007 スカイフォールのレビュー・感想・評価
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Mが直接狙われる危機
ダニエルクレイグ扮するジェームズボンドは、諜報部員のリストが入っている盗まれたハードディスクを追うように指示を受けた。しかしジェームズボンドは、すでにロートル化していて引退を迫られていた。さらにはジュディデンチ扮するMが直接狙われる危機が迫っていた。
冒頭シーンからクレーンを渡る列車シーンなど迫力あるアクション満載だったね。軍艦島をイメージした廃墟島のシーンもあったが、何故スカイフォールと言う地へ行ったのかはちょっと不可解だったな。
正当ボンド映画を継承する素晴らしき出来栄え
もしも本作に対して「伝統的007映画ではない」と断ずる声があるならば、それこそ007の表面しか見てこなかったのではないか?と問いたい。
コネリー&ムーアの創り上げたボンドの伝統。フレミングが生み出した原作。そして、冷戦末期〜終焉後のリアリズム。
それらすべてに折り合いをつけるという非常に高難易度の課題を、このクレイグボンドは見事に成し遂げてくれたと思うのだ。
カジノロワイヤルで一旦脱ぎ捨てて見せたボンド映画の伝統。しかし、監督&脚本始め制作スタッフは過去作品を少しも侮ってはいない!
むしろ、21世紀に生まれ変わらせつつもどれだけ伝統を尊重出来るか、その限界に挑んでくれたと思う。
ブロスナン&クレイグで育った世代にとっても本作の秀逸さに異を唱える事は出来ないであろう。
コネリーボンドの女性対応は一見ただの「女好き」に見えてしまうが、それは同時に「女性に対する酷薄なまでの冷徹さ」も表している。決して心を許すことなく、あくまでひとときの彩りと割り切っているからこそ、軽く女性を口説けるのだ。コネリー&ムーアのボンドは実は女性に対して完全に一線を引いているのである。軽口は冷たさの裏返しでもあるのだ。
今回もコネリーよろしく、しっかりセヴリンやイヴとやる事はやっている。新旧のボンド像が見事に重なる。ただ、本作はそこをクローズアップしていない。敢えてカメラを向けていないというだけなのだ。
新生Qとのファーストコンタクトである美術館の絵画は「戦艦テレメール号」
海賊国家として成り上がった英国の黄昏を描く切ない作品だ。
21世紀における英国情報部とは所詮「腐っても鯛」に過ぎないのか?
否!断じてそんな事はない。
世界のデジタルテクノロジーがどれだけ進歩しようとも!
人間というのは、善と悪、白と黒の狭間を漂う存在だ。決して単純な二元論で割り切れやしない。1と0の間に身を潜め人知れず力を蓄えている敵に対抗するにはアナログかつアナクロな方法が有効な場合もあるのだ。
審問会のシーンは痛快だ。嫌味たっぷりの女性委員に糾弾される中、朗々とユリシーズを暗唱するM。
「来い!来い!シルヴァ!現実を知らぬ委員共に目にもの見せてやれ!」と思う間もなく、シルヴァ登場w
活躍するのはボンド1人ではない。ここまでは「出世して現役引退か?」と思わせていたマロリーがまだまだ腕が立つ事や熱いハートを持ち続けている事をチラ見せしつつ、舞台はボンドの生まれ故郷スコットランドへ。
Qが渡してくれた最新鋭指紋認証短銃はワルサーPPK !
(PPK/Sだけど、そこは許してね)
MI6公用車ジャグワァXJ(徳大寺か!w)から乗り換えるは、言うまでもなくアストンマーチンDB5 !
当然、機関銃は標準装備だ(笑)
ハイテクを駆使してMを執拗に追うシルヴァ。一方、ハイテク対応はQに任せてローテクで対抗するボンド。
Mが女王を頂く英国の象徴とすれば、シルヴァ(本名はティアゴ・ロドリゲスという設定あり)のいかにもなスペイン名は、かつての「太陽の沈まぬ国」7つの海の覇者スペイン無敵艦隊が、エリザベス1世の治世、キャプテン・ドレークやホーキンスらの英国艦隊に大敗を喫した歴史を思わせる。
ならば、ボンドはスコットランドが英国に帰順した暗喩でもあるのだろうか・・・。
Mからボンドへの贈り物は、ジョン・ブル・ブルドッグ?
故郷への執着を捨て去り、身も心も英国人としての再出発を認める証なのか。
本作のテーマは「復活」と「再生」であろうか。個人的にはタロットカードのNo20「審判」のイメージが本作に重なった。
新しいものを見事に取り込んでの、古きものの復活。
ラストシーン、往年ファンを泣かせてくれる。
見覚えのあるポールハンガー。ここはどう見ても例の秘書室。明かされるマネーペニーの名。
これまた見慣れた革張りの扉。そう、この奥にいる人物と言えば決まっている!
静かに流れる「ボンドのテーマ」
"With pleasure,M.With pleasure"の台詞と共に新しい任務を受け取るクレイグ・ボンド。
斯くして、原作では1917生まれのボンドは1968年生まれという新設定にシフトしながらもキレイな円環構成を完成させた。
そしてガンバレルと50thの文字。
カジノロワイヤル・慰めの報酬・スカイフォールの3作品が、ついに50年間、視聴者を悩ませた「007映画の伝統」と「原作やリアリティ重視」とのせめぎ合いに終止符を打ったのだ。
であれば、今後どれだけ007シリーズを続けていこうが、制作スタッフはこれまで程には苦慮せずに済むはずだ。
50周年記念作品に相応しい、見事な仕事をしてくれたと強く思う。
リアルとの融合
クレイグ版007を劇場で見始めたのは、本作から。
「ノータイムトゥーダイ」鑑賞後に、「カジノロワイヤル」「慰めの報酬」を鑑賞する。
本作だけ感想を残していなかったようなので、取り急ぎメモ。
5作中、最もストーリーがシンプルで分かりやすい。
なので、物語の展開に気を取られない分、
作り込まれたシーンやショットの美しさを余裕をもって堪能。
ずっぽりのめり込める。
そこへもってして相反するような激しい物語が合わさったなら、
ただ殺伐とするに終わらず、ストイック、ハードボイルドにおける「美」を感じずにおれまい。
またインパクト大のキャラクターが目白押しで、
孤高のボンドもチーム戦、家族、絆の幕開けとなり、
これまでになかったワクワク感がいい。
にもかかわらず最後の最後で去ってしまうのがMなのだから、
憎い演出だ。
そうして一皮剥けたダニエルボンド。
リアルとの融合
(ダニエルグレイグに合わせて年をとる設定や、実際前作で脱臼した肩が被弾という古傷扱いとか)の臨場感も、
架空だが、どこかにジェームズボンドは存在しているような余韻を残しており
ただのハチャメチャスパイものに終わらないところがまたいい。
イギリスを楽しめる
最近、まとめて007を観ていると、ストーリーがごちゃごちゃになるので、自分の記憶のための記録。
公開当時、劇場で観ていたが、やはりほぼ忘れていた。
列車の上で、ボンドが撃たれたが、撃ったのが、まさかのマニーペニーとは!映画ラストのあたりで、秘書になる前の秘密がわかり、びっくり!
MI6の爆破シーンもインパクトがあった。
その後の新しい拠点も、イギリスらしいところで大好きな雰囲気だった。
あと、私のお気に入りのQが今回から登場している。美術館で初めてボンドと会ってたんだね、忘れてた。
そして、上海のシーン。
ビルに映るクラゲが幻想的で美しかった。
暗殺された人の部屋には絵画。
私の大好きな画家の1人、モディリアーニ。
『扇を持つ女(ルニア・チェホフスカ夫人の肖像)』(1919-1920)は、パリ市立近代美術館から2010年に盗まれたまま、現在も行方知れずのもの。調べると、007の第1作「ドクター・ノオ」でも、実際に盗難にあった絵画が出てくるらしい。そのオマージュなのか。
そして、そこで出会うセブリン。美しい女性。悲しい生い立ちみたいなんだけど、最後も殺されてしまう。ここは、助けて欲しかった。007って、生きていてほしい人が死んでしまうから、辛い。映画だから悲しいシーンもいるんだろうけど、わかっていても、幸せになってほしい…。
長崎の軍艦島の撮影もよかった。
ヘリがたくさん助けに来るところもスカッとするシーン。
あとは、ロンドンのシーン。
古めかしい歴史ある地下のMI6。イギリスっぽい。
昔住んだことのあるロンドンは大好きなので、地下鉄のシーンも楽しかった。
最後はスコットランドへ。
イギリスの大自然を見ることができたのは楽しかったけれど、なんで、そこに!って思ってしまうよ。
あそこに逃げなければ、M助かったんじゃないのー?って思ったけど、ジュディ・デンチもそろそろ年齢的にも引退なのか?その最後の終わり方としては、良いシーンだったのかもしれない。古典的な戦い方も、まぁまぁ面白かった。
全体的に、サスペンスのようなストーリー展開はとても楽しめた。ボンドもMも、悪役も、それぞれの人間らしいストーリーが垣間見れて、良い作品だったと思う。
そして、アデルの歌う「スカイフォール」最高だ。
ということで次のシリーズへ。
85位/490 2021.12.23現在
Qが好き!
ボンドはもちろん好きだけど
Qのカッコ良さに惚れる。
これを観てない人に
上手く伝えられない
自分の語彙力の無さが悲しい。
そして、アデルの歌が素晴らしい。
個人的に、このアプリで
ベストムービーってのがあるけど
それも色んなジャンルで
作れるようにして欲しいんだよね。
それで
主題歌の素晴らしい映画ランキングなら
この映画は必ずベスト10には入る!
あと、
家で待ってたおじいちゃん
あの人、粋だよねぇ。
たまらんセリフが2つ!
スコットランドへようこそ!
と、ボンドが
準備はいいか?って聞いた時に
お前が生まれる前から準備出来てる
ってセリフがかっこいい!
3人で家で戦うところ
なんか好きだなぁ。
そして、M、、、、
自分は最初M、あんま好きじゃなかった
でも、、ごめんなさい。
素晴らしい最後でした。
NO TIME TO DIEを観てから
面白すぎて
もう一回ダニエルボンドを
最初から観てるけど
何だろう、、、、
昔、観た時もおもしろかったけど
今回の方が10倍面白い。
まだ、ガキンチョで
渋さが理解出来てなかったのかな?
苦味が分かってきたのかも。
観に行ける時がないけど
もう1回劇場に
NO TIME TODIE観に行きたいなぁ
primeに出たら
速攻でまた観よう
以下
超個人的主観による駄文のためだけに
盛大にスルーしてください
(RG風)
スカイフォールのあるある言いたい♫
スカイフォールのあるある早く言いたい♬
スカイフォールのあるある今から言うよ♪
軍艦島行きたくなりがち♩
備考 点数は自分が
生まれてから現在まで
観た映画をランキングにして
相対評価で点数付けてます
上位と下位から順番に
感想書いてます
初回鑑賞年齢→32歳
(2021年時点40歳)
初回鑑賞場所→映画館
鑑賞回数→2回
記憶度→80%
マイ映画ランキング
2021年時点
全映画中→85位/490
洋画部門→68位/411
好きな映画主題歌女性部門→1位
最凶の敵!(007㉓)
ダニエル・クレイグの『007』は、シリアスで重厚な内容だけど、その中でも飛び抜けて重苦しい雰囲気の作品。
個人的には『カジノ・ロワイヤル』に並ぶ傑作なんだけど、エヴァ・グリーンと比べたら、ボンドガールがちょっともの足りないかな(^_^;)
ってゆーか、この作品は、なんと言ってもハビエル・バルデム。やはり敵が強烈なほど、作品は良くなります(^^)b
アデルによる主題歌も、シリーズで1番好きな曲です♪(^^)b
最初見た時は面白かったけど、今見たら、これって、ただのITセキュリ...
最初見た時は面白かったけど、今見たら、これって、ただのITセキュリティ事故なんじゃ。。と思ったら、微妙になりました。
ボンドにボンドらしさを戻しつつも、かつてない展開
6代目ジェームズ・ボンド=ダニエル・クレイグの最終作がやっと公開されたので、彼の過去作を復習鑑賞(その3)。
完全オリジナルストーリーで、前作の直接的な続編ではないが、MI6内部に敵が潜入できるという前作が示した脆弱性を引き継いでいる。
ボンドガールがいない…とも、M(ジュディ・デンチ)が本作のボンドガールだ…とも言われているが、トルコの名もない女、敵の情婦(ベレニス・マーロウ)、そして恐らくエージェント=イブ(ナオミ・ハリス)の3人の女性とボンドは関係を持つ。
ヴェスパーのことは吹っ切れたようで、なによりだ。
シリーズ50周年記念作品として一大キャンペーンが張られた本作は、見事にシリーズの興収記録を更新した。
MI6の本部が襲われるという異色の設定で、Mのかつての部下シルヴァ(ハビエル・バルデム)が疑似母Mを逆怨みする強敵として現れる。前作の弱みだったヴィランに、本作では不気味さと怖さが戻った。
ボンドにもウィットが戻っていて、シリーズの原点へのオマージュも見られる。
サム・メンデス監督の画作りが美しく、アクションだけではなく芸術点も高い。
オープニングシークェンスは、味方から奪われた「リスト」を追ってイスタンブールの街中で派手なチェイスを繰り広げる。屋根の上をバイクで走るシーンはダニエル・クレイグがノースタントで演じているように見える。どういう仕掛けなのだろう。
敵のシルヴァとボンドはMを挟んで抗争関係となるのだが、ボンドと関係を持った情婦は無惨にもシルヴァの手によって殺されてしまう。
シルヴァは、間男のボンドを殺すのではなく女の方を殺すのだが、そこには「ボンドを寝盗った女」に報復するというホモセクシャルの匂いがする。
ボンドは、関係の深い女の死には感傷的になる一方で、そうでもない女には分かりやすいほどあっさりしている。かつて初期作品が女性蔑視だと糾弾されたことがあるが、それは当時の時代性を考慮して問題視されなかった。しかし、今の時代、これを「クール」と解釈するのだろうか…
わざと捕らえられたシルヴァは、レクター博士のように監禁された状態でMとの面会を果たす。
そしてシルヴァは簡単に脱出してしまうのだが、監視員たちが殺されているのにすぐ近くにいた職員たちは気づかなかったのだろうか。
それを追うボンドとの追跡劇がスリリングに展開し、地下鉄を使ったスペクタクルが前半の山場だろう。
「スカイフォール」とは何なのかよく分からないが、そこにボンドがかつて暮らしていた家があることは分かった。いわゆるボンドの故郷なのだろう。
初代ボンドから受け継いだ(という説明はないが)アストンマーティンを駆って、ボンドはMを連れて故郷に逃げ込む。そこでシルヴァを迎え撃つ算段だ。
初代のアストンマーティンだから、仕込み機関銃が活躍する。
荒野のポツンと一軒家での銃撃戦へとなだれ込むのだが、敵を迎え撃つのは管理人のジイサンとMとボンドの3人で、巻き込まれた管理人は気の毒だ。
戦いは長期化し、敵の大将シルヴァが登場する頃には辺りは暗くなっていく。
この、陽が落ちかけてから夜の暗闇に至る時間帯の映像が、特段に美しい。
そして、凍った湖(そんなに寒そうではなかったのに)を使ったスリルがあって、いよいよ決着の一騎打ち…となるが、意外とあっさりシルヴァを倒す。
また、このエピソードも悲劇で幕を閉じる。
そして後日譚でMが襲名制であることが判るのだった。
新たな姿を見せてくれた007に乾杯。
カジノロワイヤル、慰めの報酬とはまた違った007。何が違うって、ボンドが全盛期の彼ではなくなってしまったってこと。そんな一度は地に落ちたボンドが、信念を胸に這い上がってくるのは、彼が007である所以だからなのでしょう。
シリーズ最高傑作といわれているだけありましたね!素晴らしいカメラワークから映し出されるアクションシーンも最高。またとっても豪華なキャスト陣でした。
そしてMとの絆。互いを信頼しあっていた、2人の関係を描いた作品でもありましたね。
ダニエル・ボンド:新たなる希望
ダニエル・ボンドシリーズは、一作目カジノ・ロワイヤルで華々しくデビュー、続編的二作目の慰めの報酬(なんちう邦題)で少し熱を冷ましつつ一作目の因縁にかたをつけて終わる。
そして開幕する第三幕では、あまり語られることのないボンドの素性に踏み込むともに、過去作以上に深く付き合ってきたMとの別れがあり、そして次作にもつながるチームとの結びつきが描かれる。一作目二作目が孤独なエージェントの物語だったのに比較し、新しく、しかし何故か我々観客には懐かしいバディ達。辛い過去の物語にケリをつけ、これによりダニエル・ボンドは新章に突入するのだ。(と言いながら次作ではより一層の過去に縛られている事が明らかになるのだが…。)
特に気に入っているのは、エージェント・イブとして登場した彼女が、あらもしかして?となったあとにやっぱりその名字なのね、ってとこ。いい名前。
007最高作
公開時にスクリーンで観たのだが、「ノータイム トゥ ダイ」をスクリーンで観たあとに、アマプラで再度観た。
面白かった、最高!
ストーリーがクレイグ以前のような単純なヒーローものではなく、かと言って複雑ではないのが最高であった。ボンドの暗い出自を演出するのは画期的。敵役のハビエル・ハブデムも好演。
おそらく「地獄の黙示録」のオマージュと思われる部分や、「ノータイム トゥ ダイ」の元ネタと思われる部分があったのも興味深い。
最新のアストン・マーチンがなかった事、ボンドガールの出番が少なかったことがマイナスポイント。
ジェンダーの問題で、これからはボンドガールも無くなるのかな。
やっぱりQが良かった。
よくあんなにママに拘り過ぎてる上司についていくな。ってのが、シルヴァの部下への思い。
まぁそこ以外は非常に優秀なんだろうけど、ことMについては私情丸出し過ぎて、そのために部下の命も無駄にしていく感じ。それにしてもシルヴァの驚き顔は顔芸の域で好きだ。
ボンドについては、「すごいなぁ」的感想しか出てこない。ダニエルグレイクのボンドって、妙に共感できないので、つい冷静な視点で観てしまう。
ちなみにこの作品の最高の配役はQ。萌え狂うわ。
やっとここまできた
世界中を飛び回って、ついに舞台はロンドン。ロンドンの街並みに馴染むボンドがかっこよかった。それにしても悲しみの連鎖は止まらない。Mがぁ…やっぱり最初からずっとかっこよかったジュディディンチさんがぁ…悲しかった
そ、そんなにいいのか。。。
シリーズ最高傑作と名高い本作。格調高い映像と漂う雰囲気。でも個人的には全く楽しめませんでした。やっぱりクレイグボンドは自分には合わないんでしょう。
シリアス路線なのか、荒唐無稽路線なのか、おそらく前者なのでしょうが何だか登場人物のやることなすことが間抜けで、でも雰囲気的には「至って真面目です」オーラ全開なので鑑賞スタンスが終始定まりませんでした。しかも007版ダークナイトと言わんばかりの内容で正直個人的には興ざめ。やりたいことは分かるけど、ボンド映画にそれを持ち込んでほしく無かった。。。というのが率直な感想です。
転回期となるテーマ
今回の冒頭の追跡劇はバイクを使ったものでこれがまた無茶苦茶。
特に列車への飛び移り方はもっとなかったのだろうかと思う。
頭っから衝撃的な展開が続き、今回のボスは何ともスケール感が違っていました。
全体的に少しノリが違っていて、アクションより深く静かな駆け引きがメイン。これはこれで良いですね。
そしてシリーズ全体を通して転回期となるテーマを有しており、中々に深みのある脚本でした。
アデルの主題歌も良く合っており、作品に花を添えているよう。
ラストの締め方もやはり最高です。
文句無く面白い作品でした、。
反抗期007「クソババア」
勝手に「NO TIME TO DIE」公開前祭り第3弾!!
007は冒頭のアバンタイトルで、1つの作品になってしまう!スゴイ!!
なので本編を全部見るより、ジェームズ・ボンドに会いたいときは、冒頭だけヘビーローテーションしてしまう……
「SKYFALL」は特に♪
作中、ボンドの年を感じさせますが、欲をいえば本作の前「慰めの報酬」の後に2作品ほどあってほしかったです!!
【過去】
ジェームズ・ボンドの過去、Mの過去が、シルヴァの過去と交錯して物語は展開する。
「スカイフォール」は、序盤から意外な展開だが、諜報やアクション以外でも、伏線が示されたり、ジェームズ・ボンドの過去が、ヴェスパーの分析と合致しているのかなど、「カジノ・ロワイヤル」を振り返って、変な意味、ノスタルジックな楽しみ方もある作品になっていると思う。
ロンドンのナショナル・ギャラリーの、印象派にも影響を与えた英国人画家ターナーの「戦艦テレメール号」の前で、ジェームズ・ボンドは、Qから銃と発信機を受け取る。
この絵は、1805年、スペインとのトラファルガーの海戦で活躍したテレメール号が、老朽化で解体される直前の曳航される場面を描いたものだ。
このトラファルガー海戦の勝利をきっかけにイギリスは太陽の沈まない大英帝国への道を歩むのだが、今やイギリスは、そうした世界的な影響力は衰え、更に、現代社会の進化で、諜報活動もスパイも、無用の長物になりかけているのではないかということを示唆し、それは、ジェームズ・ボンドやMの葛藤にもなっている。
これは次回の「スペクター」にも引き継がれるテーマでもある。
そして、上海のビルから垣間見えるモディリアーニの「扇子を持つ女」。
これは、2010年5月20日、パリの近代美術館から、ピカソやマチスの作品と一緒に盗難にあった作品で、未だ行方不明になっているものだ。
これが上海にあったというところも、実は、中国が台頭した世界情勢の変化を表しているのだ。
自分自身の衰えと、過去に絡んだトラウマ。
世界情勢の変化や技術の進化のなかにあって、諜報活動はどうあるべきかという葛藤。
それでも前に進もうとするジェームズ・ボンドと、Mに対して、過去に執着して復讐を目的に生きるシルヴァ。
様々な対比が織り込まれる。
この「スカイフォール」は、こうしたフレームワークとアクションがシンクロした傑作になっていると思う。
また、冒頭でジェームズ・ボンドと格闘し、上海のビルから転落するパトリスは、得体が知れないことから、ゴースト(亡霊)と呼ばれる存在で、次回作のタイトル「スペクター」も亡霊という意味であることから、諜報員や、その組織も亡霊のような存在なのかという示唆も感じられる。
「スカイフォール」では、「カジノ・ロワイヤル」でヴェスパーが分析したジェームズ・ボンドの為人(ひととなり)が凡そ的を得ていたことが明らかになるが、次回作「スペクター」では、ジェームズ・ボンドのトラウマと、Mがスカイフォールに向かう途上、諜報員には家族がいない方が良いと言ったことに対して、ジェームズ・ボンドが暗い表情をしたことの意味も明らかになる。
序盤のチェイスが一番面白いかも・・・
アマゾンプライムで観賞。
「慰めの報酬」より長い2時間越えの作品。
恒例となっている序盤のチェイスは安定の面白さ。
終盤の屋内で迎え撃つアクションは無難な出来で楽しめる。
結局リストは取り戻せたのかが良くわからなかった。いつの間にか有耶無耶になっているが・・・。
「007は時代遅れ」...課題の克服に失敗
最新作『ノータイム・トゥー・ダイ』公開を前に、クレイグ主演作を全作品、再鑑賞した。
【総評】「007は時代遅れである」という課題を設定した本作。「いかに新しい007を提案するか」が期待されたが、現代的なジェームズ・ボンド像を構築するのではなく、古風なもののよさを提示するにとどまった。中盤の悪役の登場、物語の展開、アクションギミックにおいては『ダークナイト』に多くを依存したが、テンポの良さや興奮に欠ける。「これまで確立されたボンドの魅力を継承しつつ、現代的諜報戦に落とし込む」ことに成功していない。終盤は過去の反復であり、むしろ後退している。
【あらすじ】NATO諜報部員の氏名が掲載されたリストが奪われた。
リスト奪回のため、ボンドは男を追跡し、格闘するが、味方による誤射で落下。行方不明となる。
狙撃を命じたのは、上官の「M」だった。
一命を取り留めたボンドだが、Mに対し、複雑な感情を抱く。
同じ頃、Mは引退を勧告される。
スパイという諜報のあり方は時代遅れだと、MI6は組織再編を迫られていた。
肉体的・精神的に疲弊したボンドと、時代遅れだと扱われるMを、過去の亡霊が襲う。
Mによって使い捨てにされたと恨む、元MI6部員「シルバ」が、MのPCをハッキング。
MI6のシステム内に侵入し、本部を爆破する。
諜報部員リストを盗ませたのもこの男だった。
最新のハッキング技術を有する、自らの分身と対峙しつつ、ボンドは「ダブルオー」の価値を証明する戦いに臨む。
【ポイント】OLD VS NEW/新VS旧
【解説】「007は時代遅れである」。これは単に、劇中において時代遅れ扱いされているだけではない。映画としての007の危機を表明しているのではないか。
なぜなら、007ほどリアリティに欠けるスパイはいないからだ。
公衆の面前で騒ぎを起こす人物が、隠密・機密重視の諜報活動をできるわけがない。
ジェームズ・ボンドの生態は実際のスパイ活動からかけ離れているが、大画面のアクション・女性とのロマンス・ブランド物の衣類・ワクワクするような車やガジェットによって作り上げられた、「魅力的な男性像」が、これまで観客を満足させてきた。
「007」とは、「強く、モテる、金持ちの男」という理想の男性像を提示する映画だ。
「スパイ」とは、2時間以内の起承転結に都合のよい設定に過ぎなかった。
「本物のスパイを描く必要はない。非日常によって観客を満足させる」。
これが旧来の007のスタンスだった。
伝統的007はむしろ、『インディ・ジョーンズ』のような冒険活劇に近い。
だが21世紀に突入し、スパイ映画の潮流が変わってくる。その象徴が『ボーン・アイデンティティ』(2002) だ。
「ボーン」は、格闘・アクションといった画面映えに比重を割きつつも、より現代的な工作員の姿を提示した。
特に、3作目『ボーン・アルティメイタム』(2008)の前半部、駅での戦闘は、「オペレーション」としての諜報・工作活動をよりリアルに、生き生きと伝えていた。
群衆に溶け込み、現場と作戦室とがリアルタイムに情報伝達しつつ、明確な目的のもとチーム行動する。
非常にカットの多い構成。作戦関係者は膨大な数にのぼり、主人公はその中の一個人に過ぎない。
伝統的007が体現するのは国家を代表するヒーローだが、「ボーン」が描くのは、「いち個人が、現代社会、我々の日常生活の中で、どこいるのか」ということだった。
「アルティメイタム」の舞台は現代NYをはじめとする先進国の都市部。
「非日常」を追い求め、発展途上国や高級ホテルでアクションを繰り広げる「007」とは異なる。
ボーンは、ボンドのように観光をするのではない。都市で生活をする我々の近くに溶け込んでいる。
このような「リアル」なスパイ映画の浸透によって、観客は、スパイ映画をリアリティの観点から評価するようになった。
国家安全保障上、主人公の活動はどこに位置づけられるのか?活動目的は?作戦実行手段は?チームメンバーは?一般人になりすまし、目立たずに作戦遂行できているか?
ネットニュースの話題になるスパイは、「非現実的」だと相手にされない。
これからスパイ映画を作成しようとする人は、ボンドのような派手なスパイを描かない。
スパイ映画に対して問われる「リアリティ」には、また別の種類がある。
『ミュンヘン』(2005) 『裏切りのサーカス』(2010) 『誰よりも狙われた男』(2014)。
これらの作品が、ハッピーエンドでは終わらないスパイ像を提案してきた。
工作員の支払う犠牲を描く作品が、続々と好評を得るようになってきたのだ。
悪役を倒す映画だけではない。主役がモテる映画だけではない。
生活を犠牲にし、危険におかすにもかかわらず報われない人物を描く映画が評価されている。
ヒーローであるはずのバットマンすら、『ダークナイト』(2008)において、スパイ風の「リアリティ」ある自警活動を披露した。その終わり方にも若干の苦味がある。
以上のような「実際の諜報活動を目指し、決してハッピーエンドでは終わらないスパイ像」という要請は、007に対しても向けられる。
シーン1つ1つにつき、「現実的か?」「ありえない、荒唐無稽なものではないか?」という観点から作品が吟味される。
「こんなシーンはありえない」という指摘が、一般人の観客から飛んでくる。
視聴者に夢を見させればいいのではない。憧れの男性像を提示するのでもない。そういった007が要請される。
『スカイフォール』序盤に「007は時代遅れだ」という問いを自ら投げかけ、こういった要請に応えようとしたのではないのか。
「旧VS新」という構造を設け、そういった問いに対して回答するのではないのか。
「現代的ボンド像」の方向性が示されるのではないか。
『スカイフォール』を見ながら自分が期待したのはそういったことだった。
完璧なスパイである必要はない。本物のスパイを描くならば007である必要はない。
だが、これまで蓄積されてきた「007」の魅力を持ちながらも現代的活動を行うボンドが見られるのではないか、と期待したのだ。
序盤でボンドに負傷させ、失踪させ、彼の没落を印象付ける。
MI6の組織改編により、スパイの不要性を主張する。
ボンドにはMへの不信感を抱かせ、内部崩壊を促す。
Qというハイテクエンジニアが、フィジカル頼りのボンドに取って変わろうとする。
悪役の登場が、さらなる追い討ちをかける。
彼の得意とするハッキングが、フィジカル頼みのボンドを否定する。
Qによって使い捨てられたことを恨む彼が、ボンドと同じ立場で、Qへの忠誠心を揺るがす。
スパイ不要論と感情的揺さぶりを以って、007を消そうとする。
このまま007が消えてしまえば、ボンドの人生は終わる。
007の物語は終わり、続編を作ることはなくなる。
だがそれでいいのか。ボンドは戦い、勝ち残るべきではないか。
しかし007はなぜ戦うのか。何のために戦うのか。
観客は、彼の人生がまだ続いて欲しいと願うだろうか。彼の魅力とは何であろうか。
ストーリーテラーが答えを出すべき問いは、以上のようなものだった。
【オチ】ハイテクを駆使する敵に対抗し、ストーリーテラーが用意したのは「アナログなロケーション」だった。
スコットランドの一軒家。
丘陵地帯、孤立する石造りの建造物。
周囲一面が低草と岩に覆われ、ほかに人工物は見当たらない。
この「スカイフォール」がボンドの生家だ。
電気や水道が引かれているのかも定かではない。
もちろんインターネット回線など通じているはずがない。
この家には、ハッキングの対象となるドアやパイプがない。
シルバが得意とするハック能力は、この場所の攻略する役には立たない。
したがって、ここに彼をおびき寄せることができれば、フィジカルな勝負に持ち込むことができる。
この「アナログ」が、ボンドの価値を証明する場所だ。
しかしどうだろう。
「ハイテクに対抗する手段はフィジカル」なのだろうか。
「ハイテクのない場所で、フィジカル勝負に持ち込んだ」に過ぎない。
現代諜報活動の基本に通信があることを踏まえると、通信のない場所で勝ったからといってボンドの価値が証明されるとは思えない。
「生まれた場所に帰る」ことで、原点回帰を意味したのかもしれない。
あるいはボンドにスーツを着せず、一人の男としてその場に立たせることで「今までのボンドのイメージを一旦無に帰す」ことを企図したのかもしれない。
それにより、「ボンドのイメージの再構築がはじまる」ことを意味するのかもしれない。
Mという母親代わりの存在を殺し、新たな人物をMI6の長官に据えることは、「親離れ」「独り立ち」を暗示するものだったのかもしれない。
だが、「これまで構築されてきたボンドのイメージを一旦ゼロに戻す」だとか「ボンドは通信技術に長ける相手に勝利した」と宣言したところで、ボンドは現代的な諜報戦から逃れることはできない。
たまたま通信技術のない未開地で戦闘が行われただけで、今や世界中に通信網が張り巡らされている。
敵地を遠隔操作することも可能であり、何も肉体的に危害を加えるだけが敵を無力化する手段ではない。
個人、ボンドに直接攻撃を加えなくともよいし、組織のレピュテーションを下げればよい。
ボンド側の対抗手段も、そのような、遠隔的で非・物理的な攻撃に対するものだ。
あえて悪役に「ハイテク」を象徴させ、現代的なボンドに仕立て上げるのであれば、対抗手段もまた、「ボーン」風の、通信技術を用いたチーム戦であって欲しかった。
格闘シーンももちろんあっていい。ボンドが担う役割はフィジカルなものでもいい。
何も彼に「Q」のようなiTエンジニアの役割を背負わせろというのでもない。
むしろ役割分担に基づき、多くのチームメンバーが緊密に連絡を取り合い、明確な指揮系統のもとで作戦を実行する姿が見たかった。
今回のボンドは真逆だ。
ボンドとMと老人の3人だけが、役割分担もなく、情報共有もなく、指揮系統もないまま、行き当たりばったりの戦闘を行った。
一切の電子機器を廃した、素朴な抵抗が行われた。
それは爆発を伴うものではあったものの、必ずしも大画面の迫力を活かしたものではなかった。
従来のボンドと異なる。傭兵部隊との攻防でありながら、ミニマルな戦闘だった。
愛車のアストンマーチン「DB5」を最後には破壊し尽くしたのも、「ボンドは変わる」という意思表示であったのかもしれない。
だが結局、続編の、『スカイフォール』に続くサム・メンデス監督作品である『スペクター』は従来的な大迫力のアクションエンターテイメントであったし、『スカイフォール』本編自体も「ゼロに戻そう」という提案をしたのみで、新しいボンド像を展開したわけではない。
MI6の破壊も、新しい基地の設立も、芝居がかった悪役の登場も、一度捕まって脱出する展開も、彼が警官の姿をして逃げる姿も、ボンドの背後から地下鉄の車両が迫り出してくるギミックも、『ダークナイト』をあまりに参考にし過ぎており、しかし失敗している。スリリングなテンポ感、興奮において。
前半部分で「ボンドは時代遅れだ」という設定をしたはいいものの、アジアでのシーンを経て、中盤のロンドンのシーンは『ダークナイト』を参考にした独自性のないものであり、終盤部分は「古風」「素朴さ」「原始性」に回帰するのみであった。
自ら設定した課題を克服することができなかったと言える。
新しいボンド像の提案はなかった。
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