「メッセージに嘘がない作品」明日の記憶 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
メッセージに嘘がない作品
2006年
当時社会問題となったアルツハイマー病を題材としている作品。
この誰にでも起きる可能性のある病気は、病気を知った自分自身の苦悩よりも当人の家族に大きな影響を与える。
当人にとって知らないということは「無」なので何も感じることはないが、あるはずの記憶が失われてゆくのを実感するのは家族で、その家族の苦悩は耐え難いものと思われる。
このような病気を題材にした作品は非常にたくさん送り出された。
この病気と様々なケースを掛け合わせることが様々な作品ができることが理由だ。
治療できないのでハッピーエンドにはなりにくく、病気をオチにすればミステリーにも成り得るし、若いカップルに仕掛ければ恋愛の最大の敵を作ることができるし、最近では殺し屋に仕掛ける作品まで登場した。
さて、
この作品はそのなかでもオーソドックスの部類 仕事と家族と娘の結婚 幸せの絶頂期の中で主人公に起きた病気
これだけを基本形にすることでこの病気が周囲に与える影響を人々に知って欲しいという思いが見られる。
タイトル「明日の記憶」とは、明日になれば今日の記憶は残っていないかもしれないという意味があるように思われる。
主人公に最初起きた人の名前や映画の名前が思い出せないという誰にでもよくあることに、この病気の恐ろしさと共感と「検査に行こう」という気持ちを誘因させている。おそらくこれが最大のメッセージだろう。実際にこの病気になった家族は、このような先品は見ないと思うからだ。
若年性であれば進行が速いというのを主人公の仕事上の些細なミスによって表現している。
この作品には余計な伏線を極力少なくして、病気になったこととその家族の献身、そして必ず起きる葛藤と感情の爆発を入れながら、家族の選択肢を示している。
冒頭のシーン 斜陽 西日 主人公の最後の記憶を暗示しているようだ。
孫の誕生と成長をコルクボードに張り付ける妻。すでに妻さえわからない主人公 その場所は妻が友人からもらったパンフレットの中の「ホーム」だ。
家族は、当人が何をどこまで覚えているのかを注視しながら探ることが日課になるのだろう。成長した孫娘の写真や娘の結婚式、そして家族写真などとコルクボードを買ってきた妻。日常生活は介護士たちに任せるしかなくなっている。
コルクボードを見ても反応を示さない主人公。そして「えみこ」と彫られたカップにも、もう関心を示すことがなくなっている。
作品の最後に、勝手に外に出掛けて幻想の先生と一緒に焼いたカップ。そのために出掛けたのに、帰り道で妻に合うが、それが誰だかわからない。ただ「想い出のカップ」だけを握りしめていた。そのカップさえも記憶から削除されてしまう悲しさ。
妻は気丈にも夫と一緒に西日を見続けている。できることはもうないようだ。ただ静かに夫と一緒にいることだけだ。
多くの家族がこのようなことになる。それを知った上で検査に行ってくださいと言うのがこの作品のメッセージだと思った。
社会問題化しているこの病気を現実の視点でまっすぐに描いた作品。
作中主人公が部下に対して熱く語っていることこそ、この作品を世の中の人に知って欲しいという思いだと思った。