劇場公開日 2011年10月15日

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「武士道の悲哀と理不尽さが充分に伝わってこない」一命 マスター@だんだんさんの映画レビュー(感想・評価)

2.5武士道の悲哀と理不尽さが充分に伝わってこない

2011年10月21日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

単純

長くなるので結論から言うと、市川海老蔵が若すぎる。時代考証的には孫がいてもおかしくない年齢かも知れないが、見た目が若い。海老蔵の役を役所広司がやってもいいくらいだ。いや、その方がぜったいしっくりくる。

この話は、そもそも井伊家にしてみれば迷惑な話を、狂言切腹を企てた方に感情移入させなければ成立しない難しさがある。
ところが、切腹を申し出た浪人に対し、武士として体面を計らったとする井伊家家老の言葉の方に重みを感じてしまう。それは、役所広司という俳優の実直な人柄だ。この人が言うのだから、もっともだと聞いてしまう。
海老蔵扮する浪人の、「武士としての情けはないのか」という言葉の方が、何を勝手なことをと、逆に理不尽なものに聞こえてしまう。
役所と海老蔵の声質の違いも大きい。海老蔵の声はトーンが高い。落ち着いた低い声の役所の言い分が正道に聞こえるのだ。

確かに井伊家の若い侍に情けのカケラもないのかと怒りを感じるが、そもそもの発端は当家とはまったく関係のない武士による切腹の申し出だ。
これを覆すには、それ相応の演出と演技力が必要だ。皆が皆、狂言切腹に追い込まれた浪人に無条件で同情するわけではない。なぜなら、これは武士道を描いた映画だからだ。
「武士に二言はない」という言葉があるように、一旦口に出した言葉は守らなければならないという武士社会の鉄則がある。武士たるもの、軽々しく口に出してはいけないという戒めだ。武士がたとえ狂言にしろ切腹を申し出るならば、万が一にも先方が受け入れたときのことを覚悟してコトを起こさなければならない。そもそも茶菓が出された時点で覚悟を決めなければおかしい。これは今生の別れに対する最後のおもてなしだ。
太平の世で、それも分からないほど甘ちゃんになってしまった武士を瑛太が好演している。瑛太はよかった。ホントに切腹しなければいけないと悟ったときの狼狽えぶり、竹光を無理に腹に突き立てる切腹の苦しさ、介錯を懇願する表情といい、今作でのベストキャスティングだ。

この若い武士の切羽詰まった心情、それを語るのは求女(瑛太)自身ではない。海老蔵扮する津雲半四郎の役目だ。この作品の主人公は津雲半四郎だ。
困窮する浪人の心情を訴え、それでも武士の魂を捨てずにきた男が、仕官して安泰な暮らしを貪る武士たちに、敢えて竹光で刃向かう。そこに一介の浪人の意地を見せられるかが、この作品の勝負どころだ。

そして、その前哨戦こそが前半の家老(役所)の逸話に対して切り返す、後半の半四郎(海老蔵)による身の上話なのだ。建前ばかりを重んじ虚飾された武家社会に対して、上辺だけの武士道など切り捨てるには竹光で充分だと、語らずとも分かるよう観る者に刷り込んでおくための大事な大事な前哨戦だ。

そういえば、役所と海老蔵、ふたりとも同じテレビ局で宮本武蔵を演じている。役所広司の武蔵は相手との間合いを読む野性的な精悍さがあった。やはり、役所広司を半四郎に据えた方がよかったのでは? その役所も、多少の無体さを装うべき家老の役には合わない。

求女(瑛太)と家老(役所)の立場を、それぞれが飼っていた白猫で表現した演出はイケてる。

3Dはまったく必要なし。重いメガネを掛けて観るだけのメリットがどこにあるのか?

マスター@だんだん
asicaさんのコメント
2021年10月1日

非常に納得のレビューです。劇場公開は3Dもあったのですね。
家で配信で見た私の感想など、その程度だったのだと思う程の完璧さです。

asica