劇場公開日 2011年10月15日

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一命 : インタビュー

2011年10月14日更新
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海老蔵は、歌舞伎の演目で数え切れないほど武士を演じてきたわけだが、半四郎という人物にも独自の解釈で彩りを加えた。歌舞伎公演で演じる武士の場合、「まず必ず本音と建前があるんです。武士としてこうあるべきという本音はあるけれど、人間として生きるうえで必ずしも腑(ふ)に落ちないことは多々ある。本当の武士は多分、無言ですよ。ただ、無言の武士を描いたところで何の面白みもないから、口に出してしまう。そこがドラマとしての面白さ」と分析する。

今作の舞台は、戦乱の世が終わり、江戸時代初頭の徳川の治世。大名の御家取り潰しが相次ぎ、仕事も家もなくし困窮した浪人たちの間で“狂言切腹”が流行する。それは、裕福な大名屋敷を訪ね「庭先で切腹させてほしい」と願い出ると、面倒を避けたい屋敷側から職や金銭がもらえるという、都合のいいゆすりだ。半四郎の娘婿である千々岩求女も、売り払った刀を竹光に変え、切実な事情から名門・井伊家に切腹を願い出たことで壮絶な最期を余儀なくされる。

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半四郎は、武士として“正しい生き方”が何なのか、命を懸けて問いかける。海老蔵は、「彼の場合、娘が結婚し孫もできる。そこで初めて人間としての喜びが出来て、本音が芽生えた。武士としての葛藤(かっとう)は抱えながらも、喜びが満たされたところで、全てを失ってしまう。狂言切腹って、無造作に公開処刑されたようなものです」と真しな眼差(まなざ)しで話す。そして、「半四郎の本音と建前、それは、井伊家に乗り込んで『どこがあなたの本音なんだ』と指摘することと、自分が武士として考えていることを照らし合わせていくということでもあると思うんです。武士としてはいいかもしれないが、人としてそれが幸せなのかという点に思い至ったところが半四郎の面白さじゃないですかね」と静かに語った。

劇中では親子という立ち位置にいた海老蔵と瑛太、満島ひかり。三池監督は、この生い立ちのまったく異なる俳優たちとの撮影現場を、ことのほか楽しんだという。「現場へ行くと半四郎の格好をした市川海老蔵が現れる毎日って不思議でしょう? どうやって役者になったのかも、どんなことをやってきたのかも違う人たちがきゅっと一緒になって作品をつくることが、映画の強みですよね。演出ということになると、僕は歌舞伎の世界ではお呼びじゃないし、瑛太が歌舞伎の世界へ行っても何の役にも立たない。ただ、我々の世界は、素人がぽっと入ってきたときに面白いものを引き出せるかもしれない。いつでもドキドキできるという感じが刺激的でした。撮影中、市川海老蔵という生き物をすごく楽しんだし、(京都・太秦の)東映撮影所が一種のお祭り状態でしたね」。

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海老蔵にとっても、予期せぬ出会いだったに違いない。瑛太について、「さわやかな好青年だけど、メチャクチャ熱いんです。面と向かって『負けませんから』『負けたくないんです』と言うんです。『おおっ! 何なんだろう、この熱さは』と感じましたね。公私ともに仲良くさせてもらって、とにかく一緒にいましたね」と笑顔で話す。満島に対しても、「女優さん独特というか、役に入り込む。そういう女優さんって近寄りがたい雰囲気を出すんですが、彼女は意外と近寄っていける雰囲気を持っている。器量が大きいんでしょうね。人とのコミュニケーションや場の空気を考える余裕を持っていて、壁というかベールを取っ払えるのはすごいなと思いましたね」と称賛を惜しまない。

共演した仲間たちを、恥ずかしがることもなく絶賛する海老蔵の姿は、どこまでも人間味あふれていた。横で話を聞いていた三池監督が発したひと言が、市川海老蔵という稀有な存在を象徴している。「僕はたまたま映画監督をしているけれど、海老蔵さんの場合はたまたまじゃないんです。“定め”として歌舞伎役者をしている。それは、“運命”なんですよ」。海老蔵にとって3本目の映画出演が何年後にやってくるかは分からないが、運命を受け入れた男がどのような進化を遂げているのか。次回作が再び三池組の現場であることを、心から期待してしまう。

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