アンダーグラウンド(1995)のレビュー・感想・評価
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昔、あるところに国があった
ある日突然に祖国が消えてしまう。なかなか想像するのも、理解するのも難しいが、旧ユーゴスラビア出身のエミール・クストリッツァ監督にとっては特別な想いのある作品だったのだろう。
とにかく画面を通して伝わってくるエネルギーが凄まじい。
喜劇でもあり、悲劇でもあり、寓意的なブラックファンタジーでもあり、どこか神話のような高尚さもある。
冒頭のマルコとクロが楽隊を引き連れ、どんちゃん騒ぎをしながら馬車で疾走するシーンから、これは人間の滑稽さを描いた作品なのだと思わせる。
三部構成のかなりスケールの大きな物語なのだが、人間の持つ欲求は突き詰めればとてもシンプルなものなのだと分かる。
これは二人の男が一人の女を奪い合う物語であり、人が人をコントロールしようとする物語でもある。
一見、マルコとクロの間には友情があるようだが、実は豪快で直情的なクロをマルコが利用していることが分かる。
クロは強引にナタリアという女優を手に入れようとするが、彼女を想っているのはマルコも同じだった。
やがてクロはドイツ軍に捕らわれ拷問を受ける。
マルコは瀕死のクロを助け出すが、彼はクロをそのまま地下室に閉じ込め、ナタリアを独占しようとする。
戦争が終わり、マルコは巧みに政界に取り入り出世していく。
国民の間ではクロは戦争で命を落とした英雄として崇められていたが、実際はマルコとナタリアの屋敷の地下で武器を製造するレジスタンスのリーダーとして君臨していた。
マルコは彼らに戦争が終わったことを告げずに、外貨を稼ぐために彼らを利用していたのだ。
マルコを愛していたナタリアも、次第に彼の狡猾さに嫌悪感を抱くようになる。
このナタリアもとても弱い人間で、常にステータスの高い人間の側につこうとするようだ。
地下で行われるクロの息子ヨヴァンとエレナの結婚式のシーンは狂気に満ちている。
そしてやがてその狂気は大きな悲劇へと繋がっていく。
全編通して喜劇的な要素が強いからこそ、シビアな現実に打ちのめされる。
第一部のナチスによる空爆のシーンも印象的だ。
犠牲になるのは人間だけではない。破壊された動物園から逃げ出した動物たちが傷つく姿はかなりショッキングだった。
そして悲劇的な第三部。ユーゴスラビアは既になく、実の兄から騙されていたと知ったイヴァンは、マルコを殴り倒し首を吊って自殺する。
そしてマルコとナタリアも銃殺される。その命令を下したのはクロだった。
炎に包まれながらマルコとナタリアを乗せた車椅子が、クロの目の前で走り回るシーンはかなりショッキングだ。
人間とは愚かで滑稽な生き物だ。
イヴァンは三度もマルコに命を救われるが、彼を殺したのもまたマルコだった。
クロの妻ヴェラは命と引き換えにヨヴァンを生むが、そのヨヴァンも何も世界を知らないまま呆気なく命を落としてしまう。
そしてその息子を間接的に殺してしまったクロは、知らぬうちにマルコと愛する女だったナタリアに死刑の命令を下してしまう。
最後まで無垢であり続けたのは、イヴァンの相棒のチンパンジーのソニだけだろう。
ラストのすべてが許される天国のような場所で、どんちゃん騒ぎをしながら海へと流されていく彼らの姿がとても悲しく映った。
ストーリーも映像も音楽も、とにかく独特な作品
思った内容と全然違った。独特なパーティー音楽に乗せた乱痴気騒ぎ、そしてブラックな笑い満載の破天荒なストーリーと登場人物。上映時間170分も結構観入ってしまったためさほど長さは感じなかったものの、観終えた時は良くも悪くもお腹いっぱい。気に入ったシーンをダイジェストで繰り返し観る元気ももはや無し。
一般的には評価の高い作品だが、独特過ぎて好き嫌いは分かれそう。個人的にはもう一度ぜひ観たい、というほどではなかったのが正直なところ。
あれっ、これってどういうことっ、て不意をつかれるラストシーンは余韻を残す。どう解釈すべきか。
観終えた時、どういうわけか「どつかれてアンダルシア(仮)」を思い出した。
『真実は肉体にやどり、芸術は嘘だ。』 正に! えっ!パルム・ドール??こんな映画だから、パルム・ドール何だね。
似ている映画を思い出した。『まぼろしの市街戦』今一、ピンと来なかったって覚えている。まぁ、この映画は、
『酔っ払った奴らががなり立てる宴会を見続けるって感じ』かなぁ。
要は不条理なドタバタ映画。但し、ハリウッドのパイ合戦ポルカが出るような陽気なところは何一つ無い。
『かつて国があった』と言うが、それをどう思っているのか?それが分からない。勿論、立場によって違う訳だが、この監督がどの民族なのかわからないので、どうとらえて良いのか?分からない。彼はロマ族なのだろうか?そうならば、支配する国がどこであれ、そんなことはあまり意味が無い。そう考えるとこの監督のこの映画は、ロマ族を利用して、面白おかしく作った映画に見える。
ユーゴスラビアの社会主義はソ連の影響が薄い社会主義国であったことは、当時(昔)から有名で、チトーが率いる社会主義をルーマニアのチェウセスク(勿論、独裁者だろうが)と並んで、新しい社会主義ともてはやしていたと記憶する。何故なら、チトーは連合国側の援助で、パルチザン運動をやって、戦後いち早く、スターリンと決別している。さて、チトーが独裁者であって、大戦後の混乱が、チトーの責任だと単純に断定して良いのだろうか?
この映画では、共産主義の名の元、『そうだ』と語られている。僕は当事者ではないのでわからないが、イデオロギー(共産主義)まで、ここで論ずるのは些か勇み足だと思う。ましてや、幾人もの尊い命が奪われた内戦である。こんな面白くもないコメディで語ってもらいたくないと思った。やはり、男目線な争いの総括に見える。
やっぱり、この監督はセルビア人。つまり、旧ユーゴスラビアを良しとする側。そして、チトーはハンガリー人って記載されている。兎も角、セルビア人を今のロシア人見たく、言っていた時代もあったことは忘れるべきではない。
『共産主義は地下のようなものだ』と言ったセリフが出てくるが、ソ連もユーゴスラビアも共産主義ではない。この映画は、巧妙に作られたプロパガンダ映画の様な気がする。
あの差別映画(ジプシーの時)の監督ですか? なるほど、旧ユーゴスラビアの復活を望むセルビア人が、ロマ族やユダヤ人を擁護したり、理解を示す訳がない。
紛争という狂気
ドイツ占領下の映画の撮影シーン以降、一気に引き込まれた。
シャガールの絵画の花嫁のように舞う白いドレスの娘、初めて地上の世界に触れたヨヴァンの無垢な表情、炎に包まれて回る車椅子、陽気な音楽と共に踊り続ける人々…。
幻想の中にのみ楽園は存在し得るのだろうか。
ー 昔、或るところに国があったと
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕版)
昔、あるところに国があった
軽快なブラスバンドにコメディタッチに進んでゆくが後半のユーゴ内戦の部分はとても重くてショッキングだった。
そんな最後に今まで死んでいったキャラたちが集まって明るく何かパーティを開いて仲直りして語り合っている場面は救いがあった。
そのうちの一人が「昔、あるところに国があった」と伝える場面
亡くなってしまった祖国に思いをはせ、辛い内戦を嘆いているのだなと感じた。
昔を美化しているという意見もあるけれどやはり生まれた者にはそこが美しく感じるのでなかろうか、婆さんも満州生まれでそこの思い出をたまに語ることがあるけれどこの映画を見ていたらそのことを思い出した。
う〜む、素晴らしい!!*\(^o^)/*
なんともやかましい酔っ払い2人のオープニングで、あれよあれよと、空襲で動物園がはちゃめちゃになり戦争モードへ。瀕死のライオンがこれまた瀕死のアヒルに食い付くシーンとか、ゾウが窓辺にやってきたりとか、グイグイ引き込まれ、登場人物の3人関係のもつれもありで目が離せない〜!
これだけ笑わせる反戦映画には驚きと素晴らしさを感じました◎
地下生活のせいで、月を太陽、鹿を馬と思ったり、、、そして朝日の美しさに感動する息子のエブァン。(アホなのか魚はもっと火に近づけないと焼けないよって教えたい。)飼っていたサルは大事にしても、兄の悪巧みは許せない吃音ある弟イブァン。
炎上してグルグルと止まらない車椅子のシーンは残酷でしたが、ラストシーンは素敵で良かった〜◎
家族や仲間達と美味しい料理と楽しい故郷の音楽。これがしあわせ。
分断で国が無くなるのは悲しいけど、子供達には伝えていきたいんですね、やっぱり。
ユーゴスラビアの過去の勉強にもなりました。
NHK BSプレミアム放送にも感謝します。
クラクラした
エネルギーに満ちていて良かった、最初の方クロとマルコの顔の区別がつかず混乱した、観終わってからあらすじを読んで、そんな話だったのか・・・、と、全然わかってなかったことに愕然とした、なんだかずっと勘違いして観ていたらしい、フィクションっぽく始まって、でも登場人物たちにすごく実在感があると思って、実際の映像も挟まれていたりして、それで映画内の現実のラインが分からなくなって、クロや他の地下の人びとは本当は死んでいて、亡霊のような存在で・・みたいに観ていたら違ったようだった。でも、フィクションが現実を浮かび上がらせるというか、戦争と国の話で、おとぎ話のようでいて・・・「ファンタジックでノスタルジックなのに、確かにこの現実とつながっている」感じだった。また観たい。
これぞカオティック
リアルタイムで観た時には、学生だったので内容が十分理解できなかったのですが、20年弱振りに見直したところ、完成度の高さに度肝を抜かれました。
映画の始めでは、ナチス侵攻化でパルチザンとして活動するマルコとクロですが、物語が戦後のチトー政権下へと進むにつれて、二人は全く異なる概念と環境で生きて行くことになります。
そしてこのマルコとクロが、ユーゴスラビアが歩んだ国家の歴史の「表」と「裏」として描かれていることが凄い所です。
マルコから嘘を吹き込まれて、せっせと武器を作るクロ。その武器で儲けるマルコ。最終的には、憎しみあい、分裂する。それは、ユーゴスラビア政府と国民の姿にも重なります。
しかし、劇中の2項対立はこれだけにとどまりません。動と静、明と暗、地上と地下、そして安住と紛争。
対立する二つの概念がカオスとなり、更なる悲劇を生み出していくことを喜劇として描いているものの、その重みはクストリッツァ監督にしか表現できないものだと思います。
また、映画全体の躁鬱加減が絶妙で、明るさがある分悲しみが一層際立ちます。映画を観る前と観た後では、あんなに能天気に聞こえたバルカン音楽も全く違う聞こえ方になりました。
ラストは、地下の楽園から地上の楽園を描いたのでしょうか。祖国が幻とならないことを願わんばかりに。
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