「シリアスに傾きがちな題材に程よいユーモアをまぶした脚本が秀逸。」50/50 フィフティ・フィフティ 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
シリアスに傾きがちな題材に程よいユーモアをまぶした脚本が秀逸。
シアトルの公営ラジオ局に勤めるアダムは、酒もたばこもやらないストイックが信条の27歳の青年。そんな彼が5年後の生存率50%のがんを患っていると診断され、それまでの日常が一変してしまいます。
見かけは、若くして白血病が見つかった若者の闘病日記というルックです。しかし、本作ではとことんそんな深刻ぶった闘病など笑い飛ばして、50%の生存率を楽しむかのような軽さが信条のテイストに仕上がっていました。
主人公アダムの気持ちを、いつもポジティブにマインドアップしてくれるのが、お馬鹿な悪友カイルの存在。全くデリカシーのかけらもなく、言いたいことをズケズケと、考えていることはナンパのことばかり。そんなチャライ男が身近にいた騒いでくれることが、かえって病気の苦悩や死の恐怖からアダムを救ってくれたのでした。そんな若さゆえのお気楽さがリアルに描かれていきます。
カイルにかかれば、末期ガンすらナンパの材料になってしまうから驚きです。でもアダムが病気のことを気にしていなかったわけではありませんでした。ナンパに成功して、女の子を自室に招いてベットインしても、集中できず、まったく快感を感じることが出来なくなってしまったのですね。
結局人が切羽詰まったとき、心の支えになるのは、カイルのように本心で動く心許しあえる存在なんだと思います。いま米国のコメディー映画では、そんなお馬鹿コンビとも言えそうなバディの関係を愛すべきものとして描かれる作品が多いようです。
そんな男同士の親密な関係を指す言葉として。最近「ブロマンス」という言葉が登場して、使われるようになりました。きっとこれから流行する気配が濃厚でしょう。「ブロマンス」はホモと違って、あくまでプライトニックな関係。仲間、兄弟分といった意味でのbrotherと、romanceを掛け合わせた造語だそうです。
男同士の軽いノリで見せながらも絆を深め合うところは、ドラマになりやすいところでしょう。
そんな「ブロマンス」な関係でもほどほどが肝心なようです。手術が迫って次第にナーバスになるアダムは、とうとうカイルの無神経さにキレてしまい追い出してしまうのですね。ところがカイルのいたところに読みかけのガンに関する解説書が置いてあったのです。アダムが本を開くと、付箋紙がびっしり貼り付けられて、メモ書きもあり、明かに読み込んだ跡がありありでした。このシーンには、グッときましたね。それまでお気軽に見ていたのが、見方を一変させられてしまいました。
お馬鹿のように病気を笑い飛ばそうと振る舞いながらも、カイルは親友の安否が心配で柄にもなく、病気の知識を密かに勉強していたのです。そんなさりげない演出に監督の登場人物への優しい目線を感じました。
アイルが死への不安の中で両親、友人、恋人との関係を見つめ直していく様をユーモアたっぷりに描き出す本作は、母親との関係が一番コミカルでした。とにかく食え食えというお節介ぶりに、共感を持たれる方も多いことでしょう。
またアイルの看病に疲れた彼女が浮気をしてしまい、アイルと別れてしまいます。そのあと、寄りを戻そうと再びアイルの前に現れたときカイルとともに、撃退するところが痛快です。
そんなアイルの新たな恋の相手として、バレバレなのが、アイルを担当した新米女性カウンセラー。こっちのラブストーリーは都合よすぎでおまけ的なサブストーリーですね。それでもぎこちない対話がさらりと恋に発展していく過程はなかなか面白かったです。カウンセラーを演じているアナ・ケンドリックはとっても愛らしい女優さんで、アイルを癒す存在としてはピッタリでした。
やはり本作で目立つのは、アイル役のジョセフ・ゴードン・レヴィットの演技でしょう。病気が見つかる前のおどけた表情が、病気が見つかったとき、突如険しくなるのです。そしてその事実を受け入れていくなかで、ラストには安らかなものに変わっていきます。 その自然な演技はきっと共感してしまい画面に、アイルの気持ちになってストーリーを体験されることになると思いますよ。
シリアスに傾きがちな題材に程よいユーモアをまぶした脚本が秀逸。映画はフィクションですが、物語のベースとなっているのは、脚本家のウィル・レイサーがガンを宣告され、それを克服した実際の体験から着想されたそうです。