いのちの子どものレビュー・感想・評価
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宗教と母性愛の矛盾がまざまざと
冒頭でパレスチナ人の少年が「ぼくたちはすでに死んでいるんだ。例え死んでも神のご意志だから怖くはない」と言うシーンがある。
それは、「息子を助けたいのは殉教者にするため」 という、母親から発せられた言葉と同じくショッキングだ。
難病で何人も子供をなくし、今度こそ息子を助けたいと一心に願っていた母親に幸いあれと、固唾を呑んで見守ってきた観客は度肝を抜かれる。
ドナーを探しあてたとき、安堵で泣き叫んだ彼女の姿からは到底想像できず、理解に苦しんだ。
案の定それは、イスラエルで治療を受けることへの同胞からの批判や嫌がらせを受けての、自己弁護的な台詞だった。
しかし、全くの演技だったとも思えない。
原理主義者ではないにしろ、敬虔なムスリムたちのアラーに対する忠誠心は凄まじい。わたしたちは、彼女らにどのタイミングで宗教心が芽生えるのかを知らない。感覚的にわからない。
でも息子を助けたいと思う母親の想いが、宗教の戒律に板挟みになっているのはわかる。本当に宗教は彼らの心の安らぎになっているのだろうか?
宗教による「頑なな決めつけ」は弊害だ。「ユダヤ人は神との約束を守らなかったからエルサレムに住めなくなり、真に救済の神託を授けられたのはムハンマド」。かたや「モーセを通して神が約束してくれた土地」。双方「神がいる」前提で、各々の預言者が正しいと譲らない。
その土地への恐れや敬いなど「人間」が生きてきた思いや証を、神社という形に具現化してきた日本人とは、根本的に違う。これでは中東の平和なぞ永遠に望めないだろう。
しかしもし中東に江戸時代のような平和な時代が続いてきたのなら、「アラーのためなら命を惜しくない」と彼らにいわしめるだろうか。
このドキュメンタリーで垣間見たパレスチナの惨状を見ると、いちいち人の死に対して敏感に心が反応していたら、狂ってしまうだろうと思う。
だから、何も考えずにいられる宗教があれば、自分たちは正しいと思えて、精神的に楽なのだろう。
イスラム教典には「攻撃や侵略をされたら戦ってもいい」とある。 それは正当防衛と同じ理屈で、その考え自体には特殊性はない。 絡み合った憎しみの連鎖は、中東だけの責任ではないと世界が自省しなくてはいけないのに、シオニストたちの移住で混迷はさらに加速した。
毎日のように殺し合いが行われているのに、「私の息子の小さな命が、イスラエルとパレスチナの火種になるのはおかしい」というのが、彼女の本音だろうと思う。
せっかく助かった命なのだから、登場した一家には、どうにか生き延びていって欲しい。
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