「生きのびて春が訪れるのを待っていた津雲半四郎の物語り」一命 Stagさんの映画レビュー(感想・評価)
生きのびて春が訪れるのを待っていた津雲半四郎の物語り
井伊家の体面ばかりを気にする輩と,それに抗えない無言の共犯者たち.そして,全てを失った時に自分自身も刀という武士の体面を捨てきれなかったことに気づく浪人武士の半四郎.戦国から太平の世へと変化する社会の中で,こびりつく価値観や因習によって引き起こされる悲劇の物語り.
求女の無邪気だが凛とした所作が良い.美穂が持ってきてくれたまんじゅうを食べるシーンは,なんともさわやかで,うまそうである.そして,圧巻は半四郎である.死の床にある友人に障子をあけてほしいと頼まれ,豪胆にかつ無駄なく開けてみせる所作は美しい.同情を通り過ぎて嫌悪感すら抱くみすぼらしい貧しさの体現者である美穂の描写と対照される.
何人かの虚栄心とそれに物言わぬ人らによって絶望が作り出されていることを描く,胸をえぐられる作品であった.
下記から内容の詳細を含む ----------------
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戦国から太平の世に移り変わる中で,半四郎がつかえた藩は理不尽な取りつぶしにあい,半四郎は浪人武士になってしまう.取りつぶしの直後に亡くなった同じく家臣である千々岩の息子・求女(おとめ)をひきとり,自分の娘の美穂と3人で貧しい生活をする日々.
年月が経ち,求女と美穂も成長する.美穂には良家から嫁の誘いがあるが,半四郎は頑なに拒む.求女と美穂が好きあっていることを察していた半四郎は,求女に美保を嫁にもらって欲しいと頼む.「2人の気持ちが大切なんだ」と.
求女と美穂は結婚し,息子のきんごを授かり,幸せもあるが,貧しい暮らしが続く.求女は金の工面をするために学問書の手に質屋へ.しかし,学問書ではわずかな値打ちにしかなない.質屋に「刀を売ってはどうか」と打診されるが,求女は「無礼であろう」と一蹴する.
ある時,求女は,息子・金吾を医者に見せるための三両に困り,やむにやまれず井伊家を訪れ,狂言切腹におよぶ.武士としての体面が重要である井伊家は武士が狂言におよぶ流行りの風習をよしとせず,温情はない.求女が帯刀していたのはすでに刀ではなく竹光であったが,その竹光で自害を遂げる.
息子の金吾は命を落とし,美穂も求女の遺体が運ばれた夜に,切腹に使われた求女の竹光で自害する.
求女が竹光で切腹したことを聞いた半四郎は,求女が妻子のために武士の体面である刀をとうに捨てていた事に気づく.義理の息子,娘,孫,すべてをなくした半四郎.残った自分の刀.この時代で娘の恋愛結婚を積極的に認め,体面を気にせずに家族を大事にしてきた半四郎だけに,1つ残る刀は大きな悔恨である.
井伊家の体面ばかり重要な輩がいて,そのほか大勢も声をあげられない無言の共犯者である武士たち.そして,半四郎自身も刀という武士の体面を捨てきれなかったことに気づく.
戦国時代が終わり平和が続き,もはや実力で立身出世を勝ち取る武士の世界ではない.しかし,大名にめしかかえられた武士たちにとっては,いまだにそれが実力によって勝ち取ったという自負と誇りなのである.また逆に多くの浪人武士たちにとっても捨てられずにしがみつく体面なのである.それは浪人武士たちへの蔑みにもつながり,そして浪人武士たちは卑屈にもその蔑みを甘受する時代である.
半四郎は,井伊家の武士を前に,この浮き世の中で少し事が違えば,息子の求女が井伊家の家臣としてそに座っていたかもしれないと説く.それは決して自分たちの窮状を訴えたかったのではない.個人の窮状は時の運もあり仕方のないことである.しかし,多くの武士がいる中で,なぜ誰一人として求女の窮状を尋ねる者がいなかったのか,哀れを叫ぶものがいなかったのか,その事を問いただす.また,武士の体面とはもはや建前に過ぎず,守るべき誇りではないことを説く.
最後,半四郎は,武士の体面の象徴である 飾られれた「赤備えの鎧」をこわしてみせ,それを最後に観念した半四郎は切られて死ぬ.しかし「赤備えの鎧」は,井伊家の家臣たちによって繕われ,何事もなかったかのように再び飾られ,変わらない現実が続いていく.映画はここでおわる.
見終わった後,なんとも胸をえぐられ,しばらく言葉を失ってしまう映画であった.誰かと一緒に見に行ってしまうと,その後を保証できないが^^; 是非見て欲しい作品.