「鳩を飛ばす」あなたへ xmasrose3105さんの映画レビュー(感想・評価)
鳩を飛ばす
公開当時に観てあまり印象に残らなかった。それが時を経て二度三度と観るうちに、ぽつん、ぽつんと、腑に落ちる小さな点が増えていく。豆電球がつくように。輝きがちょっとずつ増してくる、そんな作品です。
愛した女性と遅い結婚をした男、その妻を亡くし、弔い(海へ散骨してと遺言)の旅に出る。男も妻も、多くは語らない者同士。妻亡きあと、男は何を考えているのでしょう...二人がわかり合っていたのなら、なぜ妻は共に墓へ入ろうとしなかったのだろう。妻の本意は?自問自答しつつの旅は、男の痛みを治していく道でもある。
『あなたへ』というタイトル。
昔、健さんが自伝本『あなたに褒められたくて』を出された時の記憶をふと思い出しました。息急き切って読んだ末の、大ショック!健さんほどの人が、マザコンだったのか?と(大変失礼な表現でゴメンなさい)。でも先日引退表明した白鵬も、同じようなコメントで。「母に、よく頑張った、と言ってもらえたのが嬉しかった」。また別の番組では老教授が「妻を亡くした哀しみは、妻の前で輝いていた『自分』を失った悲しみだと気付いた」と。
あのショック。でもあれは健さんのせいじゃない。「高倉健」は、誰もが認める男の中の男。でも本に書かれた「健さん」は決して強くはなく、むしろとても繊細だった。それが私は無意識にショックだったのでしょう。弱く幼い人間は、守ってくれそうな人に自分のヒーローや守護神のイメージを勝手に着せ、拠り所にしようとしますから。
どんなスターやヒーローたちも、自分だけを照らしてくれる母や妻を太陽にして、生きている。
この主人公もそんな一人かもしれません。
真面目で仕事一筋の善人、不器用だが責任感の固まりのような男が、訳ありの女性と遅咲きの恋をし、結ばれて、幸せだった。ずっと二人三脚で人生を歩もうとしていた。男として一人の女性を守り通そうと決意していた。その覚悟、確かに愛かもしれない。
でも本当は、守り通していたのは、妻のほうだったのではないか。妻が太陽になり、寂しさや孤独に凍えないよう男を守ってくれていたのだとしたら。
むろん男は、自分が妻を守っていたと信じている。妻だって、経済的にはもちろんのこと精神的にも守られていたはず。でも太陽を傍におくことは、もしかすると太陽自身の自由意思を閉じ込めさせた部分もあったかもしれない。
妻の遺言は鳥の絵手紙。
「夫婦愛」というカゴに住む、つがいの鳥だったのか。安全安心。でも。魂には一個一個、個有の希求がある。カゴに押し込めきれない無意識の声に、どれほどの大人が耳を傾けられるでしょうか。
亡くなった妻は夫より一足早く、自分の声に向き合えたのかもしれません。妻亡き後を生きる夫にも、魂を成長させる促しを仕込んでから逝きます。
散骨のために夫を旅させる。
妻亡き後もなお、夫婦愛の思い出のカゴの中で生きるであろう夫を、カゴから連れ出す旅。貴方自身の魂の成長、その旅が始まりますよと、妻の声なきメッセージが響くようです。散骨の旅は、妻が準備してくれた夫の飛翔訓練だったのではないか。
功を奏して、道中いろいろな出会いがある。
袖ふれあうも多生の縁。
カゴは、もう長年で男を守るシェルターのような固い殻にまでなっていたかもしれない。縁にふれ、揺れ始め、殻が割れ始める。魂がまた動き始めた。
主人公よ、この妻の愛に気付け...!
ずっとその声がわたしの中では鳴り響いていました。彼の人生で、妻ほど彼の幸せを祈ってくれた人はいなかったのでは。それは肉体が滅んでも、継続している。でも男には聴こえない。「妻はわたしのことをどう思っていたのでしょう...」。
食堂の奥さんが、男に言った一言。
「夫婦といえど、全てはわからないでしょ。」
奥さん自身に向けた一言でもあったでしょう。こんな何気ないゆきずりの一言が、男の殻を一撃し、何かが溢れました。
「鳩を飛ばす」という隠語が出てきます。
主人公は食堂の奥さんの「鳩」になり、あるメッセージを、ある人に運ぶ。奥さんは主人公に、頼んだのではなく、ただ委ねた。主人公を動かしたのは何だったのか。
旅に出る前、主人公にとっての愛、それは人生の助手席に妻が座って居てくれること。大事な人を守ることだったかもしれない。でも愛とは、鳥を大事にカゴに囲っておくこと、だろうか。妻は妻、男は男の、魂の旅がある。孤独そうかもしれないが、そうではない。縁は一本一本、広い網目のように繋がっている。
主人公は自分が「鳩」になった時、自分も誰かの縁の一部だと、実感したのではないか。夫婦に限らず、誰もが広く繋がりあった網の一部だと。
自伝で健さんはスターであると同時に、人としての弱さを持ちながら生きていることを、わたしに晒してくれた。今ならわかります。弱さを見せられる強さ。でもほんとは弱いも強いもない。そう簡単には分けられない。
世界を動かしているのは法や政治、お金や同調圧力。でもそれだけじゃない。人は「鳩」を翔ばしあっている。小さな思いと気遣い。思いがけない縁で何かが起きる。意図せぬ愛となり、人が動き動かされ、助けられる。
魂がどうしたいか。
それに従って生きるしかない。誰かの幸せを祈りつつ。
カゴに押し込めるのは他人じゃなく、自分かもしれない。翔べるか不安な時は、この作品を思い出そうと思います。