「死を覚悟した闘病の末にも、希望が見えるこの映画は力強く人生の素晴らしさが光る」50/50 フィフティ・フィフティ Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
死を覚悟した闘病の末にも、希望が見えるこの映画は力強く人生の素晴らしさが光る
この作品は何と言っても、あの「500日のサマー」に出演したジョゼフ・ゴードン=レヴィットの魅力全開の作品だ。
この俳優は、ロバート・レッドフォード監督の「リバーラン・スルーイット」で子供時代のノーマン役でスクリーンデビューをして売れっ子の子役となり、順調なキャリアを積んでいるが、一時期コロンビア大学でフランス文学を学び俳優業を休業していた事が有ると言う、そんな彼は、人気スター俳優であるけれど、同時にキアヌ・リーヴス同様に、ハリウッドの人気スターにだけ染まる事の無い、別の顔をシッカリと持った個性派の俳優と言うか、甘いナイーヴな役のキャラクターイメージとは違い、自己の世界観を強く持っている俳優の一人だと思う。
この作品でも、一見して人の良いだけの内気で、彼女の尻に敷かれっぱなしのアダムを熱演しているが、それでいて何となく、27歳で、或る日突然にガンの告知を受け、余命いくばくも無いかも知れないので、手術を受けることでの回復出来る確率が、この映画の題名でもある確立の50/50パーセントと言う事なのだが、そんな最低最悪の闘病生活を余儀なくされてしまう運命を持つ、アダムだが、内気で、彼女に中々自分の本心をも伝えられないでいた筈の、遠慮がちに生きてきた彼だが、結構打たれ強いと言うか、決してネガティブにだけなってしまう事も無く、落ち込み放しにならずに、病気をシッカリと命の糧として、その後の人生をしぶとく、新たな自分の希望を胸に生きていく、好感の持てる、芯の一本通った強い彼の生きる姿をコミカルに演じているのが、やはりジョゼフならではの魅力と言えると思うのだ!
全く憐れみでは無く、生きる事の素晴らしさや、力強く自己の人生を切り開いて、しっかりと粘り強く諦めずに生きて行く事の大切さや、内面性の強さを描いたこの映画は、可哀相と言う憐れみの感情ばかりで、涙を誘おうとする、一般の闘病映画とは違い、泣かなくてはいけないような、冷酷な人間だと迫り来る、難病映画に有りがちな不快感も全然無く、最後まで観れてしまうと言うのは、やはりジョゼフの俳優としての彼のキャラクターの魅力による所が大きいと思うのだ!
私の個人的な話で申し訳ないのだが、大親友が32歳の若さでガンになり、半年余りで、他界した経験があり、御家族からも、いち早く本当の病気の事を知らされていていたが、日本では未だ、患者本人に必ず告知すると言う事が確立されていない為に、周りが本当の病名を隠したりしていたが、その事で余計に病人に神経的にストレスが掛っていた様に思うのだ。結局回復が中々見込まれないので、途中で本人がガンである事に気付いて大変な事になった。一概に、アメリカ式に病気の告知を本人にする事が総て良いとは考え無いが、アダムの親友カイルと同じ立場でいた私が考えるには、自己の生命なので、やはり本人に一番知る権利が有り、真実を知った上で、それからの人生をどの様に生きるのかと言う選択の自由を得る為にも、何かの病気を発病したら、本人には告知をする事が一時的にはショックであっても、結果としてはその人の為になる選択かなとこの映画を観て考えるのだ。