パール・ジャムと言ったら、コンサートのチケットは多分買えないだろうというイメージが強い。それに、エディーべダーかなり多くの映画音楽を製作しているようだ。例えば、最近の『アメリカン・フラッグ』や『イン・ツー・ザ・ワイルド』など。
1989年キャメロン・クロウがナレーターでこのドキュメンタリーが始まる。アンドリュー・ウッド(ボーカル)がヘロインの過剰摂取で死亡してから、1990年ごろ、サンディエゴで、歌って、’はたらしていたエディーがデモ・テープFootsteps を送ってきた。カセットには彼の電話番号までも書いてあった。それからストーン・ゴッサード Stone Gossard ギター、 マイク・マクレディ Mike McCready ギター、 ジェフ・アメント Jeff Ament ベースに加わったらしい。
1990年12月22日シアトルでのAlive (Mookie Blaylock - The Moore Theatre - Seattle, WA 12/22/1990)
個人的に、1990年はロックは全く聴いていなかったが、何しろ観客の上に飛び乗っていくシーンを見かけるし、歌より演技が異常なの(カッコいい?)でよく知っていた。本人もこういうショーで体を傷つけたと語っていた。それに、バンドのメンバーもエディーはやりたいことをやるって。
PEARL JAM PINKPOP 1992 この映像が見つかったので、載せておく。
エディーには2007 年の映画 「Into the Wild」で興味を持った。このサウンドトラックは インディオの(Indio ) "Hard Sun" と ジェリーハンマン(Jerry Hannan )の "Society".を除いてエディーが映画に合わせれ音楽を作ったようだ。
Eddie Vedder - Guaranteed (Into The Wild)
その後だと思うがエディーのインタビューを聴いたがあまりにも何も言えなく、頭おかしくなちゃったのか(ファンには失礼)と思った。しかしこのドキュメンタリーでエディーが初めてシアトルのバンドでボーカルとして参加後も尚且つ恥ずかしがり屋だったそうなので、これを聴いて納得がいった。歌は人前で歌えるが正式なインタビューをされて答えるのは別問題だね。ここでのキャメロンクロウのインタビューは全く正式なのではなさそうだしね。でも恥ずかしそうな表情をするよね。
ちょうど五十九分見たんだけど、頭が痛くなちゃって、もう見られなくなちゃった。これだけ怒鳴って歌っていれば、なんて言っているかわけがわからないし........ファンには申し訳ないが、エディーは
張り切りすぎているよね。だから人気があるのかもしれないね。
後半は翌日みた。メンバーそれぞれの個人的な話題にも触れていて、初めて、エディー(エド)以外のメンバーのバックグラウンドがわかった。個人的にはベースのジェフ・アメント Jeff Amentが好きだった。なぜかというと、彼はモンタナのビッグ・サンディで(上院、Joh Tester)の田舎で育っている。
ウィッキーでも調べて見たので、映画以外のことも書くが、父親は十五年間市長で、また学校のバスの運転手だったり、床屋だったりしている。(カエルの子はカエルで、親が社会貢献の見本を見せている。)ジェフは街に出たくて、シアトルに出てきて、商業バンド(?)と言われ、世界的に大成功を収めた。しかし、自分の田舎、モンタナの七百人ぐらいしか住んでいない、(そして、抜け出てきた故郷を忘れていない。)彼はスケートボードが好きであるから、また、スケートボードをして育ったから、その施設をモンタナ州に25建設した。ネイティブ・アメリカンの居住地にも。(ウィッキー)
かなり、他のメンバーも社会貢献している。ニールヤングのブリッジ・スクール、
Pearl Jam - Bridge School Benefit, Shoreline Amphitheatre, Mountian View, CA (10/01/1994)
堕胎を支持、チベットの自由、チケット・マスターの独占主義にも反対している。