ミッドナイト・イン・パリのレビュー・感想・評価
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スッとする映画
価値観が同じって大事
無理に合わせるのはお互いにとって意味のない苦行でしかない。価値観が会う人と過ごせばいい。
単純なことを教えてくれた。
アメリカ親子は「こうあるべき」でがんじがらめで
窮屈そうだ。
素敵な街並みを愛でること、有名じゃないが洒落たもの、古いけど素敵なもの、こういうことを好きになるセンスが人生に潤いを与えてくれることをそれとなく教えてくれる。
・先人たちは皆 死んだ。人は死ぬ。
・最高の女を抱いたことは?
彼女を抱く時真の情熱を感じ、その瞬間は死の恐怖を忘れる。真実の愛は一時死を遠ざける。
・「現在」って不満なものなんだ。それが人生だから。
いつの時代も「昔は良かった」と言われている
行き詰まったハリウッドの脚本家が小説家に転身しようとしている。芸術の都、パリならばインスピレーションが得られるだろうと、引っ越しを提案するが、婚約者からは嫌がられる。そんなある日、夜中に主人公はタイムスリップして、彼が黄金時代と称する1920年代の世界に迷い込む。
過去を美化する傾向は、多かれ少なかれ誰にでもあるものだと思う。「昔はよかった」という言説は、いつの時代も聞かれるもので、この主人公も友人にそんな考えは「黄金主義思考」だとバカにされている。
しかし、その黄金時代に行ってみれば、その時代の人々も19世紀のベル・エポックの時代は素晴らしかったと言っている。おそらくベル・エポックの時代の人間も、さらに昔を良かったと言っているに違いない。
それを知った主人公は、「黄金主義思考」を捨てようやく現実で前向きな選択をすることができるようになる。「昔は良かった」とぼやき始めたら、戒めのために見返したい映画だ。
タイムつながり
ウッディ・アレンの世界に住める?
2011(日本は2012)年公開のアメリカ映画。
監督・脚本:ウッディ・アレン
主演:オーウェン・ウィルソン
”ファンタジー・コメディ” とでも言えるだろうか。
ウッディ・アレンが得意とする懐古調。
ウッディ・アレンが大好きな雨。
この世界観に共鳴できる人、できない人、
評価は真っ二つに分かれそう。
オーウェン・ウィルソン演じるギルはハリウッドの脚本家だが、小説にも挑戦しようとしている。
婚約者、その両親とパリに旅行に来たのだが、ある夜、
思いがけずタイムスリップし、ヘミングウェイやピカソなどと交流するようになる。
婚約者とは仲違いしてしまうが、
ついにパリに移住することを決意する。
「雨のパリは一番美しい」
新たな恋の始まりを予感させながら終わる。
私はウッディ・アレンの世界に住めるほど大好きなので、☆4.0
いま私たちが生きる時代も黄金期
パリを満喫
残念だ
文芸の偉人たちに
時空を超えて会える
まさに夢のような時間の話。
こう言ったオールスター的な映画は
いくつかあって、そりゃ好きな偉人たちなら
ワクワクは止まらないだろうと思う。
しかし過去にウディ・アレンは憧れの映画スターが
スクリーンから出てきて恋に落ちる、
それこそこの手のものの究極ともいえるものを
生み出している。
ここに至って、また?
パリも当時の風俗もオシャレです、でも、また。
老いたのだろうか、ウディ・アレン。
好きな監督だったのだが。
憧れの芸術家たちに出会えて高揚する
純朴な文学青年の目を通しつつも
こういう文化芸術をわかるんだぜ?と言わんばかりな
いやらしさも鼻につく。
昔は良かった、ここではない場所に自分の居場所が
あるんじゃないかと思う気持ちは
若者らしいし、自分だけでなくみんなそうだったというのも
シニカルで自虐的。コミカルでもある。
その点は面白かった。
でもこの手の内容であれば、
アニメの「ディリリとパリの時間旅行」のほうをお勧めする。
過去への憧憬。 フランス🇫🇷絡みの高評価で、難解なお前らにわかるか...
いつの時代だって現在が不満なんだ。それが人生だ
小説家を目指す脚本家のギルは婚約者と彼女の両親とでパリを訪れるが、ある晩、彼が憧れてやまない1920年代のパリへタイムスリップをする。
パリの街並みを小粋に瀟洒に描くウディ・アレン作品。
作中、ギルが好む「街を歩く」という行為には、観光地から観光地へ渡り歩いてスケジュールをこなす時間的速度や、先人の作品に結論めいた解釈を与える思考的速度といった、ある種の「速度」へのさり気ない抵抗が込められている。
ゆっくりと歩くスピードで文字通り足跡を辿ることで初めて、先人の息遣いを感じ、思いを馳せることができるようになる。そして、そのうえで、ギルがアドリアナに放つ一言に集約される「(いつの時代だって)現在が不満なんだ。それが人生だ」といった眼差しを得る。
時代が人を創るのではなく、人が時代を創る。そんな人生観を、押しつけがましくなく描く。お見事。
言葉に触れたいときはウディ・アレン
パリの街並みと監督の好きな音楽。
街の雑踏と監督の言いたい台詞。
現代のパリの街の姿を背景にし
映画の物語は進んでゆく。
主人公は映画の脚本家であり初めての小説を執筆中の男。
アメリカから婚約者とその両親と憧れのパリにやってきた。
「雨のパリこそ素敵なのだ」と思っている。
仕事も私生活も順調そのもので、未来も明るい。
幸せなはずが、どうもしっくりこない。
ある夜、ひとり道に迷い路地にいるところへ
クラシックカーに乗る男が彼を呼び止める。
車に乗り込んだその先には
信じられないほどエキサイティングな
彼の望むものが揃った世界だった。
時代をさかのぼり物語は楽しくも切ない展開へ。
1920年代の文化芸術
1890年代の文化芸術
そして有名店のいくつか
その辺りを知っていると
ものすごく楽しめる。
雨の降るパリの街を
傘もささずにあるく。
何度観てもロマンチックな映画だと
何度も何度も、何度も思ってしまう。
※
映画になったときには
すでにその全ては現実ではない。
※
新婚旅行でパリはダメだ笑
ウディアレンは性格が悪い、ヒロインをとことん嫌な女として描き、フランスで出会う女をかなりいい女に描く笑。
パートナーが本当にやりたい事から目を背け、自分の理想を押し付ける人はこの世に多くいるし、映画でもよく描かれるテーマだ。
主人公はパリという恋愛の街で、本当に自分と価値観が合い、自分をリスペクトしてくれる女と出会う
個人的にはレアセドゥがかなり好きなため、ラストの展開は大満足。
主人公は作家な為、おそらくウディアレン本人だが、この監督とは女性の好みも考え方も非常に好感が持てた。
過去に戻る映像は、作品に集中するために起こった幻覚だと感じたため、ウディアレンの頭の中を覗いているようで非常に楽しさがある。
真夜中のパリに、魔法がかかる
過去への憧憬
教養必須、日本人にはなかなか
ヘミングウェイならウディ・アレンを殴る?
ウディ・アレンの映画は2、3本しか見ていないが、どれも男女のカップルが知的でお洒落で恐ろしく退屈な会話を延々と繰り広げてすれ違い、主人公がまた退屈極まりない思いを吐露しながら、どうしようもない日常がだらだらと続いていく…というパターンだったと思う。
本作も同工異曲で、パリを訪れたアメリカ人カップルが、延々とつまらない日常会話を繰り広げて行き違い、主人公は今度はパリに集まる過去の文化人たちと交流する夢に耽るというお話。この人は何本撮っても同じものしかできないのだろうか。
夢の中で出会う文化人たちとの会話には、知的クスグリがたっぷり仕込まれているようで、小生にはT・S・エリオットに向かって「ハリウッドではマリファナのスプーンで人生を測ってますよ」と主人公が語りかけるシーン(これはエリオットの「ぼくはコーヒースプーンで人生を測りつくした」という詩行のパロディ)と、映画監督ブニュエルに代表作『皆殺しの天使』のアイデアを吹き込んでやるシーンくらいしかわからなかったが、分かる人にしか分からない要素が多数あるのだろう。
しかし、そんなことが分かっても、特に映画が面白くなるわけでもなかろうし、それで得意になるのは、本作で軽侮されているソルボンヌ大学で講演する衒学野郎と同じではないかw
ハリウッドの中では、『スター・ウォーズ』や『ロード・オブ・ザ・リング』等の巨額の制作費を投じて特撮を駆使した映画や、『ジェイソン・ボーン』のようなジェットコースター・ムービー等の対極に位置する、いわば日常系映画ということになるのだろう。
残念ながら小生には、いまだウディ・アレンの良さが分からないし、今後もずっと理解できないかもしれない。
追記)
久しぶりに見直して、この映画がいかに政治的メッセージに満ちているかを再確認した。
主人公は明らかに民主党支持者であり、フィアンセの父親は共和党右派である。本作の2年前、2009年に発足したオバマ政権はろくでもない無能政権で、米国内にはオバマ批判のティーパーティー運動が盛り上がるが、主人公はそれに批判的だ。彼の思想の健全性を疑った父親は探偵を雇って素行調査をさせており、主人公はそんな父親の取巻きと馴染めず違和感を抱き、古き良きパリに逃避している……という構図なのだ。
しかし、その古き良きパリがウディ・アレンを歓迎するかは極めて疑わしい。ヘミングウェイ『日はまた昇る』はまさにこの20年代パリからスペインを描いた傑作で、サブキャラクターの一人・小心翼々たるボクサーが恋人を横取りされたと勘違いして、嫉妬から主人公をノックアウトした挙句、許しを請うというバカげたシーンがあるが、ウディ・アレンがこのボクサーとダブって見えるのは皮肉なことだ。
内面のぐじゃぐじゃをぶちまけ続けているウディ・アレンを見たら、行動の作家が逆に彼をぶん殴ると思うのは小生だけだろうかw
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