あいまって粛々と流れていくという映画です。
興奮する場面や刺激的な場面がでてくるわけでなく、
かといってここで泣ける、という場面もあるわけでなく
話が進んでいきます。
とはいえ2時間弱の映画を長く感じることなく
いつのまにかエンディングを迎えることができたのは、
自然体で無理がない作り方がされているからと思うと同時に
これが健さん映画の真髄なのだろうと再確認しました。
周りを見渡すと70歳前後と思われる方々が目立ちましたが、
こういう映画が良いんだろうな、と納得しました。
健さん
“高倉健”という永き俳優人生の巡礼の最終楽章とも云える境地
日本横断がメインとは云え、出逢いはとてつもなく多い。
殿や大滝秀治、石倉三郎etc.長年共演したベテランから、草なぎ剛、佐藤浩市etc.現在の邦画の主力株、はたまた、三浦貴大、綾瀬はるかetc.これから更に飛躍を期待される若手までヴァラエティに富んだ触れ合いである。
日本狭しと数多くの名優達と織り成す旅情記は、物語の範疇を越え、高倉健そのものの俳優人生の最終楽章を迎え入れようとする温もりにも感じた。
長い間映画史を牽引し続けてきた大スター・高倉健が今の邦画界に向けて巡礼する旅の締め括りとも云えよう。
故に主人公の口癖である「ありがとう」が言葉以上に重みを感ずる。
同時に
「これからの日本の映画を宜しく」というメッセージも帯びているからだ。
だとしたら、冨司純子や小林稔侍にも出逢って言葉を交わして欲しかったが、それではあまりにも贅沢過ぎる巡礼なのかもしれない。
ストーリーそのものの評価は〜ってぇっと…
ゴージャスな割りには無難な落語の人情噺をノンビリ聴いたような心持ち。
退屈はしないけど、感動もない。
談志師匠的に例えたら、
「オレの芝浜じゃなく、よりにもよって圓楽の芝浜を聴きに行きやがるようなものだ」
ってぇとこだろう。
(圓楽党のみなさんすいません)
故に同じ健さんの旅情モノの『網走番外地』での手に汗握るスリルも無ければ、『幸せの黄色いハンカチ』での怒涛の感動もない。
「人には優しくせなぁ〜あかんなぁ〜」
ってぇ了見がホノボノと通り過ぎていくだけである。
まあ、そういう癒やしにも似た後味やからこそ、眠れずに最後まで見届けられたんやとも思う。
また、元教師の殿やイカめし売りの佐藤浩市etc.裏に潜む人物像が見え隠れする描写力も効果的。
逢う人逢う人みなお人好しばっかしで旅自体は結構スムーズな中、一癖有る彼らの存在感が穏和な展開を救っている。
私はってぇっと、
孤高のキャラはそのままだが、不器用なイメージとは裏腹に、車内をオーダーメイドで改装したり、デジカメやケイタイetc.の機器を使いこなす姿を観て、
「不器用ですから…って、健さんおもいっきし器用やないか」
とツッコミたくなるギャップが興味深かった。
では最後に短歌を一首
『遺された 風鈴に聴く 旅の唄 荷を越えて鳩 海は流るる』
by全竜
しみじみ堪能。
高倉健と旅をする
高倉健。
今や死語となった“銀幕スター”を体現出来る唯一の存在である。
数々の映画から寡黙で不器用というイメージだが、素顔は意外とユーモア溢れる。
先日「スマステ」に生出演(!)した時、「“TVタックル”のスタジオに行きたかった」ととぼけたユーモアで、緊張する香取・草なぎの両名を和ませてくれていた。
そんな懐の広さが、ビートたけしを始め多くの人々に慕われリスペクトされている。
色んな意味で大スターと呼ぶに相応しい。
“高倉健は何を演じても高倉健”と言われる事もある。
確かにほとんどの役柄は変わり映えしない。
でもそれがピタリとハマる場合がある。
“高倉健は何を演じても高倉健だが、やはり高倉健でないと成り立たない”場合である。
「幸福の黄色いハンカチ」や「鉄道員」がそうだ。
「鉄道員」なんか、もし高倉健でなかったら、あそこまでの作品にはならなかっただろう。
本作もピタッとハマった。
亡き妻の遺骨を故郷の海に撒く為旅をする。
また作品雰囲気も高倉健本人のようだ。
真面目でありながら所々ユーモア溢れ、人の善意を感じ、人に感謝したくなる。
正直妻の遺言の意味が今一つピンと来なかったが、そんな不器用さも含めて。
漫画やTVドラマの映画化が氾濫する今の日本映画界で、昔ながらの実直な映画作りと、80過ぎてもスターとして輝き続ける高倉健に「ありがとう」と言いたい。
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