灼熱の魂のレビュー・感想・評価
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愛と憎悪が同時に襲いかかる
2011年の封切時に観て以来の鑑賞だったが、やはりすごい傑作。ドゥニ・ヴィルヌーヴといえばこの作品だ。数奇な運命に導かれた憎悪と愛の物語。人はこれほど深く人を愛せるのだと描くと同時に、同じくらい深く憎悪できるということも描いている。
カナダに住む双子の姉弟が母の人生の真実を探るために、母の故郷のレバノンへ赴く。知られざる兄と父親を探せという母の遺言に従う双子は、やがて驚くべき事実に直面する。中東の現代史の複雑な背景があり、争いの絶えない地域で、悲劇が積み重ねられる。母もその渦中にいたことを知り、自らの出生にもその悲劇がつながっていることを知った双子ともに観客は衝撃を体感する。
一体、人間とはどういう野蛮な生き物なのか、同時にどれだけ慈悲深くなれるのか、この映画の結末は同時にその2つの相反することを問いかける。この映画を観ると、まさに魂が焼き尽くされる想いがする。
最後は気持ち悪さと切なさで頭おかしくなる
鑑賞後に脳がバグった。気持ち悪さと切なさで頭おかしくなる。父=息子が同一人物なんて想像できんわ。アブタレクって名前だからまさか息子とは思わなんだ...。異なる人物かと思いきや、2つの手紙の宛先が同じだったのもゾッとした。
実の母をレイプしまくって孕ませてたのは吐き気がする。しかもナワルはアブタレクが息子だと知り犯され続けたとかどんな心境なんだ...。
胸糞展開ではあるがナワルがアブタレクを攻めることもなく復讐するわけでもなく、手紙で「愛してる」と伝えたのがせめてもの救い。
宗教や民族など歴史的な背景が複雑に絡み合ってよく分からない箇所も多々ある。しかし、それらを吹き飛ばすような衝撃のラストにノックアウトされた。
ドンデン返し系で高評価を得ていたけど、バッドエンドらしく見るのを躊...
ドンデン返し系で高評価を得ていたけど、バッドエンドらしく見るのを躊躇してた。レバノン内戦時の物語で、最後の最後のめちゃめちゃ簡単な算数の真意を知ったとき、衝撃が走り、全てが繋がりました。決して胸糞悪くないので、ぜひ!
ヴィルヌーブ監督の信じる心に応えたい
父と兄に手紙を渡せという母の遺言から始まるこの作品は、ヒューマンドラマやサスペンスの要素を内包しながら進むミステリーである。
双子にとっては、父親は死んでいるはずであるし、兄の存在はこのときに初めて知ることになる。
過去と現在を交互に映し出すことでこのミステリーは成立する。そうすることで、観ている私たちと、物語を牽引する視点キャラクターである双子で知っていることに違いが生まれるのだ。
つまり、例えば、父親の存在について。
かなり序盤で、兄が生まれたこと、と、同時に兄の父親が亡くなったことを「私たちは知る」。このときに、兄の父親と双子の父親が違うことが確定する。
では、まだ名前も出ない誰かが双子の父親なのだと普通は考える。
私たちは、ナワルの過去を先に観られるが、双子はまだ知らないのだとちゃんと理解しなければならない。
観ている私たちにとっては兄の父が亡くなっていることが確定しているし、双子の父親が別人であることも確定している。
しかし双子の視点では兄の父親が自分たちの父親でもあり、亡くなったと聞いていたけれど生きているのか?となっているのである。
そして、終盤に、母の足取りを追っていた姉ジャンヌの口から飛び出した捜している父親の名前は、すでに亡くなっている兄の父親の名なのだ。
双子にとってはなんら驚くことでもないだろうが、兄と双子の父親が違うと「知っている」私たちは当然、どうゆうことなのかと混乱することになる。
母ナワルが、既に亡くなり、自分が愛した男をあなたたちの父だと告げていることから、双子の妊娠が望まぬものであったこともまたここで推測できる。
映画を観ている私たちと、双子が知っていることの違いをしっかり認識できていれば、驚きのポイントが何度か訪れる。
多くの人がラストについてのみあれこれ言うが、びっくりするポイントはラストだけではないのだ。もちろん、衝撃的で悲劇的なラストではあるが。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は鑑賞者の「観る力」を信じてるんだなとつくづく思った。同監督の「メッセージ」などもそうだ。
観ながら、その時々の状況をしっかり認識できないと楽しむのが難しくなる。
世界的にも、教えてもらわないと理解できない人が増えた現代において、中々豪気な監督だなと感心してしまうのである。
今こそ観たい
冒頭、複数の少年たちが頭を剃られている。どこの子どもか分からなくするために。一人の少年が強い怒りの眼差しでカメラを睨みつけている。「あなた方は証人ですよ」「しっかり見てください」。そして最後に、これが重要なオープニングシーンだったことに気づき、それまでこの子を忘れていた自分を恥じた。
ギリシャ悲劇のオイディプスが神殿の前にあっても真相がわからないように、双子の子どもたちは神聖な遺言書を前に、この時点で何もわからない。
人物の背景描写は差し込まないことでストーリーの進捗に速度を与え、観客をストレートに筋に招き入れる。
プールの水や血の映像が印象的。血塗られて生まれた兄と対照的に、カナダ育ちの双子は水(潤いと自由)の中で自らを解放したり、互いを抱擁する。
芝居のような手法と映像がよくマッチしていたと思う。
“アイデンティティ”や“愛”なんて入り込む隙がない過酷な環境で、母と子を待っていたのは最悪の出会い。
事態は想像を絶する場面に突入し、オイディプスがたどり着いた自身の出自と犯罪にイメージが重なる。
ムスリムに訓練された息子はキリスト教派に転身し、キリスト教の母はムスリムの暗殺者に転身しているわけだが、二人の運命の交錯を見ると、人間にとって望むことは生きることと平和のみで、思想や宗教はたいして関係ないことが伝わる。
そして、暴力の連鎖が続く中で負の連鎖を断ち切るには第三者の力が必要だというメッセージ。公証人というキャラの存在が説得力を持たせていた。
もう一度冒頭のシーンに思いを馳せる。自分が誰かも知らず、誰にも愛されなかった少年。真実の愛を知ることで、自分が愛の存在であることを思い出してほしい、人間の心を取り戻してほしい。それが叶わぬのなら、母も人間として死ぬわけにいかないのだ。遺言の言葉が腑に落ちた。
作品としての描き方が良い
主人公の女性(母)が、プールで見た偶然の再会によって、彼女の双子の姉弟が冒険することになる。
主人公はかつて自分自身に起きた数々の不幸と困難を乗り越えながら、どう受け取れば良いのかわからない子供を授かった。
彼女にとってかけがえのない子供は、同時に暗い過去を彷彿とさせるのだ。
これが姉弟がか今まで感じ取ってきた母に対する嫌悪感だった。
母の死後、公証役場の管理者が遺言状を手渡すが、それは、兄と父とを探せというものだった。
そして二人にそれぞれ手紙を渡せという。
母の軌跡をたどりながら、姉と弟はそれぞれを探し続ける。
同時に、当時の母の出来事がスイッチして描かれる。
映画の背景にあるのが、宗教的敵対と民族的敵対だ。
殺し殺され… それがずっと続く社会だ。
その中で主人公は夫を殺され、生まれてきた子供を孤児院へ出され、自分も村を追放されるのだ。
この敵対する構図は作品に色濃く描かれる。
その根底には「許せない」という言葉が渦巻いている。
最後に、母がプールで「それ」見たとき、そのすべての出来事が一つに繋がったことで、
そこに憎むべき人間などどこにもいなかったことに気付かされるのだ。
「憎むべきものなどどこにもない」と悟ったとき、
この精神を、心から愛する最初の息子と、今の姉弟の父と、そしてようやく二人の子供を心から愛せた理由を、二人の子どもたちにどうしても伝えたかったのだ。
人類史の中で今も繰り広げられているこの社会問題に終止符を打てという監督の意志が伝わる類い稀な作品だった。
圧倒的な衝撃
中東の歴史に詳しくないため浅い部分しか理解できていませんが、
序盤から衝撃のラストまで釘付けでした。
「共生が何より大事」という言葉は残された者にとっては呪縛でもあり、
ナワルが憎しみ連鎖を愛によって断ち切ったように、
子供たちもそうであってほしいという最後の母の願いなのだろうと思いました。
シモンは元から母をイカれた人だと鬱陶しがっていましたが、
3人の生活はどんなものだったのか、その辺りも少し描いてくれるとよかったです。
中東の歴史に詳しくない私にとっては1つの物語としては理解できない部分も多く、
見終わった後にレバノンの歴史や宗教の対立問題等を調べるきっかけとなりました。
現実の中東の悲劇とギリシャ悲劇の二重写しの中から浮かび上がる希望
本作は二重の意味の悲劇を描いており、監督ビルヌーブの重層的に映画を作り込む作家性がわかりやすく表れている。
第一の悲劇は、レバノン内戦の中でキリスト教とイスラム教に振り回され、恋人や子どもを無くし、拷問され、レイプによって妊娠させられた母親と、決して幸せではなかっただろうその子供たちの悲劇である。
第二の悲劇はオイディプス王のギリシャ悲劇を、上記の現代レバノンの悲劇に重ね合わせたものだ。
つまり、本作の母親は子供をキリスト教徒に殺されたと誤解し、ムスリムの一員としてキリスト教政党幹部を暗殺したため、監獄に収監されて、そこでレイプされる。しかし、その拷問人は自分の息子であり、生まれた子供たちは近親相姦の禁忌の所産だった。
これは知らぬ間に子が父親を殺し、母親と婚姻して子を設ける禁忌を犯すが、それを知った母親は自殺し、自らは両目を突いて盲目となったオイディプス王の悲劇を、現代レバノンの悲劇と二重写しにしているのである。
本作の場合、子ニハド・ド・メ=拷問人アブ・ダレクは母ナワル・マルワンに対し、精神的に殺したうえ子を孕ませる行為により、オイディプスと同様の立場に立っている。
中東映画は欧米や日本ではさほど紹介されていないし、レバノン内戦を描いた作品はもっと限られているに違いない。そんな社会に突如、宗教対立の中で平気で殺し殺される内戦の日常を描いた作品が登場したのだから、誰でもびっくりする。アカデミー賞にノミネートされたのは、そうした背景があるに違いない。
ただ、宗教対立等の内戦の状況を知らないと、はっきり言って何が起こっているのか分からないし、衝撃の現実も延々と描かれてしまうと一本調子に感じられてしまう結果、映画としてはまとまりを欠く印象が避けられない。
また、こうした内戦の悲劇の描写は、現実のガザ地区やウクライナでの戦争の現実と比較され、その衝撃は削減されて行かざるを得ない。だから第一の悲劇の側面は、いかに衝撃的な事実でも、いかに演技が見事でも、当初は本作の強みであったろうが、やがて本作の弱点とならざるを得ない。いわゆるジャーナリスティックな映画と同様、忘れ去られていくものだろう。
その時に浮上するのが、運命劇としての第二の悲劇の側面である。人はどうして、こうした悲劇に立ち向かっていけばいいのか。オイディプスのように自殺か失明かしなければならないのだろうか。
最後のシーンで、母の手紙3通の内容が明かされる。それは、愛によって憎しみの連鎖を断った安らぎと、共生の必要性を訴えるものだった。悲劇が神の意志であろうと、運命の必然であろうと、人はかくあるべき、という思想が伝わってきて、そこはかとない希望が余韻として残る。
衝撃的な物語、結末。
愛と憎しみの連鎖。
出生の秘密を探る双子
繋がる過去からの事実。
殺伐とした関係の中に
救いは有るのか?
そう思いながら鑑賞した。
現在、某国で始まった争い。
映画の中にその一部がある。
何百何千年も続く争いに
平穏な時代は来るのか?
映画の中のひとりは
それでも愛を信じた。
※
すべてを赦す母の愛
なんの予備知識なく、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作だから見た。
最初は、戦争で引き裂かれた母子を描く作品かと思った。「戦争の悲劇」というのかな。
でも違った。
母親の決断というか葛藤というか、愛憎をすべて含め、「赦し」を与える母の強さを見せつけられた作品だった。
で、それを墓に持っていくこともできたのに、あえて子どもたちに教える(探させる)という、決意というか気概というか。
(個人的に言えば、そんな秘密を教えられても迷惑だけど(笑))
1+1=1。重すぎる話。ありえないのだが、実際にこんなことがおこる...
1+1=1。重すぎる話。ありえないのだが、実際にこんなことがおこるかも、と思えてしまうのが恐怖。
これもまた宗教紛争から。この世から宗教がなくなれば平和が訪れるのでは(笑)
マグダラのマリアだね。
宗教に関係なく人間としてやってはいけない最大のタブー。
フィクションであるだろうが、このストーリーが宗教での争いに終止符打ってくれれば良いが、現在この地は混沌とした状況。
『家族の絆』『母親の愛』何ていう次元ではない。母親の気持ちが分かるような気がする。本当は殺して、自分も死ぬ事を考えなければならない。しかし、それでも、全ての者を愛している。それが出来ない。だから、自分が生きている間は『贖罪』として沈黙を守り、全てを最後に話したのだろうと思う。人類に於ける『贖罪』ととられるべきだ。この映画の状況つまり1+1=1でなくとも、こう言った現実は重くのしかかる。宗教を越えて男からの一方的な生殖行為は淘汰されなければ駄目だ。また、
従軍慰安婦問題があった無かったではない。慰安所はあったわけだから、どの民族、どの人種であれ、止めるべきなのだ。勿論、その前に戦いを止めよう!!
マグダラのマリアだね。
激しい内戦を背景に、祖母から孫娘に、そしてその子供達に引き継がれる熱い骨太の家族史的物語
ドゥニ・ビルヌーブ 監督による2010年製作(131分、PG12)のカナダ・フランス合作映画
原題:Incendies、配給:アルバトロス・フィルム
デジタルリマスターー版劇場公開日:2022年8月12日
その他の公開日:2011年12月17日(日本初公開)
明確には示されてなかった気もするが内戦の最中(キリスト教徒とイスラム教徒間の長期(1975〜1990)に渡る争い)のレバノンが舞台。
カナダ在住の双子男女の主人公達(メリッサ・デゾルモー=プーラン、マキシム・ゴーデット)は、そこで生まれ育った母親の足跡と、遺書によって存在が明かされて、指示もされ自分達の父親と兄を探す旅に出る。
母親ルブナ・アザバルは、キリスト教徒であったがイスラム教徒の夫と恋愛する。しかし夫は兄達に殺され、その後生まれた子供は、祖母により踵に印を付けられて孤児施設に預けることとなり、自分は高等教育を受けさせられる。しかし、内戦が勃発し大学は閉鎖してしまう。
内戦の描写が凄まじい。キリスト教徒達はイスラム教徒達が乗ったバスを襲撃し、女子供も区別なくバスごと油をかけて火をつけ皆殺しにする、戦禍の中で子供を探している最中に巻き込まれた母親ルブナは、自分はキリスト教徒だっと言ってかろうじて助かるが、助けようとして抱えた幼子も撃ち殺されてしまう。カナダ・フランス映画でありながら、キリスト教徒による異教徒虐殺は、あまり見たことがなく、かなり強い衝撃を受けた。
その事件後、ルブナは希望してイスラム側のテロリストとなり、キリスト教側指導者の家に子供の家庭教師として潜入し、その指導者を見事に射殺。脱出準備も無く、当然敵側牢獄にぶち込まれが、そこで歌うことで何とか正気を保ち「歌う女」と呼ばれる様になる。その牢獄で出会うのが、拷問人の若者。
踵に印が有る子供や若者の映像がふいに挿入され、ルブナの最初の子供の軌跡が説明無しでさりげなく示されるのが、映画的で上手い。
双子の主人公達は、母親がその拷問人により孕まされ自分たちが生まれたことを知る。そのショックを和らげるためか、プールで爆泳し、胎児の時の様に水中で抱擁し合う映像が、やりすぎとは思ったが、かなり強く印象に残った。
兄の行方を追っていた主人公の1人マキシムが、1+1=1となってしまったとメリッサに告げる。その意味を知り嗚咽する彼女。劇的な展開で、こちらも一緒に大きな衝撃を受けた。このことを移住先のカナダのプールサイドで知った母親ルブナは、そのショックのせいか亡くなってしまった訳だが、最後の間際には救われた境地になっていた様。
即ち、母は自分の子供たち2人が、レイブではなく、愛する人間との間で誕生したと考えられることに、救いを覚えた。そして、そのことを、子供たちにも伝えたいと思い、その強い気持ちを遺書に託した。そして、その後に長男に渡す手紙を残した。
1人の母なる女性の強い意志を持った生き様、それが世代を超えて子供達にも影響を与えていくこと。そして、その骨太の家族史的物語を戦火を背景に語って行く本映画に、強烈なエネルギーと凄みを感じた。
監督ドゥニ・ビルヌーブ、製作リュック・デリー キム・マクロー、原作ワジディ・ムアワッド、脚本ドゥニ・ビルヌーブ、撮影アンドレ・チュルパン、美術アンドレ=リン・ボパルラン、衣装ソフィー・ルフェーブル、編集モニック・ダルトンヌ、音楽グレゴワール・エッツェル、挿入歌レディオヘッド
出演
ルブナ・アザバルナワル・マルワン、メリッサ・デゾルモー=プーランジャンヌ・マルワン、マキシム・ゴーデットシモン・マルワン、レミー・ジラール公証人ルベル。
ここまで重いとは…
テーマがテーマだけに軽はずみな感想は控えるが、全体を通してあまりに重過ぎるし残酷過ぎて、途中で逃げ出したくなるほど。かなり創り込んでいるとは思うが、素人目にはそこから愛とか平和への願いとかも読み取りにくいのが正直なところ。
個人的には「ダンサー・イン・ザ・ダーク」ばりの後味で、観終えてずーんと落ち込んだしまった。
大変重い内容だが描きかたはさらり
風変わりな母の遺言からはじまる
母の人生を辿る旅。
それは壮絶という言葉では足りないほど。
普通に考えれば子供にこそ知られたくない
時日なのだが、
死ぬまでずっと心に引っかかっていたことを
頼むには真実を明かすしか無かった。
変な母だと思われていても、
そこには子供たちへの信頼と愛嬢があるから
任せたことだったのだろう。
遺言の謎の墓碑、ああ、そういうことかと。
おもわず胸が詰まって泣いてしまった。
【”1+1=1。”衝撃的な母と双子の子供の関係性を描いた作品。母として過酷過ぎる経験をしながらも、実の息子に対する”赦し”が描かれている。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督って、初期から凄かったんだ!。】
■双子の姉弟、ジャンヌとシモンの母・ナワルが、ある日プールサイドで原因不明の放心状態に陥り息絶えた。
ナワルの遺言を知らされたジャンヌとシモンは、2人が存在すら知らされていなかった父と兄にナワルの手紙を渡すため、母の祖国を訪れることになる。
ジャンヌは、父への。シモンは兄への手紙を持って・・。
◆感想<Cautin!内容に思いっきり触れています。>
・今作では、ナワルが且つて過酷な生活を送っていた国の名は明らかにはされない。だが、拙い知識と状況を見ると、レバノン内戦だという事は容易に気づく。
・ナワルが、カナダに移住してからジャンヌとシモンに対し、余り愛情を示さなかった理由も、観ていれば良く分かる。
■若き、ナワルがレバノン内戦を主導した愚かしき政治家に対し、命を張って行った事。
だが、彼女はそのために“唄う女”として獄に繋がれる。
そこに現れたのは、彼女が且つて産んだ踵に三つの刺青を入れた男であった。
その男が、彼女に対して行った性的拷問。
だが、ナワルは命を絶つことなく、双子の子供を出産する。
<この辺りは、観ていてとてもキツイが、ナワルの複雑な気持ちを考えると、私は彼女の選択を肯定する。>
・そして、ナワルは亡くなった後、ジャンヌとシモンにそれぞれ遺言を残す。
【ジャンヌには、”父”を探してくれ。シモンには”兄”を探してくれ】
良く観ていれば分かるが、”父”=”兄”なのである。
■そこには、ナワルの実の息子に対する”赦し”と、ジャンヌとシモンに対しては、ナワルが経験した非人道的な行為を認識して欲しいという想いが込められているのである。
<今作は、前半はミステリー要素を絡めながら、そして後半は独りの女性が経験した想像を絶する真の物語が描かれる。
だが、その根底には母親としての、過酷な経験をしながらも、実の息子に対する”赦し”が描かれているのである。
今作は、ヒューマンミステリーでありながら、人間の業と赦しを描いた逸品である。>
憎しみと慈しみを足すと1になる★
一人の女性の子供たちに対する強い愛と、人間の永遠に終わらない憎しみの連鎖をテーマにした、ある種のタイムループ映画を見てるような強烈な感覚が襲いかかり、体が固まったまま動けなくなった。こんな秀作が埋もれているなんて世界は広すぎる
と思ったら、監督がまさかの、、、
評価がやたら分かれてると思ったら、彼だったかぁ。ブレードランナー2049を嫌いな人やたら多いけど、個人的には2の方が好きっていうw
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