ヘルプ 心がつなぐストーリーのレビュー・感想・評価
全14件を表示
理解できない、ってここでも言うか、懲りないオレ
「シャーロック・ホームズ シャドウゲーム」はオレが立ち入ったらいけない世界だったということが良く分かった。まあ、そんなにほいのする映画だったが、レビューの表現をもっとオレらしく直接的に書けばよかったと反省。二度と観ることも無いし。
さて、「ヘルプ」
まず圧倒的にオトコの出番が無い。あくまで女性の生活の中での戦いが舞台。男が絡むと急激にシリアス度が増すので、コメディータッチのヒューマンドラマとして本作を成立させるためにオトコは出てはいない。
だからここで行われている差別がどこまで深刻なものかどうかは、はっきり言ってこの映画では疑問だし、勉強になるとは決して思わないほうがいい。だってどうしても飯と子育て、教育OK、便所NGは映画では理解できないし。
仲間からハブにされる白人女性を入れていることから、歴史的背景よりも、感情面で差別している、というところを本作は重視しており、単純に見た目がどう、とか生まれがどう、だけの差別への戦いの映画と観ると難しくなくなる。
ましてやその背景を知らないオレは、いじめっ子といじめられっ子と、新聞係のお話としてみるしかないのだ。チョコパイなんか、ほんまそのレベルだしね。
案外当事者のアメリカ人も案外そう見ているのかもしれない。
でもだからこそ「チョコパイ」なのかもしれない。
しかし、そう見ると何てことない、特に取り立てて面白い映画ではなくなるんだよね。
オレは本作は女優陣のオモロイ演技を楽しんだ。特にハワードはトリアーの「マンダレイ」を見た後だっただけに余計オモロかった。
ほか
最近のアカデミー賞がらみの映画ってなんか
「おお、すまんかったのう、勘弁せえや」
という映画が多い。
ほか
パゾリーニの例の映画よりこっちのほうがオレはダメ。あのミニーの顔とセットでトラウマ。アレを笑いどころとはオレ「理解できない」。
無自覚な人たちへ
ヘルプを雇っている白人の若奥様連中がアフリカへの支援でチャリティーオークションを開催する話を序盤からしている。おいおい、アフリカの人たちだって黒人だぞ、目の前のヘルプの人たちに酷いことしておきながらチャリティーとは笑わせてくれるなどと思った。
と同時に、この物語のラストは本を出版することになると思うが、そんな本が肝心の白人連中に読まれることはあるのだろうかとも思った。
この一見関わりのない二つの事柄は繋がっていた。
アフリカの人たちは直接自分とは関係ない人たちで、だから自己満足のために支援したりするわけだが、本作の中で出版される本も活字になり一瞬目の前から登場人物が姿を消すことでアフリカの人たちと同じような立場になった。
つまり、どことなく自分とは関係のない人たちになり、本は読まれることとなる。しかし当然、中に書かれている人たちは今目の前にいるヘルプの人たちの事であるから、そこでやっと今まで無自覚に行っていた差別的な事柄について気づくことになる。
一番の問題は、無自覚だったということだ。黒人に対する横暴が当たり前すぎて、問題であることすらわかっていない人たち。この人たちに本という形で触れさせることが出来たことは良かったのだろう。
無自覚に差別的な若奥様の対の存在として、ジェシカ・チャステイン演じるシーリアが登場する。彼女は見た目こそ、町の同世代の奥様方に迎合するために派手なバービー人形のようだが、内面は全く違い、差別的な人物ではない。
それは彼女が田舎育ちで差別などない環境で育ったからで、無自覚に非差別的なのだ。
無自覚に差別的な者と無自覚に非差別的な者。よくも悪くも人間は環境の生き物であるから、シーリアのような人物が育つ差別のない環境を作っていくことが真に大事な事だと思った。
とまあ、色々書いたけれど、もちろん作品のメッセージ性は大事だが、それよりも面白く観ることが出来たのが一番良かった。
監督は作品のトーンを大事にしているような話をしていたが、そのおかげか暗くなりすぎず笑える場面もあったり明るいシーンもあったりと、バランスよく娯楽性も備えている。
脚本が上手かった。
信念を貫く
奴隷として白人宅で働く黒人女性たちの実態を、1人の白人女性が一冊の本「The Help」に記して世の中に伝え広める物語。
幼少期に黒人から愛情いっぱいに育てられた経験があり、この女性は黒人に対する差別や偏見がない。そして、大人になり白人の黒人に対する差別や偏見を知る中で、記者としてこの現実を何とか変革できないかと試みる。その中で、友人や恋人、母親と衝突するのだが、自分が正しいと思うことを貫き、信念を曲げずにひたむきに行動する。
人間としての豊かさ、本当に大事なこととは何かを感じ取れる映画だった。
原作を読みたくなりました
1960年代アメリカ南部。
黒人への差別が最後まで激しく残っていた地域のメイド達の心が解放されるお話。
念のため色々調べた。
当時は1$=¥360のため、日本円で給与額を調べると貧困層とは言えない…(価値3.9倍計算すると25万円台)
でも、182$×12ヶ月してもたかが知れていて、当時の平均年収は5,000$を超える層が一番厚いので、その半分以下の収入のために月に192時間も働いてると分かる。それも社会保障もなく、命がけの差別を受けながらね。
そんな中でエイビリーンが勇気を出すシーン、素敵。
ミニーも続く。彼女はやり過ぎるが笑、面白いから良いだろう。貧困街育ちの能天気美女シーリアはミニーに何の偏見も持たない。
彼女もまた、同じ白人同士なのに貧困街出身ということで差別を受けている1人。
結局人種じゃないじゃん、気に入らないのは差別という名のイジメの対象にするんじゃん。
ヒリーは、彼女自身も女性差別の犠牲者でもあるのに気付いてすらいない。エリザベスも、ジョリーンも。
作中、彼女達の旦那さんは見事なまでに出てこない。
家のことは女房に任せて(押し付けて)あるから、だろうな。
働いて自立することもなく、他人を攻撃して自分のプライドを保つヒリー。実はそんなヒリーに嫌な気持ちを持ちつつ、強き者に従うことしか出来ない、従属的なエリザベス。元々性格の悪いイビリ屋ジョリーン。
かなり最悪な友人しかいないユージニア…でも、エイビリーンやミニーとは友情も育んだよね。
コンスタンティンの解雇されてしまうシーンは、悲しくて堪らなかったけど、アレは娘のレイチェルも悪いよ。もう少し母親の勤務先で起きてることに大人の対応しないと。彼女はワガママだと思う。
アメリカ改革の娘の州代表と言いながら、恐ろしく保守派の会長に丸め込まれてしまうユージニアの母親の悲しさ。アレは現代でもあるあるだよね。
そして最後に、メイ・モブリーちゃん可愛かったけど…彼女もまた育つ過程で変な差別や偏見を抱いてしまうのだろうか。
是非ともそうならず、ユージニアのような聡明な女性になってね。
自分の色を変えたヘルプ
素晴らしい作品でした。
泣ける場面も多いし笑いもあります。そして、この作品で昔はなにがあったかが学べます
昔は黒人ってだけで差別される時代があったとは思いもしませんでした。
黒人が使った教科書は黒人しか使わないとか白人と黒人のトイレが別とか、、、本当残酷です。黒人ってだけで病気を持ってるって思われるのも残酷におもう。
だかこの映画はそのような扱いに耐えて、白人に立ち向かった黒人のメイド(ヘルプ)の話です。
アカデミー賞を取ったのも納得です。
心温まる映画でした!
これを観てない人は名作を見逃してることでしょう。
勇気
強い立場である時こそ、
流されてはいけない。
傲慢になってはいけない。
良識を持たなければならない。
黒人と同じトイレを使うと病気になる。
そんな風に思ってるのに
大切な子どもの世話は任せっきり。
黒人メイドを母のように思っている子どもも
いつか差別のことを知り、
自分も差別をする側になってしまう。
子どもたちがメイドを慕う姿を見て、
差別の原因は大人にあると
つくづく考えさせられました。
周りに流されるのではなく、
自分の目で正しく判断しなければならない。
そして勇気を持って
良いものは良い、悪いものは悪いと言えなければならない。
差別や偏見はすぐになくなるものではないけれど、
この映画は多くの人が知ったり考えたりするきっかけになるんじゃないかと思います。
強いものに流されない
この映画を見て、スキーターの生き方がいいなあと思いました
地元の友達が結婚して、子供もいるなか
スキーターは大学を卒業し、出版社に就職します。
女子社会って共感や協調性を求められる気がします。
だから、強い人に流されがちです。
それでも、自分の意志を貫くスキーターの姿勢が
とてもかっこよかったです。
真実を本にした代償として、
友達とは疎遠になり、恋人とは破局したけれど、
きっとニューヨークで新しい出会いが待っているとおもいます!
なんだか元気がでる映画でした。
「ブサイク」は、心の中に育つもの。
映画「ヘルプ 心がつなぐストーリー」(テイト・テイラー監督)から。
アメリカの黒人差別時代を採り上げた映画作品は多くある。
主人公が、男なのか女なのか、スポーツ選手なのか家事手伝いなのか、
そんな違いはあるが、最後は黒人が白人をやっつけるパターンや
お互い手を取り合い1つのものを作り上げるなど、さまざま。
私が今回注目したのは、黒人のHELP(お手伝い)が、
自分の子どものように愛し育てた白人の子どもに、
生き方のアドバイスするシーン。
「自分を憐れむのはおやめなさい、それこそ『ブサイク』ですよ。
『ブサイク』は、心の中に育つもの。
イジワルで人を傷つける男子そっくり」と励ましたり、
仲間外れにされていると悩む少女に
「自分に問いかけるのです。『私は信じるのか?』
『今日、あのバカどもが私に向かって言う悪口を?』と勇気を与える。
家事全般の家政婦としてでなく、一人の大人として助言をする姿は、
貧しさ・人種差別のため、自分の子どもを他人に預け、
白人の子どもを育てる、というだけではない、深い愛情を感じて、
私の心は大きく震えた。
ラストシーン、本来の母親に「あたしの子供、頼みます」と言って
行っちゃいや~、と泣き叫ぶ子どもにも振り返らず去っていく。
「黒人家政婦のプライド」を教えていただいた映画だった。
笑い、感動、メッセージ…全ての要素が詰まっている
こういう映画を秀作と呼ぶ。
人種問題を扱った映画と言うと社会派映画のイメージが強いが、時に笑わせ、時に泣かせ、そして考えさせ、実に好感度と満足度が高い。
滑らかな語り口がとても心地良い。
女優たちのアンサンブル演技が非常に魅力的。
エマ・ストーン、映画の橋渡しな立ち位置で、彼女の役柄のお陰でスッと作品の世界に入って行ける。
ヴィオラ・デイヴィス、母性愛と涙を誘う名演!絶対アカデミー主演女優は彼女でしょう!
オクタヴィア・スペンサー、貫禄とユーモアと、黒人たちの不満と現状を濃縮した一番美味しい役。
ブライス・ダラス・ハワード、とにかくムカつく!!憎まれ役を堂々と演じ、最後まで嫌みで逆に潔い。
ジェシカ・チャスティン、ちょっと天然な役をキュートに演じつつも悲しい一面も見せ、その存在に救われる。
シシー・スペイセクも、エマの母親役も(この母娘物語も注目)、スキーターの家に仕えていた老メイドも、メインから脇に至るまで、全員が素晴らしい。
世間や自分たちの人生を変えるには恐れてちゃいけない、一歩踏み出す勇気が必要。
そんな勇気を教えてくれる。
確執あった母と娘の和解、人と人の対等な関係で結ばれるミニーとシーリア…爽やかな感動と希望を感じさせる。
だけどただの理想的な形だけで終わりではなく、クビになり、愛する“子”と別れなければいけないエイビリーンのラストシーンに、ほろ苦さと未だ根強く残る人種問題を忘れさせない。
同じ人間であると知ること。
ベストセラーの映画化だそうだが、実話だとしても少しもおかしくない話。
笑いながらも考えさせられる良い映画でした。
ま、明るい面に関しては他のレビュアーさんに譲るとして、ここではカタい話を(笑)。
この作品については、
「人種差別という重いテーマをライトに描き過ぎ」と言う意見を色んな所で耳にした。
が、ぶっちゃけて言わせてもらえばそういう重い映画は過去にいくらでもある訳で、
むしろこの映画の強みはその間口の広さにあると思う。
それに直接的な描写こそ無いにせよ、この映画は重い部分を省略などしていないし、
そんな描写が無くても哀しみをこちらへ伝える術を備えている。
「人種差別とフェミニズムとでは重みが違う。同列で扱うべきでは無い」と言う向きもあった。
一理あるとは思うが、
“いち人間である事の権利を否定される”という意味では両者は共通している訳で、
だからこそあの主人公たちには互いの痛みを理解できるだけの余地があったんじゃないかしら。
思うに、この映画は“人種差別”という決まり文句で問題をくくらず、
もっと広い視野から人間としての共通点を探っているようだ。
ミニマムな視点で。
無邪気な子どものように、慣習に囚われない視点で。
主人公スキーターが黒人メイド達の声を綴ろうと思い立ったのは、
歴史や道徳の授業で「人種差別反対!」と習ったからではなかった。
彼女の動機はもっと単純だ。即ち、
「自分に愛情を注いでくれた人が、どうして不当な仕打ちを受けなければならなかったのか?」
という怒りだ。
もうひとつの怒り。
「朝起きたら自分に言い聞かせなさい。『今日私は、あのバカ共の言葉を信じるのか?』」
コンスタンティンがスキーターに送ったあの助言は
恐らく彼女自身が実践していた事なんだろう。
彼女はその誇り高い言葉を、憎き白人の子に託した。
白人とはいえ、無垢な子どもに罪は無いし、
自分を慕ってくれる彼女を大切に想っていたに違いない。
人をいとおしく想う気持ち。
いとおしい人を失う痛み。
あ、それと、美味しいフライドチキンにかぶりつく時の幸福感。
そういう感情って、肌の色もヘッタクレも関係無いんよ、きっと。
悪役ヒリーの造形はややステレオタイプかと思うし、
あとパイのネタ引っ張り過ぎじゃない?とも思うが(笑)、
後ろ向きになりがちなテーマを前向きに描いた、
広くて優しい心を持つ映画だと思う。
<2012/4/8鑑賞>
痛快!!
黒人、有色人種差別なんて、こんな島国単一民族の私たちには、とうてい想像できないと思います。
それよりこのなかで人を人として認めていく。曲がったことは曲がっているとして追及していく姿勢を持ち続けることの大事さが笑いと共にうまーく描かれています。本来ならやられたらやり返す。それのできなかった立場の人がどうやってやり返したか、もじどうりミニーは主人に対して「くそくらえ!!」と謝りのチョコレートパイのなかに糞をいれて、ことあろうか高慢ちきなヒリーに食わせてしまう。なんと、痛快なのか!!
また、そのくだりをスキーターの書く小説のなかに詳細に書かせてしまう。
こんな、胸すく快挙は無いのでは.....
笑いを手法にして全体を重くならないように仕上げ、事の重大さを観てる者の心にしみいらせてくるなんて、憎いですね。
映像の美しさが、より心の闇の暗さを浮き彫りにする
この映画の主人公ユージニアはコンスタンティンと言う黒人メイドに育てられた。そして彼女は自分の幼少期の体験の記憶を、今も良き思い出として、コンスタンティンとの友情をとても大切にしているのだ。
当時の米国南部の文化としては、有る程度豊かな生活を送れる白人家庭では、皆ベビーシッターの黒人を抱えているのが普通の事なのだろう。しかし、私の日本人の感覚から言うならば、自分の最愛の大切な子供の世話を、何故自分が最も差別している嫌いな、軽蔑する黒人メイドと言う存在に、南部に住む若い白人家庭の主婦達は、実子の世話をさせるのか?理解に苦しむのだ。そして自分の子供の世話をしてくれる人に対して感謝の気持ちも、敬意も持てない人間って一体どーなの?と疑問視したくなるのだが、自分も同じ様に黒人の世話になって、育った記憶があるのなら、何故ユージニアの様な行動を普通の人はする事が出来ないのだろうか?きっと今と比べるとアメリカってかなり保守的だったのかも知れない(特に南部アメリカに於いては)と考えられるのだ。
一方、黒人は低賃金でも我慢してキツイ仕事を続けなければ、生活が成り立たないのが、今から50年程前のこの映画の舞台になっているアメリカ南部に於けるアフリカ系アメリカ人達の事情らしい。現在も平均するとどれ位白人に比べて黒人の仕事が不利な状況で有るのかは、容易に数値化出来ないが、日本で言う所の3K的な仕事の求人が多い事は確かだろうし、黒人大統領が誕生した今日でさえも、今直冷遇されている事は確かな事だろう。
人間の心の底に潜む差別意識と言うものを撤廃する事は、口で言う程に、中々容易には出来ないものだ。
つまり、この映画は人間が生きる過程で、何を大切にして、日々暮してゆくべきか、人として豊かな人生の暮らしを得るとは、どう言う事かを問うているのだと思う。
そればかりでなく、また、自分の信念を貫いて生きる勇気と誇りを持つ事、親子の愛情にしても、友人との友情にしても、他者と心を通わせる事は、時間に任せて、只黙っていたら、勝手に育つと言う訳でも無いし、血縁関係の有無によるものでも無い事を教えてくれるのだ。
人間は、決して一人では生きられないのだが、他者との付き合いにおいて、人間関係の大切さや、理解を深め合う事を解っているようでいても、案外そんな基本的な心の思いを、自分の廻りの人間に対しても、優しさや友情溢れるお付き合いを継続して生活して行く事は、案外と難しく、自分本位になり、上手く他者との関わり合いが出来ないものだ。その自己の弱さを克服し、現実に生活で、根気良く仲間を愛していくならば、必ず友情を育む事はユージニアとエイビリーンの二人の様に出来ると、教えてくれるのだ。
人として人間が一番大切にしなければならない事とは、人間の善なる側面を信じて、行動をする勇気も持って生きる事。共に進んで、誰かを愛して、信じて生きるなら、そこに無限の力が生れるのだと信じて、行動を日々実行するならば、道は必ず開けてゆく事も教えてくれる愛と希望の物語だ。私達は、常に多様な価値観の中で、日々多くの人々と関わりを持ちながら生活をしている。ユージニアの様に生きる事が今最も必要だと考えるのだ。
このパイを食らえ。
1950年代の作品を観ていると、人種差別を題材とした
作品が多いのに気付く。特に南部では古くから黒人を
メイドや使用人に配し、白人とは酷い差別を行ってきた。
それがどうしてそうなったのか、1964年に公民権法が
制定されるまでを描いた話なのかというと、そうではない。
もっと単純で(根深い問題なのは重々承知ですが)軽やかな
語り口の描き方をしている。庶民的でユーモアもある。
白人家庭の娘がライター志望、自分も小さい頃ヘルプさん
に育てられた経験がある女の子だ。彼女らの証言を記録し
それを纏めようとする彼女に対して、重く口を閉ざしていた
ヘルプさんたちが徐々に協力をしていく話。
並行して、一組の白人白痴妻とそこへ雇われたヘルプさんの
対話と成長が描かれる。
ここに登場するヘルプさん達は、揃いも揃って面白い。
饒舌でユーモアがあり子供に対する笑顔は一流と思えるほど。
そんな彼女らなのに、働きに対する賃金はえらく少ない。
子供を大学へやるため、前借りを申し出る彼女を前に
堂々と見下した説教を垂れる白人タカビ妻。あえなく、
落ちていた指輪をポケットにしまった彼女をすぐに警察が
逮捕する。どんなに真面目に頑張って働いたところで、
彼女たちの未来は、生まれた子供達は、同じ運命を辿るのだ。
酷い時代である…。何を持って差別が正当化されるのか。
だけど、言いたいことをハッキリと言い、家事に関しては
プロの腕前、何にも出来ない奥さんよりよっぽど重宝なのは
ヘルプさん達の方である。
そのことにいち早く気付いた、純粋な主人公と白痴妻は、
差別はおろか、彼女たちを優遇する。つまり学びを請うのだ。
彼女たちが何を考え、何を間違いで、何を正しいと思うか。
私はあの家でこんなことされた…。あんなことがあった…。と
半ば「家政婦は見た」的な世界が語られるのだが^^;
主人公はそこに人権を学び、白痴妻は家庭とは何かを学ぶ。
本来ならそんなことは、学校なり親からなり教わるものだ。
美味しいチキンの作り方を学んだ白痴妻が、ヘルプさんと同じ
キッチンで貪り合うあの表情の豊かなことったら!
知らないことは愚かなことだ。と頭でっかちの世間人は言うが
知らなくていいことなど一生知らなくていいのだ。と思う。
ましてや人を卑下するような慣例は最初からあるべきでない。
それでも(現代でも)ある種の差別は相変らず繰り返されている。
なんか人間ってそうやって、誰かを年中見下していないと安心
できない生き物なんだろうか。とすら、思える。
競争意識を持つことと、相手をイビリ倒すこととは違う。
卑怯な人間ほど、あの手この手で相手を打ち負かそうとするが、
そこに信念なんてものはないから、終いには感情で打ち負かす。
そしてそんな人間は、やっぱり最後まで変わりませんでしたねぇ。
本作で見事アカデミー賞助演女優賞を獲得したO・スペンサー。
主人公がインタビューするヘルプさんの同僚、という形だったが
彼女がまぁ魅力的で^^;可愛くて^^;面白くて^^;最高だった!
この演技ならもらって当然、と思える見事な演技を披露している。
前の家で酷い仕打ちを受け、半ばヘルプとして働くことにヤケを
起こしていた彼女だったが、自分のことを心底頼ってくる白痴妻に
次の家での彼女は(最初は旦那にバレないよう)心から相手を信じ、
彼女のために懸命に働く。上流家奥さんとして恥ずかしくないように
料理やマナーの基本を教え、子供の大切さを語り、慰め、励まし、
終いには自身の過去まで暴露する。
階級なんてクソ食らえ!(あ、言っちゃった^^;)
差別に傾倒するすべての人間にパイを食らわせたくなる作品だ。
ただひとつだけ言うと、もう少し脚本にリズムが欲しかったのと、
個々のキャラクターを広げ過ぎたため、時間が長すぎる印象がある。
心をつなぐ~という意味で、様々な取り上げ方を網羅したのだろうが
もっとタイトに絞った方が良かった気がする。全体の纏まりが悪い。
しかし女優達の演技が見事なので、そこに注目する作品ということで。
(これからはパイを食べる時、勇気が要りますね!いや、ウソウソ^^;)
今なら言えることでも・・・
ケネディ大統領の葬儀が行われようとしている1963年。
今から、約50年前のこと。
場所は、南部のミシシッピ州。
ヘルプと呼ばれる黒人メイド達。
対する白人上流マダム。
自家のメイドは、見下してトイレさえ使わせないし、食事も一緒には取らないし、わずかなお金さえも貸そうとしないマダム達。
病気がうつるんだって。
そう思うなら、子供の世話なんて、とても任せられないじゃん。
食事を作らせるなんて、とんでもないことなんじゃん。
食器なんて洗わせられないじゃん。
な~んて思うけどね。
≪裕福=偉い≫と思っているそんなマダム達でも、アフリカの子供たちを貧困から救いましょうという善行はしているのだ。
自分が上にいるという優越感からか。
小さなエピソードで、各人の個性を描き出している。
皮肉の効いたシーン。
痛快なシーン。
嬉しくて思わず涙してしまうシーン。
辛く苦しいシーン。
シーリアの肌の色を気にしない心。
教授の暖かい思いやり。
それにしても、ジョニーは何て素敵な男性なんでしょう。
理不尽な差別の数々。
それでも、前を向いて歩いていこう!
そんな希望ある余韻が素晴らしい。
そう言えば、ケネス・ブラナー監督の「から騒ぎ」では、肌の色なんて関係ない配役を、とても新鮮に思ったんだった。
あれからでも、20年ほど経ちますか。
差別とは、人の心の中にあるもの。
黒人だけではなく、白人同士であっても差別はするのだから。
人間も、少しずつだけど、進歩はしているのだ。
差別するのではなく、違いを受け入れるのだと。
ミニー役のオクダヴィア・スペンサーの眼力に感服。
エマ・ストーンの意志の強い目にも好感。
全14件を表示