「現実の中東の悲劇とギリシャ悲劇の二重写しの中から浮かび上がる希望」灼熱の魂 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)
現実の中東の悲劇とギリシャ悲劇の二重写しの中から浮かび上がる希望
本作は二重の意味の悲劇を描いており、監督ビルヌーブの重層的に映画を作り込む作家性がわかりやすく表れている。
第一の悲劇は、レバノン内戦の中でキリスト教とイスラム教に振り回され、恋人や子どもを無くし、拷問され、レイプによって妊娠させられた母親と、決して幸せではなかっただろうその子供たちの悲劇である。
第二の悲劇はオイディプス王のギリシャ悲劇を、上記の現代レバノンの悲劇に重ね合わせたものだ。
つまり、本作の母親は子供をキリスト教徒に殺されたと誤解し、ムスリムの一員としてキリスト教政党幹部を暗殺したため、監獄に収監されて、そこでレイプされる。しかし、その拷問人は自分の息子であり、生まれた子供たちは近親相姦の禁忌の所産だった。
これは知らぬ間に子が父親を殺し、母親と婚姻して子を設ける禁忌を犯すが、それを知った母親は自殺し、自らは両目を突いて盲目となったオイディプス王の悲劇を、現代レバノンの悲劇と二重写しにしているのである。
本作の場合、子ニハド・ド・メ=拷問人アブ・ダレクは母ナワル・マルワンに対し、精神的に殺したうえ子を孕ませる行為により、オイディプスと同様の立場に立っている。
中東映画は欧米や日本ではさほど紹介されていないし、レバノン内戦を描いた作品はもっと限られているに違いない。そんな社会に突如、宗教対立の中で平気で殺し殺される内戦の日常を描いた作品が登場したのだから、誰でもびっくりする。アカデミー賞にノミネートされたのは、そうした背景があるに違いない。
ただ、宗教対立等の内戦の状況を知らないと、はっきり言って何が起こっているのか分からないし、衝撃の現実も延々と描かれてしまうと一本調子に感じられてしまう結果、映画としてはまとまりを欠く印象が避けられない。
また、こうした内戦の悲劇の描写は、現実のガザ地区やウクライナでの戦争の現実と比較され、その衝撃は削減されて行かざるを得ない。だから第一の悲劇の側面は、いかに衝撃的な事実でも、いかに演技が見事でも、当初は本作の強みであったろうが、やがて本作の弱点とならざるを得ない。いわゆるジャーナリスティックな映画と同様、忘れ去られていくものだろう。
その時に浮上するのが、運命劇としての第二の悲劇の側面である。人はどうして、こうした悲劇に立ち向かっていけばいいのか。オイディプスのように自殺か失明かしなければならないのだろうか。
最後のシーンで、母の手紙3通の内容が明かされる。それは、愛によって憎しみの連鎖を断った安らぎと、共生の必要性を訴えるものだった。悲劇が神の意志であろうと、運命の必然であろうと、人はかくあるべき、という思想が伝わってきて、そこはかとない希望が余韻として残る。