劇場公開日 2012年3月31日

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「男たちはいったいどこに?」ヘルプ 心がつなぐストーリー よしたださんの映画レビュー(感想・評価)

2.0男たちはいったいどこに?

2015年8月3日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

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60年代アメリカ。公民権運動が盛り上がっていても、南部の保守的な土地では人種に関する政策や世論は従来とあまり変わらない。
そんな中で、物書きを目指す若い白人女性が、白人家庭に雇われる黒人のメイドの視点から物語る本の出版にこぎつける。そして、本の取材を通して黒人メイドたちの間には少しずつ意識の変化が芽生えるという大筋。
映画で描かれているのは女性たちの社会。メイドと雇い主の主婦が中心に据えられ、その社会にいるはずの男たちの影はほとんど見えない。
まず、メイドをしながら自分の子供を育てている黒人女性らの夫が出てこない。オクタビア・スペンサーが、どうやら夫から家庭内暴力を受けているらしいことが語られるが、その姿は出てこない。
次に、白人の男性はというと、エマ・ストーンと一時交際をする若い男のみが、はっきりとその職業と名前を表されるが、その他の白人男性はほとんどストーリーに絡まない。チョコパイの悲劇のヒロイン、ブライス・ダラス・ハワードの夫にようやくセリフが与えられているが、それも黒人メイドととの面倒な関わりを避けるための言い訳が口から出るのみ。
そしてこの作品で、最も皮肉に満ちたシーンとも言えるのが、ニューヨークの出版社の女性が、エマ・ストーンからの電話を受けるとき、二人の男性に挟まれて酒食をともにしているところである。
ここにきてようやくこの映画は、男性に関して積極的に言及しているのだ。つまり、女は男の力を借りなければ本当のところ何もできない。颯爽と華やかな女たちは、それが東部のインテリであろうと、南部の上流階級の主婦であろうと、男たちの経済力、政治力がなければ何一つとして成しえない。
映画は様々な中心と周縁の対比を描いている。白人中心の社会における黒人差別、男性中心の社会における女性の従属、経済力が発言力につながる社会(油井の掘削現場で働く若者にはストーンに対する発言力もなかったし、彼女の育ての親が解雇されたのは母親に発言力がなかったことが理由として描かれている)。
周縁部におかれた者は、中心に対してきっぱりと従属することを拒否するとき、発言力を得ることができる。しかし、そのためには多くの犠牲や努力、そして何よりも勇気を必要とする。二人の主人公、スキーターとエイビリーンの生き方を通して映画はそのことを示唆している。

佐分 利信