劇場公開日 2012年4月21日

センチメンタルヤスコ : インタビュー

2012年4月17日更新
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堀江慶監督、愛を注ぐ存在によって到達した究極のエンディング

無条件で愛を注いでくれる存在を失ったとき、人は何をもって乗り越えるのだろうか。堀江慶監督の最新作「センチメンタルヤスコ」(4月21日公開)は、最愛の両親の死をきっかけに、心を閉ざしてしまった女性を描く。映画、舞台とさまざまな表現方法をとる堀江監督は、今作を通して巨大な疑問を投げかける。(取材・文・写真/編集部)

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センチメンタルヤスコ」は、堀江監督が旗揚げした劇団「CORCFLASES」の舞台第1弾としてスタート。コメディ色が強かった舞台から一変、劇場版は「ひとりの人間の一生」というテーマを熟成させ、人間の奥深い心理、闇に焦点を当てた。舞台は観客との「生の対話」のなかで作品を生み出すが、映画はリアルな空間のなかで「ひとりの人間の命の尊さ」を追求し、テーマの純度を上げた。

キャバクラ嬢ヤスコは、両親の命日に自殺未遂を繰り返してきた。ある日、意識不明の重体で病院に搬送され、首を絞められた跡が発見される。容疑者としてヤスコの恋人だった7人の男が浮かび上がり、彼らの証言からヤスコの歪(いびつ)な人間関係がひも解かれていく。堀江監督は、男たちと関係を持ち、自らを傷つけてきたヤスコを「人はあまりにも大きな喪失感に向き合うと、倫理感や善悪がなくなってしまうときがある。肉体的に交わっても精神的には交わることができず、満たされない寂しさだけが残る」と説明する。

他者の間に深い溝をつくる女性・ヤスコという難役に挑んだのは、女性ファッション誌「Seventeen」モデル出身の岡本あずさ。堀江監督は、「現状に満足していない姿が印象的だった」ことから岡本を主演に抜てき。「どういう気持ちで言葉(セリフ)が出ているのかを、彼女自身が信じられるまではOKとは言わなかった。最後まで突き詰めますね。言葉は立体だから、心から伝えてくれれば、滑舌が悪かろうが声が小さかろうが全力で撮る」と岡本の本質と、ヤスコの役どころを同化させた。

撮影は、物語の核となる岡本とそれぞれの男たちとの対峙に注力。7人の男が集う待合室のシーンでは、堀江監督は一歩引き、山崎一滝藤賢一ら役者のぶつかり合いに任せたという。「彼らはもう大ベテランですから。ただ演じているだけで面白いので(笑)。昔は全部自分でコントロールしたいと思っていたんですが、今は勝負どころとそれ以外をこなすリズム感が出せるようになりました。『ベロニカは死ぬことにした』のころは、肩に力が入りすぎてしまっていたんです」と作品づくりへの姿勢にも変化があったようだ。

堀江監督の代表作として知られる「ベロニカは死ぬことにした」は、「死にたい」という言葉に、生へのほとばしる思いが隠されていた。一方、今作は愛を求めすぎるがゆえ、死へと向かう。しかし、どちらの作品も、ラストシーンは生き抜く希望で結ばれる。脚本執筆を振り返り、堀江監督は「死んでしまったヤスコの回顧録で終っていたオリジナル舞台から、一歩進むきっかけになったのが(東日本大)震災だった。生き残らなければ希望にはつながらないと思いました」と語る。

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今作で描かれた“両親の死”は、ヤスコの心に大きな影を落とす原因となる。堀江監督は幼いころに両親の離婚を経験したそうで、「子どもは両親に愛されたという自信を持って大人になり、自分が愛されたように誰かを愛するようになると思うんです。でも、絶対的に愛してくれる存在を失ってしまうと、寂しさから自分に自信が持てなくなってしまう」と振り返った。しかし、産まれた我が子を愛することで、その失った自信を取り戻せたと、堀江監督は語る。「過去の自分を取り戻すスイッチは自分の中にある」という強い思いを抱く。「『誰のことも好きになれない』という絶望からヤスコを助けたのは、自分の中に絶対的に愛する新しい命を宿したことだったんです。改めて輪廻を実感しました」そんな究極のエンディングにたどり着いたのだ。

舞台にはじまり、映画化にたどり着いた今作は、堀江監督にとって「“自分探し”の究極の形」だという。「極端なものをやってしまいがちなんですが、どの作品にも共通することは、解決の糸口は自分のなかにしかないということなんです。結局は自分との戦いで、トンネルを抜ける出口は自分のなかにある。自己探求というか、アイデンティティを探す旅ですね。答えはすぐ近くにあるんです」。

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