劇場公開日 2006年5月13日

「本作が始まった瞬間から、引きつけられました。素晴らしい名作です。難病ものにありがちな描き方とは、明らかに違って夫婦愛の暖かみに包まれていました。」明日の記憶 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0本作が始まった瞬間から、引きつけられました。素晴らしい名作です。難病ものにありがちな描き方とは、明らかに違って夫婦愛の暖かみに包まれていました。

2008年11月24日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 本作が始まった瞬間から、引きつけられました。素晴らしい名作です。
 なんと冒頭がラストシーンだったのです。自然に囲まれた養護施設で暮らす雅行は、すでに表情もなく、ただぼんやり虚空を見つめるだけ。それを見守る妻の枝実子も悲惨さは微塵も見せず、微笑みを讃えて夫のそばに佇んでいる。その何とも言えない穏やかな時の流れのなかに、二人の間に蓄積されてきた年輪のような夫婦愛を感じさせて、うぁ~いい!という気持ちにさせてくれました。
 穏やかな時間の流れの先に、アップされたものは、「エミコと描きされた湯飲み」だったのです。

 韓国映画「私の頭の中のケシゴム」も見ましたが、記憶がなくなるのは、当人も残された者にも酷ですね。改めて某作品に出てくる記憶が消せる超能力者『ハイチ人』の恐怖が実感できます。(脱線(^^ゞ)

 この作品の恐ろしいところは、じわじわと真綿が締め付けられるように主人公の病状がゆっくり進むことなのです。
 だれでも、物忘れ程度のことは身に覚えがあるもの。そんなごく普通の違和感から、雅行が壊れていく姿を描いていくので、ついつい観客のほうも、いつ自分が雅行のようになるかもしれないという感情移入に誘われてしまいます。症状の描き方も、かなり映像に凝っていますので、アルツハイマーに罹った人の感覚というのが実感できました。
 特に冷やっとしたのは、部長職である雅行がクライアントへのプレゼンに遅刻してしまうことです。こういう仕事に関わっている人なら、身に包まされるシーンです。加えてクライアントの担当部長演じる香川照之の遅刻をなじる台詞がリアルそのもの。くれぐれも時間に遅れるものではないと、見ている方も反省してしまいました(^^ゞ

 大きなプレゼンを抱える雅行はなかなか病院に行こうとしません。従って本人と家族が病状を知るのに随分と時間がかかってしまいました。
 言動におかしさを自覚しつつもまだバリバリ仕事をこなしている雅行が初めて不治の病状を知るときの驚きと怒りは半端ではありませんでした。
 このときの狂ったように診察室から飛び出し、病院の屋上から飛び降りようとする渡辺謙の演技が、真に迫っていて素晴らしかったです。
 おまえ駆け出しにくせにと雅行の怒りの矛先を向けられた及川光博演じる若き医師吉田の受け答えもよかったです。
 普段は淡々としか語らないのに、吉田は雅行を一喝。人は誰でもやがて死ぬ者なのです病は宿命なのです。でもいつ医学が発達していい治療法が見つかるかもしれないから、希望持って行きましょうと熱く語りました。実は吉田の父親もアルツハイマーだったのです。その一言で、吉田の頑なな表情の意味が分かり、感動しました。

 妻を演じる樋口可奈子も負けてはいません。
 初めて意志が通わなくなったとき、心が折れてしまって枝実子が泣き崩れるところは、そのつらい気持ちが伝わってきて泣けてきました。外で浮気をしていると言いがかりをつけられるなどだんだん幼児化していく夫を、病人だと分かっていても罵倒してしまい自己嫌悪するくだりも、思わず同情してしまいました。
 なんと言っても極めつけは、いよいよ愛する夫が自分を認識しなくなってしまった時のことです。ふたりが初めて出会った奥多摩の陶芸釜のときのように挨拶する雅行に、ショックを隠しきれずいるのに、よそよそしく挨拶する枝実子の複雑な表情には、万感の悲しみを感じさせてくれました。
 その直後カメラは引いて、奥多摩の山中を夫の後に引きづられる歩く枝実子を遠回しに捉えます。ふたりの想い出の地で枝実子はどんな思いで雅行の後についていったのか。そのワンシーンに二人の数十年の夫婦愛が重なって、いつまでも記憶に残りそうなシーンとなりました。
 「エミコと描きされた湯飲み」は、雅行がまだ記憶が残っていたとき作りあげたもの。この湯飲みに込められた雅行の想いも必見です。
 あと自分の娘の結婚式で、祝辞のメモを無くしたものの必死で来場者へ感謝を語るときの雅行のスピーチもよかったです。

 公開直後のインタビューでは、「つらく悲しく泣いて終わりという作品にはしたくなかったんです。」と語った渡辺謙P。韓国映画にありがちな涙腺に直撃する悲惨さや難病ものにありがちな描き方とは、明らかに違うもの。生老病死を超える人生の機微を描いてて、とても心の中がすがすがしく温かくなれた1本でした。『トリック』シリーズでキワモノ専門と思っていた堤監督は、人間を的確に見る目を持っている監督さんなんだなと評価しなおした次第です。

流山の小地蔵