50/50 フィフティ・フィフティのレビュー・感想・評価
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自分のための恋人?自分のための友達?
この映画は主人公の言動がいちいち自分を見ているかのようで好きです笑
※顔は別として
また ストーリーの流れがどこか現実的で、ほんとにジョセフがガンなのでは?と思ってしまうくらい、この映画は引き込まれます。ただ、こんな友情は存在するのかと少し憧れ、疑問を感じた。
笑いと涙のバランス加減も“50/50 フィフティ・フィフティ”で絶妙
癌を宣告された主人公。
若い主人公とは言え、よくある題材だが、実に新鮮な作品。
“病は気から”とでも言うように作風は軽快。癌をネタにナンパしたりもする。
これが日本映画だったらお涙頂戴の湿っぽい作品になり、韓国映画だったら恋愛を絡めたメロドラマになる。
作り話ではない脚本家の実体験ならではのユニークな感性が光る。
だが、癌は癌。深刻な問題。
癌を宣告されても前向きに受け入れる…というあらすじだが、軽快なのはあくまで作風で、当の本人は平常心を装っても内心は同様。
時々、嫌になったりもする。
親しくなった癌患者が死んだ時は、さすがに死を意識する。
そんな時、傍に居てくれるのは誰か。
恋人?親友?家族?新しい出会い?
同居中の恋人は「看病する」と言っておきながら、まさかの浮気。
女とヤル事しか考えてない親友にイライラもするが、何だかんだ言って一緒に居てくれる。(親友役のセス・ローゲンが、こういう友人いるいると思わせて憎めない)
過保護な親を煙たく思いながらも、やっぱり一番心配してくれる。
若い女性セラピストとの出会いが、少しでも気持ちを楽にしてくれる。(彼女との関係が、恋の始まりを予感させる描かれ方なのも好印象)
こういう時こそ、相手の本心が分かる。
思いもよらぬ本心が分かってショックを受けたりもするが、得られるものの方が多いハズ。
大切な誰かの支えなくして病には立ち向かえない。
それに助けられ、病には屈しない気持ちを持って、生きる希望に繋がる。
ジョセフ・ゴードン=レビットを始め役者は皆、好演。
生きるも死ぬも50/50
10年前というと、かつては17才くらいのことだったが、いつのまにやら27才ごろのことになってしまった。27才ごろ何考えてたっけ?少なくとも、「自分も例外なくいつかは死ぬ」とは微塵も思わなかったのは間違いない。あほだ。
明日にもやばそうな闘病記だが、あまり悲愴感を感じないのは、この主人公アダムと彼を支える親悪友カイルのキャラと2人の友人関係が醸し出すコントラストの成せる技だと思う。マジメで素直、アメリカ人なのに(偏見か)酒が一滴も飲めず、車の運転ができない。恋人にも優しく誠実なのに、カゲが薄くなんかいつも損をしているような印象が。アダムは見ているとなんかこう、のび太を彷彿とさせる。それに対して、カイルは暴力こそふるわないが、その面倒見の良さやきっぷのいいところ、いまだガキ大将っぽい振る舞いの裏ではしっかり心の底から友達思いなところが、なんとなくジャイアンを連想させ、私だけかもしれないが妙に懐かしく微笑ましかった。
人生これからの青春まっさかりなのに。なぜ自分がこんな目に。時折自暴自棄になるが、人生が終わる日、自分が死ぬ期限があらかた分かると、生きるのは案外楽になるのだろうか。この映画は、そんなことないよと教えてくれる。
アダム役のジョセフ・ゴードン=レヴィットがいい。日本人に好かれそう。童顔なのだが、年相応じゃない風もなく、くしゃっとなった笑顔がかわいい。
親しい人へ取るべき態度
私自身、父が癌の宣告を受け、50/50どころか8/92だったことからこの映画への感情移入具合は特別である。
多くの人が、友人が大病に掛った時にカイル(セス・ローゲン)の様に振る舞いたいと思うのではないだろうか。
しかし、同時にこんなことも思う。
果たしてそんな大病を抱えた人に対し、病を重く受け止めず自然体で居られるのだろうか?
だが驚くことにこの話は実話に即しているのだ。
若くして癌の告知を受けた脚本家のウィル・レイサーの実体験であり、そのウィル・レイサーをカイルの様に励ました友人がカイル役のセス・ローゲンなのだ。
これは単に癌を抱えた、もしくは命にリミットが掛ってしまった人間がそれと戦うと言った話ではない。
友情の話だ。
親しい人が避けようのない困難に陥ってしまった時にどうすればその人の心が穏やかでいられるかを示してくれた映画だと思う。
ちなみに前述した父は8%を勝ち取って今も元気だ。
多少の障害を抱えたが。
そして、私は父に対してカイルの様でありたいと願うのである。
死を覚悟した闘病の末にも、希望が見えるこの映画は力強く人生の素晴らしさが光る
この作品は何と言っても、あの「500日のサマー」に出演したジョゼフ・ゴードン=レヴィットの魅力全開の作品だ。
この俳優は、ロバート・レッドフォード監督の「リバーラン・スルーイット」で子供時代のノーマン役でスクリーンデビューをして売れっ子の子役となり、順調なキャリアを積んでいるが、一時期コロンビア大学でフランス文学を学び俳優業を休業していた事が有ると言う、そんな彼は、人気スター俳優であるけれど、同時にキアヌ・リーヴス同様に、ハリウッドの人気スターにだけ染まる事の無い、別の顔をシッカリと持った個性派の俳優と言うか、甘いナイーヴな役のキャラクターイメージとは違い、自己の世界観を強く持っている俳優の一人だと思う。
この作品でも、一見して人の良いだけの内気で、彼女の尻に敷かれっぱなしのアダムを熱演しているが、それでいて何となく、27歳で、或る日突然にガンの告知を受け、余命いくばくも無いかも知れないので、手術を受けることでの回復出来る確率が、この映画の題名でもある確立の50/50パーセントと言う事なのだが、そんな最低最悪の闘病生活を余儀なくされてしまう運命を持つ、アダムだが、内気で、彼女に中々自分の本心をも伝えられないでいた筈の、遠慮がちに生きてきた彼だが、結構打たれ強いと言うか、決してネガティブにだけなってしまう事も無く、落ち込み放しにならずに、病気をシッカリと命の糧として、その後の人生をしぶとく、新たな自分の希望を胸に生きていく、好感の持てる、芯の一本通った強い彼の生きる姿をコミカルに演じているのが、やはりジョゼフならではの魅力と言えると思うのだ!
全く憐れみでは無く、生きる事の素晴らしさや、力強く自己の人生を切り開いて、しっかりと粘り強く諦めずに生きて行く事の大切さや、内面性の強さを描いたこの映画は、可哀相と言う憐れみの感情ばかりで、涙を誘おうとする、一般の闘病映画とは違い、泣かなくてはいけないような、冷酷な人間だと迫り来る、難病映画に有りがちな不快感も全然無く、最後まで観れてしまうと言うのは、やはりジョゼフの俳優としての彼のキャラクターの魅力による所が大きいと思うのだ!
私の個人的な話で申し訳ないのだが、大親友が32歳の若さでガンになり、半年余りで、他界した経験があり、御家族からも、いち早く本当の病気の事を知らされていていたが、日本では未だ、患者本人に必ず告知すると言う事が確立されていない為に、周りが本当の病名を隠したりしていたが、その事で余計に病人に神経的にストレスが掛っていた様に思うのだ。結局回復が中々見込まれないので、途中で本人がガンである事に気付いて大変な事になった。一概に、アメリカ式に病気の告知を本人にする事が総て良いとは考え無いが、アダムの親友カイルと同じ立場でいた私が考えるには、自己の生命なので、やはり本人に一番知る権利が有り、真実を知った上で、それからの人生をどの様に生きるのかと言う選択の自由を得る為にも、何かの病気を発病したら、本人には告知をする事が一時的にはショックであっても、結果としてはその人の為になる選択かなとこの映画を観て考えるのだ。
心に留まる作品、観て良かったです
観てる時はそんなに大泣きでもなかったんです、温かい清々しい余韻でした。
だけど帰ってから思い出して、なんだかホロホロ泣きました。心に留まる作品、観て良かったです。
ガンを告知される少し前から淡々と時間がまっすぐ流れていき、主人公アダムにしっかり寄り添っていくことができます。
アダムを演じたジョセフ・ゴードン=レビットの、自然で繊細で、でも暗くなりすぎない演技が素晴らしかったです。セス・ローゲンも、豪快で根はいい奴の悪友カイルにはまってました。
他のキャストもピッタリ。アナ・ケンドリックはとってもキュートでしたし、アンジェリカ・ヒューストンの"普通の"お母さん、温かくて良かったです。
悪くない笑顔の確率。
「(500)日のサマー」でも不運を軽快に演じてみせたJ・G・レヴィット。
生真面目なのに笑いを誘う絶妙な顔をした俳優だと思う(誉めてます)
…というわけで今回の役も彼ならでは!と云わんばかりの適役。
しかし辛いのは生存率50%のガンに冒されてしまった青年ということ。
製作も兼ねたS・ローゲンのお下劣な励ましに支えられ^^;
自己中な彼女B・D・ハワードに振り回されながら闘病生活、これって
彼じゃなければ絶対耐えられないだろうと、そんな風にすら思える^^;
そう、普通ならお涙頂戴モノの境遇ドラマになるべきところを、
今作はまったく違う角度で描き、普通の青年が、普通に闘病する姿を
やたら軽快なサウンドに包みながら、笑いを織り込みながら描き切る。
とはいえ、きちんと恐怖を感じたり、切なかったりはしている。
それを正面から見せないところがニクイというか巧いのかもしれない。
なんだこれ?と思っていると、後半、彼がものすごい大声を張り上げる
シーンがある。普通の弱い人間ならば、もっと早くに叫んでいただろう。
辛い、苦しい、悲しい、腹立たしい、泣きたい、叫びたい、喚きたい、
誰かにうんと、甘えたい。
人間の感情はこうでもならないと、なかなか爆発しないのかもしれない。
そんな時、いつも傍にいるのに感動的な言葉を与えるでもない相手が、
不器用で特にアテにもならない相手が、恋しくてたまらなくなる不思議。
そんな心臓の鼓動が聞こえてくるような初々しくて切ない作品である。
…何しろこんな闘病ドラマは観たことがなかったので、一度お薦め^^;
親子関係の描き方も(多くはないが)絶妙な見せ方をする。
A・ヒューストンの顔はやはり計り知れず怖いのだけれど(汗)
この母親の気持ちを知らずして、なにが息子だ!病気だ!とすら思える。
人気のA・ケンドリックは相変らず可愛いが、セラピストはあのくらい
ドジでもいいんじゃないか?なんて思えてしまうし。
こんな若い女に俺の苦悩が分かってたまるか!と虚勢を張る主人公が
おめおめと電話をかけるシーンも感動的。
的確なアドバイスなど、吐いて捨てるほど分かりきった人間にとって、
ただ真剣にうんうんと悩みを聞いてくれる相手ほど有り難いものである。
まぁしかし^^;
ここまで周囲がおかしい人だらけ、っていうのも珍しいんだけどねぇ。
何ともいえない面持ちの中、どうなるんだ!?と思わせる後半といい、
どこまでも50%の確率で病だけでなく恋愛も描き切るさじ加減の巧さ。
最後の最後まで人生は捨てたもんじゃないと、かなり思えてしまう力作。
(だけどS・ローゲンの顔が苦手だ。何度見てもダメ。50%にして下さい^^;)
誰でも起きうる出来事。
脚本家ウィル・レイサーのガン闘病体験を元にした作品。
健康的な日常を送っていた27歳でのガン宣告。若いとガンは進行しますからねぇ。複雑&混乱すると思います。って言うか、私も今この時点でガン宣告を受けたら、どう思うんだろうなぁ。
ガンを描いた映画というと、暗い雰囲気の作品かと思うかも知れませんが、この作品はそうではありません。一応、コメディ作品に分類されています。とは言うものの、明らかに爆笑というシーンはそれ程有りません。クスリと笑うか、明るく前向きにガンに向き合っていくという事がこの物語の基本です。
主人公アダムの友人カイルがいい味出しています。元々楽観的な人物として、人物設定がされているのだと思いますが、そうだとしても、アダムを勇気付けようとして“敢えて”バカを演じている男になっています。劇中も、ガン患者と共に生きる事をテーマにした本を読んでいることが明らかになっています。
その一方、カイルの主治医が、なんだかなぁ。患者に向き合わない医師って、感じ悪いんですけど(笑)。
やっぱり物語上、去っていく恋人と新たな出会いと言うのは、避けられないんですかね?まぁ、それが作品に物語を与えているわけですが。でも、いきなり院生に単独でセラピーってさせるんですかね? DC修了の条件なのかな?
日常の中の非日常。誰にでもありそうなことを描いた映画です。まぁまぁ、いい映画だと思います。
笑いとドラマのバランスも「50/50」
27歳の若さで突然のガンの宣告。5年後の生存確率50%。人は、そんな状況をどう受け入れるのか? 家族や友人、そして恋人は、その事実にどう向き合うのか?
ひとつ言えるのは、どんなに健康に気を配っても、事故に遭わないよう気をつけても、病魔はいつやってくるか分からないということ。
いつ、何があっても、つまらん人生だったと思いたくはないものだ。
タイトルの「50/50」はもちろん生と死の確率だが、この映画の作風も言い表している。
難病を抱えてしまった重たい題材ながら、決して暗くならず、ジョークを散りばめ、却って元気が出るような筋書きになっている。コメディと人間ドラマのバランスもまた「50/50」なのだ。このバランスが絶妙だ。
親友のカイルが、普段と変わらず陽気にアダムとの時間を謳歌する。生存率が50%しかないと塞ぐアダムの言葉に対し、生きる確率が50%もあると切り返す前向きさがいい。そんな明るく振る舞う彼でも、その陰でガン患者である親友とどう向きあったらいいのか模索している事実を発見したときはジーンと熱いものが込み上げてくる。
また、恋人のレイチェルがとった行動も分かる。彼女もまた、自分の人生を賭けて日々過ごしているのだ。それもまた“よかった”のか“悪かった”のか「50/50」。あとになって判断することになるだろうが、どちらに転ぼうが人生に無駄なことは何一つない。
ラストは、これからどうするんだろう?と、オジサンの好奇心を掻き立てる爽やかな余韻が数日楽しめる。切り際が巧い。
シリアスに傾きがちな題材に程よいユーモアをまぶした脚本が秀逸。
シアトルの公営ラジオ局に勤めるアダムは、酒もたばこもやらないストイックが信条の27歳の青年。そんな彼が5年後の生存率50%のがんを患っていると診断され、それまでの日常が一変してしまいます。
見かけは、若くして白血病が見つかった若者の闘病日記というルックです。しかし、本作ではとことんそんな深刻ぶった闘病など笑い飛ばして、50%の生存率を楽しむかのような軽さが信条のテイストに仕上がっていました。
主人公アダムの気持ちを、いつもポジティブにマインドアップしてくれるのが、お馬鹿な悪友カイルの存在。全くデリカシーのかけらもなく、言いたいことをズケズケと、考えていることはナンパのことばかり。そんなチャライ男が身近にいた騒いでくれることが、かえって病気の苦悩や死の恐怖からアダムを救ってくれたのでした。そんな若さゆえのお気楽さがリアルに描かれていきます。
カイルにかかれば、末期ガンすらナンパの材料になってしまうから驚きです。でもアダムが病気のことを気にしていなかったわけではありませんでした。ナンパに成功して、女の子を自室に招いてベットインしても、集中できず、まったく快感を感じることが出来なくなってしまったのですね。
結局人が切羽詰まったとき、心の支えになるのは、カイルのように本心で動く心許しあえる存在なんだと思います。いま米国のコメディー映画では、そんなお馬鹿コンビとも言えそうなバディの関係を愛すべきものとして描かれる作品が多いようです。
そんな男同士の親密な関係を指す言葉として。最近「ブロマンス」という言葉が登場して、使われるようになりました。きっとこれから流行する気配が濃厚でしょう。「ブロマンス」はホモと違って、あくまでプライトニックな関係。仲間、兄弟分といった意味でのbrotherと、romanceを掛け合わせた造語だそうです。
男同士の軽いノリで見せながらも絆を深め合うところは、ドラマになりやすいところでしょう。
そんな「ブロマンス」な関係でもほどほどが肝心なようです。手術が迫って次第にナーバスになるアダムは、とうとうカイルの無神経さにキレてしまい追い出してしまうのですね。ところがカイルのいたところに読みかけのガンに関する解説書が置いてあったのです。アダムが本を開くと、付箋紙がびっしり貼り付けられて、メモ書きもあり、明かに読み込んだ跡がありありでした。このシーンには、グッときましたね。それまでお気軽に見ていたのが、見方を一変させられてしまいました。
お馬鹿のように病気を笑い飛ばそうと振る舞いながらも、カイルは親友の安否が心配で柄にもなく、病気の知識を密かに勉強していたのです。そんなさりげない演出に監督の登場人物への優しい目線を感じました。
アイルが死への不安の中で両親、友人、恋人との関係を見つめ直していく様をユーモアたっぷりに描き出す本作は、母親との関係が一番コミカルでした。とにかく食え食えというお節介ぶりに、共感を持たれる方も多いことでしょう。
またアイルの看病に疲れた彼女が浮気をしてしまい、アイルと別れてしまいます。そのあと、寄りを戻そうと再びアイルの前に現れたときカイルとともに、撃退するところが痛快です。
そんなアイルの新たな恋の相手として、バレバレなのが、アイルを担当した新米女性カウンセラー。こっちのラブストーリーは都合よすぎでおまけ的なサブストーリーですね。それでもぎこちない対話がさらりと恋に発展していく過程はなかなか面白かったです。カウンセラーを演じているアナ・ケンドリックはとっても愛らしい女優さんで、アイルを癒す存在としてはピッタリでした。
やはり本作で目立つのは、アイル役のジョセフ・ゴードン・レヴィットの演技でしょう。病気が見つかる前のおどけた表情が、病気が見つかったとき、突如険しくなるのです。そしてその事実を受け入れていくなかで、ラストには安らかなものに変わっていきます。 その自然な演技はきっと共感してしまい画面に、アイルの気持ちになってストーリーを体験されることになると思いますよ。
シリアスに傾きがちな題材に程よいユーモアをまぶした脚本が秀逸。映画はフィクションですが、物語のベースとなっているのは、脚本家のウィル・レイサーがガンを宣告され、それを克服した実際の体験から着想されたそうです。
セス・ローゲンがよかった
セス・ローゲンのあふれんばかりの優しさが本当にすばらしく、こんな友達がいたらなーと思わずにいられなかった。いっぽうで主人公がまったく面白みのない人物で、なのにいい友達はいて、女にもそこそこもてているのが釈然としなかった。病気は治って欲しいと思ったけど、最後まで好きになれなかった。お話はあんまり面白くなかった。
ジョセフの表情がイイ!
脚本家の実体験に基づいた作品というだけあって、とても好感のもてる作品だった。
27歳で、がん宣告されてしまったアダム。
生きられる確率は、50%。
どうするよ~、オレ~。。。
とりあえず、治療しなくっちゃ。。。
回りの者にがん告知をしてから、
過保護に拍車がかかる母親。
自分のことが一番大事が、より強くなる彼女。
女のことばかり考えている親友。
やたらと同情する会社の面々。
無表情な医師。
経験不足の若すぎるセラピスト。
辛く苦しい抗がん剤治療を始めるが、その治療で知り合った初老の二人も亡くなる。
抗がん剤治療の効果がなく、とても難しい手術を受けることになるアダム。
がん宣告から、ず~~~っと、普段通りの自分でいることを心がけていたアダム。
でも、その我慢も限界に。
アダムが、心の言葉を叫ぶシーンは、とても感動する。
回りの皆に心配をかけまいと我慢していた心の叫びを、やっと、言えたね! 言ううことができたね。
なんやねん、いつもいつもノー天気で!!と思っていた親友の、陰での努力。
母の悲しみ。
≪いつもと同じ≫ことをすることの、大変さ、大切さ、有り難さ。
それがわかる。
病気だということで引き起こされる悲壮感やお涙頂戴がなく、とても爽やかだった。
アダムとカイルの会話が、とても可愛くて可笑しい。
ジョセフは、とても表情が豊かで、言葉以上の言葉を、お顔で伝えてくれた。
パーフェクトな出来栄え
特にジョセフの表情がいい。
ガンの告知を受けたあとの無表情な顔。
“治療”でハイになったときのゆるんだ顔。
独りで過ごす夜の寂しそうな顔。
ナンパするときの照れたような顔。
そして、最後の笑顔がたまらない。
ジョセフの感情の起伏と
セス・ローゲンの笑いで
ぐいぐい引き込まれる。
観終わると、ほっこりいい気持ちになっていた。
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