「鬼気、迫る」一命 ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
鬼気、迫る
「ゼブラーマン」などの作品で知られる三池崇史監督が、歌舞伎界のスターである市川海老蔵を主演に迎えて描く、時代劇。
テキーラがたっぷりと注がれた灰皿を、武士の魂である刀に持ち替えて挑む市川海老蔵の意欲作、いよいよ公開である。
とにかく度肝を抜く派手な戦争描写をもって、観客の賛否両論を巻き起こした三池監督の過去作「十三人の刺客」。ここで印象的だったのは、主役級の豪華俳優陣を泥だらけ、血だらけにすることでスターの個性を徹底的に打ち消してしまおうとする意図だった。「所詮、駒」と言わんばかりに武士諸々の最期を淡々と描くことで人間の悲しさ、小ささを痛切に語る非情さが強い作品である。
対して、本作である。もう、息苦しいほどに登場人物に寄り添うアップの描写で作られた家族のささやかな幸せと、悲劇。「十三人~」とは全く正反対の視点で描かれているのは明白である。
市川海老蔵と、瑛太。活躍するフィールドは違えど、それぞれに時代を代表する若手のスターのもつ輝き、滲み出る野性味がぎらぎらと光る瞳をもって強く、潔く引っ張り出される。
没落武士としてつつましい生活に甘んじながらも、ささやかな幸せを噛み締めていたある家族に起こる、悲劇。大変に分かり易い物語の展開ながら、その悲劇に打ちひしがれる二人の男が見せる表情が、鬼気迫る血眼と痛み。坂本龍一の語る静かな音楽に導かれ、その静かな絶望が観客の困惑と関心を招く。ここにあるのは、誇りを吐き違えた人間への批判。悲しさ。
そう、形は違えど三池監督の冷徹なメッセージは「十三人~」と相通じるものがある。所詮、駒、なのである。
何でもありの時代劇という表現手段をもって、いかに伝えるべき言葉を描き出すか。平成の奇才、三池崇史が先陣を切って新しい時代劇の在り方の再模索が始まる、そんな期待が持てる作品だ。