監督失格のレビュー・感想・評価
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生々しい
1966年、AV女優となって6年目、26歳の林由美香とともに監督は北海道最果てまで自転車旅行を敢行する。それが前半60分。平野監督と恋人だったのは4か月程度。その後は友だちとして、仕事での付き合いだったが、監督にとって彼女は大きな存在だった。
2005年。35歳のバースデーに映像を撮ろうと彼女のアパートを訪ねたときに異変が・・・電話にも出ないし、鍵がかかったままの部屋。やむなくラーメンチェーン店“野方ホープ”の社長をしている母親・小栗冨美代に連絡を取り、合鍵で部屋に入る。その時の模様が痛々しいほど訴えてくる。警察へ連絡する平野。泣き崩れる母親。こんな生々しい人の死の周辺をドキュメントしているのだ。死因は酒と薬物によるものだった・・・
自転車
個人的にプライベートな人間関係のドキュメンタリーフィルムは、こっぱずかしくなる質なので、最初の北海道自転車旅行までは「うーん、イマイチ」。
しかし、由美香さんの「死」が、偶然にもフィルムに収められていた緊迫感溢れるシーンから、一気に画面に吸い込まれてしまいました。第一発見者の母と元恋人。母の慟哭とは対照的な元恋人。
彼はその後「死」を受け入れるまでに5年を要することになります。
そして、5年後。封印してきた感情を自転車に乗って開放し、由美香さんの「死」を受け入れるというラストシーン。
自転車で疾走しないと、叫ばないと、泣かないと、恨みごとを言わないと、突破できない苦しみ。
この作品は、単純な恋愛物語ではなく、ひとりの男のありのままの記録と通過儀礼の物語です。
オナニー晒す人と凝視する人
――しあわせですか?
――うん、しあわせですね
かつての恋人との思い出のシーンを捨てたとき、平野勝之の絶叫は「ほんとう」のものになった。
18歳でヤングマガジンのちばてつや賞を受賞し、将来を期待された漫画家であったにもかかわらず、突如漫画を捨て8ミリフィルム映画を自主制作しそれも処女作で受賞。その後AV業界に転じ、そこでも天才の名をほしいがままにしてきた平野勝之と、「最後の映画女優」といわれ、ピンク映画そのものだとも評された伝説的AV女優の故・林由美香(『たまもの』を観れば、その彼女の圧巻の演技に出会えます)との長年にわたる関係を描いたドキュメンタリー映画。『監督失格』という題名、また予告映像のくどいまでの平野の語り、そして庵野秀明プロデュースというふれこみから制作者達のオナニー感まるだしの作品と思いきや(確かにオナニーなのだが)、個人的には庵野秀明監督のエヴァンゲリオン以上に人類補完計画を完成させた作品であるという感想を持った。
このドキュメンタリー映画は誠実な作品である。「誠実」という表現がやや陳腐であるとしたら、敢えて「ほんとう」の作品という言葉で形容したい。そこには、ドキュメンタリーにありがちな撮る側の企みが全く感じられず、平野勝之をはじめとする、林由美香にまつわる人たちの「ほんとう」の気持ちがつまっているからだ。そしてこの「ほんとう」は、平野勝之と林由美香との長年の関係、そして平野という男の根底にある、「ほんとう」への渇望によって担保されているのだろう(実際平野のこれまでの作品をざっとみるだけで、彼の作品が突き抜けようとする葛藤によって成り立っていることが分かる)。これらが非意図的に積み重なり、そして最後に庵野秀明の作為によって、この映画は「ほんとう」の作品となり得たのだ。
この映画のあり方を象徴的に位置づけるのは、やはり林由美香の遺体を発見してしまった平野と林由美香の母親が狼狽するシーンだろう。私生活すらもカメラに差し出していた平野は、作品の前後すべてをカメラにおさめていたため、林のアパートへの訪問、彼女との連絡の取れない不審さをも撮り続け、ついには遺体発見までを偶然にも記録してしまったのだ。もちろん、林の遺体が出てきた時点でカメラを止めるのが普通で、人としてはそれが当然だ。しかし平野と林の長年の関係は、平野がカメラを止めることを許さなかった。彼らにはその必然があったのである。それは、映画の題名でもある「監督失格」キーワードに由来する。この言葉は監督の自意識過剰などではなく、林由美香がドキュメンタリーAV『わくわく不倫旅行』で自分と平野の恥部(しかし最も重要な)を撮り逃した監督に対し当てつけられたもので、いかなるときもカメラを回すべきであるというプロ意識からくるこの林の言葉は、この映画を「ほんとう」のものにし続ける遺言となった。この言葉を以てして、後半(前半は『わくわく不倫旅行』の総集編となっている)、まったく登場のないはずの女優は常にその存在感をフィルムに染み込ませるのである。さらに、この言葉が林由美香の死後、作品を撮れなくなっていた平野をつき動し、林由美香の母が自分の娘の死を記録した映像を世に出すことを認めさせたのだということを考えたならば、なんと不謹慎な幸運の結果にして、映画史上類をみない適切な題名だろうか。
この映画は、最愛の女性と最高の被写体を失った男・監督の、喪失と再生の物語だ。ラストの平野の喪の作業は何とも単純で稚拙だが、数時間の限りなく「ほんとう」のこの映画を観た後、観客は平野の激走と咆哮によって、「ほんとう」の人類補完計画を目の当たりにするのである。
『わくわく不倫旅行』でウンコを食べちゃう林由美香の可愛さ(今作ではそのシーンはカット)、同作で大自然に囲まれた道路の真ん中でオナニーに興じる平野の愛らしさ(やっぱりカット)、由美香ママの寝た子を殺すような目つきの美しさ、アスファルトに染みる優しい雨を撮ったカンパニー松尾の涙の温かさ(このシーンが実は一番好き)、この映画の鑑賞後、AV業界への色眼鏡はあなたから強制的に取り外されることだろう。
しかし、どうも庵野秀明という男は相変わらず他人のオナニーに興味津々のようである。※相原コージ『一齣漫画宣言』あとがき参照
これは、ラブレターであり、ラブストーリーだ!
2005年に急逝したAV女優・林由美香の姿を、彼女の元恋人でAV監督の平野勝之が綴ったドキュメンタリー。
平野は以前にも林由美香を題材にしたドキュメンタリー「由美香」を撮っており、本作は集大成とも言える。
映画は、前半は「由美香」でも描かれていた二人の北海道への自転車旅行の模様、後半は衝撃の映像が捉えられている。
久し振りに由美香と仕事をする事になった平野だが、由美香と連絡が取れない。カメラを回したまま由美香のマンションに赴くと…
由美香は死んでいた。
死体こそは映らないが、ヤラセでも作り物でもなく、偶然にも由美香の死に遭遇した瞬間。
泣き喚く由美香ママの姿は、娘を失った母親の真実の悲しみの姿で、胸に迫る。
スナッフフィルムまで後一歩のような衝撃のドキュメンタリーだが、この映画は、平野の由美香へのラブレター、鮮烈なラブストーリーだ。
平野のAV監督デビュー作が由美香の出演作。当時、由美香から「監督失格」と言われ、それをバネにしキャリアを積み、後に恋人関係になる。
北海道旅行での由美香の愛くるしい一面、醜い一面、繊細な一面は、恋人だった平野だから収める事が出来た映像。
二人は別れ、平野は由美香への想いが残り、スランプに陥る。
そんな時、久し振りに由美香と再会するも、その矢先…。
由美香を失った喪失は大きい。由美香ママ共々、考える事が出来ないくらい。
その為、例の映像は封印された。
しかし、平野は、由美香が「映画を撮って」と言っている気がしたと言う。
封印を解き、映画作りを始める。
それは同時に、由美香の死と向き合い、受け入れる事でもある。
それが出来ず、苦しみ泣く平野の姿が捉えられている。
由美香の死から立ち直ろうとする痛々しいまでの姿でもあった。
かつて、ヒッチコックは金髪美女を好き好み、フェリーニは巨女への憧れを描いていたが、平野にとっては由美香こそ女神=ディーバなのだ。
親より先に死ぬもんじゃない。・゚・(ノД`)・゚・。
平野監督は妻子持ちでありながら、AV女優の林由美香と不倫をしていて、さらにそれをフィルムに収めて、死後7年経ってこういう形で劇場公開するというこの映画の前提に関しては・・・
そりゃ~批判されてもしゃーない部分はあります(;・∀・)
事実不倫の内容をドキュメンタリーのロードムービー『自転車不倫野宿ツアー 由美香』として製作したことに関する道義的な問題は発生するのは間違いない。
でも・・・
この映画を観て思ったのは、そんな現実の道徳が倫理がどうたらこうたらなんてこの映画の中じゃ関係ない!!!!ってこと(゚∀゚)
林由美香という女優は、飛び抜けて美人なわけじゃないし、スタイルがいいわけでもなく、セックスシンボルとしては正直役不足(;´∀`)
ただミューズともいうべき「あげまん」体質で、付き合った男はみんなその後大物になっていき、さらに葬式に参列した元彼同士がみんな仲がいいという・・・
ぶっちゃけここに参列してる映画監督、脚本家、作家、アーティストにも林由美香と不倫関係にあった人も相当いるとか(^_^;)
決して絶世の美人という訳ではないけど、彼女を収めた映像にはなぜか芸術性が付きまとう。
天性のミューズと言うべきでしょうか(・∀・)
とにかく林由美香の魅力がふんだんに収録されてる。
自宅で死体で発見された時の下りの緊迫感と臨場感は凄まじい!!∑(゚ω゚ノ)ノ
斜めに倒れたカメラから伝わってくる異常事態の雰囲気と、由美香ママの嗚咽はほんとこれがドキュメンタリーだと再認識させられる。
そしてこれを観て率直に思ったのは
「親より先に死ぬもんじゃない(´Д`)ハァ…」
結局死因は睡眠薬の飲み過ぎによる中毒死だということだけど、第一発見者の平野監督も容疑者として疑われた(;´Д`)
死体を目の前にして涙を一滴も流さず、さらに葬式でも一切泣かなかったため。
その後平野監督は映画を1本も撮れなくなって、ロードムービーを撮った後に別れたはずなのになぜか由美香の影がずっと付きまとっている。
件のロードムービーを観て多大な影響を受けたという庵野秀明監督に協力してもらって、由美香の呪縛を断ち切って再起するために作ったのがこの映画。
しかしなかなか自分をさらけ出せず、庵野監督に尻を叩かれてラストシーンに追加したのが、ぎっくり腰を押して自転車で夜中走り出して「早くどこかに行っちまえ!!!」と泣き叫ぶシーン。
ここで終わり。
これで平野監督は復活することができた(゚д゚)
極めて個人的な映画のように思われるけど、この映画の林由美香の人生を通して我々庶民が学ぶべきものはたくさんあると思う。
世俗的、一般的な常識に捉われない生き方があり、そしてその生き方をしても世間から注目を浴びて絶賛されることもある。
不倫や浮気も道義的には良くないけど、石田純一ではないけどそこから生まれるものもたくさんある。
アウトロー文学や芸術、グラフィティアートなんてまさにそう(・∀・)
そして何より一番俺が強く感じ取ったのが、繰り返しになるけど
「親より先に死んじゃ絶対に駄目だ!!!!」
というメッセージ(^_^)
平野監督はそんなつもりはないかも知れないけど、この思いが死体発見のシーンで一番く感じ取られた。
そして林由美香という稀代の名女優にしてあげまん。
素晴らしい( ゚∀゚ノノ゙パチパチパチ
大傑作です(∩´∀`)∩ヤッホー♪
まず観てみることをお勧めします。
林由美香と言えばまず思い出すのは平野勝之。彼がなにをどうやって林由美香を描くのか、その興味だけでずっと気になっていたわけで・・・
スタッフロールが流れた瞬間、ボーっとしてました。「俺はいま、とんでもないものを観たのではないか?」。
『それは一本のビデオテープから始まった』といえば『あんにょん由美香』と同じセリフになっちゃいますが、そのテープがあまりにも凄かった。確かにこれがあったら林由美香が亡くなってから5年間何も撮れなかったという気持ちがよくわかる。
けれどもそれが無かったらこの映画は存在しないし、平野氏自体もう映画は撮らなかったと思う。
じゃあ何故作ったのか?
『あんにょん由美香』で松江君が平野氏に挨拶に行った時、「俺はいまやれないね」って語ってました。それをやってしまった。多分それは「林由美香の呪縛を取らなきゃ前に進めないんじゃないか」と。5年間なにも出来なかったんだから。
プロデューサーの庵野秀明もエヴァの呪縛があるから。
感動とかそういうものじゃない。言ってしまえば平野氏のおのろけ映画ともいえるが、好きな人におのろけても別にいいじゃない。
ただ見終わった瞬間、平野氏は映画を辞めるんじゃないか?と思ってしまった。
上映後、寺脇研とトークしてたら、話がどんどん進んじゃってティーチインが無くなって仕舞いましたが、寺脇氏の計らいで「出口で監督にいさせますので面白かったとか、この糞野郎とか声かけてください」と言われたので、閉会式があったのですが、別に関係ないのでいの一番に挨拶に行きました。
私「次回作はあるんでしょうか?」
監督「もう企画があります」
私「あのー、松江監督と不仲なんですか?」
監督「そんなことないですよ。試写会も来てくれたし。まぁ彼がどう思っているのかわかりませんけどね(笑)」
私「次回作、期待しています。頑張ってください!」
と、握手してきました。両手で握手してくれました。その時の監督の笑顔は清々しいものでした。
吹っ切れたのかな?
情熱を感じました。素晴らしい映画だと思います。
お近くで上映されたら見にいくことをお勧めします。
これはドキュメンタリーである最大の恋愛映画です。
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