「耽美派作品の金字塔」ベニスに死す pipiさんの映画レビュー(感想・評価)
耽美派作品の金字塔
トーマス・マンの原作を、よくぞこれだけ見事に映像化出来たものだ!と、いつ観ても感服する。
アッシェンバッハのモデルはマーラーだとする声が一般的かと思うが(名前、グスタフだからね)原作だとトーマス・マンの自伝的側面の方が強く感じられる。
ヴィスコンティはマーラー風味を強めているが、それは本作にて最も重要な「美」や「芸術性」を表現する幅を広げる事に役立っていると思う。
「完璧なる美の体現者」を見つめる視点にはヴィスコンティ自身の経験や感性が加味されている。
マティーニに例えるならば、ジンがトーマス・マン、ベルモットがマーラー、ヴィスコンティがレモンピールくらいの配合かと思う。
原作の方がドライに近づくってわけだなw映画の方が華やかで誰でも飲みやすい口当たりに仕上がっていると思う。ヴィスコンティはやはり非常に腕の良いバーテンである。
作中ではグスタフとアルフリート(マーク・バーンズ)が芸術論を交わす場面が好きだ。
1900年代前半というのは大学生ならば当たり前に哲学や芸術、文学を語り合う事が出来たであろう。
いや、70年代もまだそうであった。私の両親は高卒で大学進学していないが家には彼らが読破済みの中央公論の世界の文学、日本の歴史、世界の名著などの全集が全巻揃っていた。おかげで私も中学生のうちにそれらを娯楽作品として読み終える事が出来た。
だから私にとってはトーマス・マンもウルトラマンも機関車トーマスも等しく同列に楽しい趣味の話に過ぎないのだが、トーマス・マンだけが知的マウントだ、スノッブだ、との誹りを受ける。
言いたい事も言えない世の中じゃ、まったく窮屈でならない。
せめて映画レビューくらい好きな事を自由に書きたい。
「ベニスに死す」はカフカの「変身」などと同様に19世紀リアリズム小説へのアンチテーゼ作品群と見做される。
(※リアリズム小説・・バルザックやトルストイなど、様々な階層の日常的なキャラクターを登場させ、日々の暮らしを通じて時代や社会を描いた。過剰なロマン主義への反動として誕生)
日常的なリアリズムを超えて、心の奥底に眠る非合理な感情や心情を描こうとしている。
現代ではすでにありふれたテーマかもしれないが、本作が書かれた当時は大変な挑戦であったのだ。
近代科学文明の発達によって「理知」ばかりが重視され始めた西欧文化に潜む欺瞞を指摘し、理性の先にある無意識領域、理性・理屈では割り切れない「心の奥底から湧き上がる情動」を描く本作はフロイトやニーチェの思想にも通ずるところが多い。
アッシェンバッハがタージォに重ねるギリシャ神話のイメージも非常に好みだ。
ニーチェはアポロンに象徴される「秩序や規律を重視するクリエイティブな衝動」とディオニソス(バッカス)に象徴される「無秩序や破壊を求める陶酔的な衝動」の混合こそが人間の本質かつ芸術の本質だと説いた。
秩序・道徳・純潔ばかりのアッシェンバッハに対してアルフリートが主張しているのはまさにこれだ。
しかるに、アッシェンバッハはタージォとの出会いによってニーチェの言葉の意味を心底理解することになる。
アッシェンバッハはプラトンの「ソクラテスとパイドロス(ファイドロス)の対話」に準えながらタージォの「美」を愛でる。
この「対話」では愛(エロース)と少年愛(パイデラスティア)への言及があるがそれは「堕落的な肉体関係」ではなくて「共に真・善・美を探求する愛知者(哲学者)的な友愛関係への昇華を目指すべきだとプラトンは述べている。
アッシェンバッハは当然ながら、そうあるべくタージォを見つめているのであろうが、そこには紛れもなくタージォの「美」に起因する「陶酔」がある。
秩序・規律の忠犬だったアッシェンバッハにとってタージォの「美」はすでに薬の域を超えて「毒」であった。コレラの危機を知りながらもタージォから離れられないほど、甘美な陶酔の虜になっていた。
それにしても驚くのはビョルン・アンドレセンの存在だ。
彼なくして、この名作の誕生はあり得なかっただろう。
(私にとって「ベニスに死す」は人格形成期に多大な影響を与えた作品の1つなので2021年のドキュメンタリーで初めて知った事柄に関しては本作のレビューでは触れない事にする)
日本でも竹宮惠子、萩尾望都、木原敏江、魔夜峰央、大島渚などに本作が与えた影響は計り知れない。その結果、彼らが生み出した作品群は日本中、世界中に更に大きな影響を与えた。あたかも波紋が大渦にまで広がったかの如くだ。
ヴィスコンティは神話世界の幻想性を背景に、道徳や倫理に敢えて背を向け破滅的なまでに「美」に傾注するさまを鮮やかに映像化した。
神々しいまでの美が輝く中、熟れきった頽廃の果実の濃密な香りが立ち込めていそうな矛盾すらもが映像から感じられる。
ヴィスコンティの匙加減が原作の配合バランスを僅かに組み替える事によって、ワイルドやボードレールに匹敵するデカダンな耽美派作品の金字塔としての本作を生み出したように思う。