「ヴィルヌーブ監督の信じる心に応えたい」灼熱の魂 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
ヴィルヌーブ監督の信じる心に応えたい
父と兄に手紙を渡せという母の遺言から始まるこの作品は、ヒューマンドラマやサスペンスの要素を内包しながら進むミステリーである。
双子にとっては、父親は死んでいるはずであるし、兄の存在はこのときに初めて知ることになる。
過去と現在を交互に映し出すことでこのミステリーは成立する。そうすることで、観ている私たちと、物語を牽引する視点キャラクターである双子で知っていることに違いが生まれるのだ。
つまり、例えば、父親の存在について。
かなり序盤で、兄が生まれたこと、と、同時に兄の父親が亡くなったことを「私たちは知る」。このときに、兄の父親と双子の父親が違うことが確定する。
では、まだ名前も出ない誰かが双子の父親なのだと普通は考える。
私たちは、ナワルの過去を先に観られるが、双子はまだ知らないのだとちゃんと理解しなければならない。
観ている私たちにとっては兄の父が亡くなっていることが確定しているし、双子の父親が別人であることも確定している。
しかし双子の視点では兄の父親が自分たちの父親でもあり、亡くなったと聞いていたけれど生きているのか?となっているのである。
そして、終盤に、母の足取りを追っていた姉ジャンヌの口から飛び出した捜している父親の名前は、すでに亡くなっている兄の父親の名なのだ。
双子にとってはなんら驚くことでもないだろうが、兄と双子の父親が違うと「知っている」私たちは当然、どうゆうことなのかと混乱することになる。
母ナワルが、既に亡くなり、自分が愛した男をあなたたちの父だと告げていることから、双子の妊娠が望まぬものであったこともまたここで推測できる。
映画を観ている私たちと、双子が知っていることの違いをしっかり認識できていれば、驚きのポイントが何度か訪れる。
多くの人がラストについてのみあれこれ言うが、びっくりするポイントはラストだけではないのだ。もちろん、衝撃的で悲劇的なラストではあるが。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は鑑賞者の「観る力」を信じてるんだなとつくづく思った。同監督の「メッセージ」などもそうだ。
観ながら、その時々の状況をしっかり認識できないと楽しむのが難しくなる。
世界的にも、教えてもらわないと理解できない人が増えた現代において、中々豪気な監督だなと感心してしまうのである。