海洋天堂のレビュー・感想・評価
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親が子どもに遺すもの この映画をみて、たくさんの親と語り合いたい。
お金? 学歴? 生き方? ありのままの自分を受け入れられ、大切にされた記憶…
自閉症スペクトラム障害+知的障害の子を持つ父と子の映画ですが、”障碍者もの”とひとくくりされてしまうにはあまりにも惜しい。
映画の最後のテロップ「平凡にして偉大なるすべての父と母へ捧ぐ」
この映画のテーマはそれに尽きます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『北京ヴァイオリン』の脚本家が、
ご自身の14年間の自閉症施設でのボランティア活動で接している人々の現状を、世の中の人々に理解を深めてほしいという思いから、脚本を書き、監督した映画。
だからか、究極の問題提起をしつつも、ファンタジーと言いたいくらいに、温かさにあふれています。
一つ一つのエピソードを取り上げれば、もっとドラマチックな演出も可能だったでしょうが、あえて?たんたんと綴っていきます。
まるで、音の強弱の変化やいきなり光る等が苦手な自閉症スペクトラム障害の方も鑑賞できるように、こんな演出・映像・音楽 にしたのかと思うほど。
監督が関りを持たれた方々を存じ上げませんが、一つ一つのエピソード、一つ一つのシーンに、実在の”あの人・この人”を思い浮かべてしまうほど。
それゆえか、ラスト、主人公の突飛なアイディアも、素直にすうっと入ってきます。実際にやる人はいないでしょうが、その想いは痛いほどわかります。(ライナスの毛布?)
そんな脚本を読んだジェット・リー氏が、すぐに出演を決め、
彼の呼びかけで、超一流スタッフが集合して、作られた映画。
リー氏はスマトラ地震被災の後、”壱基金”を創立。チャリティ活動に専念した後の、復帰第一作。
しかも、壱基金は、毎年模範プロジェクトを選出しているそうですが、監督がボランティア活動をしていた施設が、偶然にも第1回最優秀団体だったという縁。
大福(ターフー)役のウェン・ジャン氏は、約3か月間、モデルとなった子どもと一緒に食事をし、寝て遊び、水泳をしながら、自閉症に関する約300時間分の映像資料を見たとのこと。さらに大福の全シーンを何回もリハーサルし、大福の動きから反応、台詞の声や語調などを完璧に作り上げたとか。
(パンフレットより)
そんな想いの詰まった映画。
☆ ☆ ☆
丁寧に作られた映画です。 悲しいと言うより切なさに胸がしめつけられ、なのに希望を貰えます。
映像、音楽、演技…穏やかな時間が流れていきます。父の死期は着実に迫り、息子のこれからの生活は?と衝撃的なエピソードで始まり、内容的にもじりじりと焦りを感じさせるのに、一方でじわじわと大きな愛に包まれていきます。眼鏡をかけ背を丸めて繕いものをする父、時にユーモアあふれるエピソード、切ないエピソード。そういう一つ一つのエピソードを丁寧に紡いでいきます。
善意の人々しか出てこないという評もありますが、あの父子と共に生きて、悪意的な事が出来る人がいるのでしょうか?
父・王心誠の、責任を全うしようとする姿勢、周りの人への思いやり、あの笑顔。大福のあの笑顔。つい「一人で頑張らないで。私にできることはない?」と言いたくなってしまいます。尤も気休めだけの言葉をかけるのは、無責任でしかないのだけれど。
そんなことを重々承知している心誠と柴のやりとりを見ていて歯がゆかったし、大人的にはそれしかないよねと涙が出ました。息子・大福のことも含めて受け入れたいと心底思っている柴。それに感づいているにも関わらず、距離を縮められない・かえって拒否するようにふるまう心誠。切ない。好きな人の力になりたいのになれない、見守るだけの柴。頼ってしまえば楽なのに、大福との大変な生活に巻き込みたくなくて、自分の死後の柴を思って、律する心誠。
バスの乗組員が象徴する世間の無理解。
これだけ思いやり溢れている人々に囲まれていてさえ、親が子を残して安心して死ねない社会。
生きていく環境を自分が生きていけるように変えられない大福。環境に合わせられない大福。
自分がいなければ、どうなるのか。切実な想い。
人とまったく関わっていないかのように見える大福。でも、いない鈴鈴を探し求める大福。施設に入った初日、父がいないことで情緒不安定になり自傷する大福。自閉症スペクトラム障害の方にはよくあるエピソード。自分のことを本当に思ってくれている人をしっかり見抜いています。
そんな大福を心配し、心誠が思いついたアイデア・その発想に唸ってしまいました。息子と同じ目線を持っていたこの父ならではのアイデアでしょう。笑わば笑え、と言いたいですが、涙があふれてきました。と同時に明日がキラキラ光って見えます。
☆ ☆ ☆
日本では、
発達障碍者支援法もあり、
東京の特別支援学校高等部では、教員が企業を回って、その方のその特徴を活かした仕事を創出し、卒業した後もフォローし、
ハローワークでも、手帳を持っている人しか使えませんが、ジョブコーチがいて、
就労支援事業所もがんばっていて、
グループホームの試みもあり、
(とは言っても、新設しようとすると、大家が良い顔しないし、近隣の方々からクレームがあったりして、難しいと聞きますし、何より、運営費も難しいという話しを昔ききましたが、今どうなのでしょう)
と、支援者は支援者なりに頑張ってはいます。
パンフレットには、辻正次先生のコメントが寄せられていました。「~行動の仕方のバリエーションの学習が少ないため、パターンを崩されると混乱し、パニックになることもあります。しかし、視点を変えてみれば、通勤や掃除など、一度覚えたことは確実にやるため、安定した生活の中で自分の役割・仕事が見つかると活躍できることも多いものです。~(抜粋)」
私のお気に入りは、古いですが杉山先生の『発達障害の豊かな世界』日本評論社。最近では、本田先生の『自閉症スペクトラムの子のソーシャルスキルを育てる本』講談社とか。
とはいえ、”合理的配慮””個性"「世界に一つだけの花」と言いながら、できるようになるための横並びの教育・躾等で、傷ついて、引きこもりになる子どものなんと多い事でしょう。
就職しても、パワハラ・モラハラ。
その子の特性を大切にして、得意を伸ばすのではなく、”足りない”を責める。令和の合理的配慮ではなく、昭和時代の「障碍者はすべからく、健常者に近づける」やり方。強者の価値観の押し付け。二つ目人間が、一つ目の国に行ったという、落語を知らないか。たまたま、マジョリティにいるから、健常者と言われているだけなのに。
と、そんな不幸とは関係なくとも、
映画でのやり取り:柴が言う。「施設においてくれば、面倒見てくれるわよ」
心誠が返す。「それで、大福は幸せになれるのか?」 (思い出し引用)
大切な人を思う、究極かつ唯一の想い。障碍と言われてしまう特性を含めて、得意・不得意だけでなく、何が心地よくて、幸せで、苦手で、嫌いなのか、世の中に同じ人はいません。
ありのままの息子を、ありのまま受け入れて、大切に接してくれるのか。
制度や施設があるから、救われる人はたくさんいますが、施設や制度があればいいというものでもありません。
柴や水族館館長や、鈴鈴が自分なりのやり方を考え実行したように、何ができるのか、そう考えていけるような余裕を持ちたいと思いました 。
満ち溢れふ愛
満ちている
素晴らしく満ちた溢れてる
静かだけど暗くない
悲しいけど心が温まる
寂しいけど一人じゃない
涙が流れるのに微笑んでしまう
水の中から見える景色は私達から見る風景とは違うのでしょうね
当たり前は一つじゃない いくつもの答えがあるはず
父親役のジェットリー
最後にでる「平凡で偉大な全ての父と母に捧ぐ」にぐっときた。自分は平凡で偉大な親になれているだろうか。子供をもつ親なら是非観て欲しい。あと、ジェットリーの父親役は素晴らしかった。
重いテーマだった。 障害者を持った親の苦労、それがいかほどのものな...
重いテーマだった。
障害者を持った親の苦労、それがいかほどのものなのか。日本では感動的な話として綺麗事に済ませてはいないか?その点、中国の方が現実を見据えている。
王心誠(父親)が素晴らしいのは、自分の死後にも親として責任を持とうとしたこと。果たして現実は?日本では?
周囲の人たちが暖か過ぎます。悪い人がいない。父親の人徳なのでしょう。
この映画、単に泣くだけではなく、しっかり考えなければいけない重厚な作品です。
最後のテロップがまた良かった。
平凡にして偉大なるすべての父と母に捧ぐ
抽象的ではっきりせず地味
総合:60点 ( ストーリー:65点|キャスト:75点|演出:60点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
父親の心配をよそに、何も知らない息子は能天気にいつもどおりの日々を過ごす。もちろん身よりも無く自閉症の息子を1人残すわけにはいかない父親が、息子の将来を思って精一杯のことをしようとするのは理解出来る。しかしこの親子関係の深さが伝わる描写が少なくて、何か父親が1人で頑張っている姿が浮いて見える。それに展開が少なくて退屈する。
後半になると、父親と近所の女性、息子と劇団の女性の絡みが出てきて動きがありまともになってきた。しかし音楽と映像で抽象的に伝えられる愛情や将来についての演出が、やはり中途半端というか観念的すぎてはっきりしない。総じて時間を持て余し気味だった。
一度も敵を殴らず鍛えられた肉体も晒すことなく地味な父親を演じたジェット・リーとその息子、そしてその2人に絡む2人の女性の演技は良かった。ここがこの作品の一番の見所だった。
障害を持つ子の行く末を思う気持ちは、日本も中国も全然変わらないんだ...
障害を持つ子の行く末を思う気持ちは、日本も中国も全然変わらないんだと思った。最後まで命がけで生きることを伝えようとする父の思いが、息子にちゃんと届いていることが伝わる終盤は泣けて仕方ない。
父親役のジェット・リーはアクション俳優とは思えないほどくたびれたお父さんに見えるし、息子役の演技も素晴らしい。ラスト、海亀と泳ぐシーンは本当に美しい。観てよかった。
静かに生と死を受け入れる
末期がんにより余命いくばくもない父親が、自閉症の息子に、文字通りに命がけで生きるすべを教えようとする。
アクションスター、ジェット・リーの抑制された演技が光る。
そしてもう一つこの作品で光るのが躍動的な水中シーンと、抑えた光彩が静かな雰囲気をもたらしているクリストファー・ドイルの撮影。特に冒頭の小舟から飛び込む心中未遂のシークエンスは、その色彩と被写体のとらえ方がキム・ギドクのそれに似ていると感じた。
この物語は確かに父親がいかに息子を案じているのかというところに焦点が結ばれている。しかし、この泳げない父親は何度も泳ぎの得意な息子に命を助けられているのだ。
冒頭の心中が未遂に終わったのは、水中にもかかわらず足に括りつけられた錘をほどいた息子のおかげだ。そのせいで二人の命が助かったのだ。そして、照明設備を点検中のプールに浮いた息子が感電していると早とちりした父親は、自分が泳ぐことも出来ないのにプールに飛び込み、結局は溺れてしまったところを息子に助けられる。
このように、親は自分で思っているほど子供の命や運命をコントロールすることは出来ずに、むしろ子供によって命を長らえたり、運命が変わったりするものなのだ。どのような子供が授かろうとも、それは自分ではどうにもならない運命であり、そのほかの人生は存在しない。親も子も、一度この世に親子として生を受けたからにはその生を全うするしかないのだ。
終盤で父親の口から言及される、この子の母親の死んだ理由はまさに、この生の受け入れを拒否することを示唆している。
父親に思いを寄せる女性とグイ・ルンメイ演じるサーカス団の女の子も静かに自らの運命を受け入れて、強く生きている。だからこそ二人ともさわやかで魅力的なのだ。
ここには「本当の自分探し」はない。自分が今生きている現実の中で、どうしたいのか。何が楽しいのか。何が大切なのか。その問いに正直に答えている人々で紡がれた物語である。
生きていく、それが始まり
温かさでいっぱいになりました。観て良かった、良い映画でした。
衝撃的な場面から始まり、そして何事もなかったように生活する二人。父から生きる術を少しずつ授かって、少しずつ自分のものにする自閉症の息子ターフー。遠くない別れの時に向かって、二人らしくゆっくり歩いていくお話です。
自分の経験に重ね、たまりませんでした。私も子どもをお誘いした事があります、きっぱりお断りされましたけど。普段はオウム返しの返事しかしなかったくせにね、あなどれません。
生きていく、それならどうする、何ができる。それが始まり。本当に力強いストーリーでした。
ジェット・リー演じる父シンチョンの眼差しがとにかく優しくて温かく、一生懸命生きる普通のお父さんを見せてくれました。
他の方のレビューにもありましたが、ターフー役のウェン・ジャン、名演技でした。ゆらめきながらプールに潜るターフーは、本当に気持ち良さそうでした。
ジェット・リーの演技も自然
ひさびさに素直に見られた映画だった。
言ってしまえばオーソドックスなんだけれども、それゆえに優しい。
アクションを完全封印したジェット・リーの演技も自然。ただ、アクションを封じたゆえに気がついたのは、リー・リンチェイも年をとったなぁ…ということ(当たり前だが)。あるいはそういう風にみせられる演技力のたまものかもしれない。
ちょっと残念だったのは、クリストファー・ドイルの撮影ときいて期待していた映像面。思いのほか普通だった。海や水族館など、水が映えるシーンがいっぱいあったのに、そこまでハッとさせられるものがなかったかなぁ…。
でも、優しくなれるいい作品です。
ジェット・リーが映画の原点を見せてくれた
久々のアジア映画。もちろん今年はこれが初めて。
注目は、なんといってもアクションを完全封印したジェット・リー。
こんなに優しい目をしていたんだと驚かされる。
自閉症の息子を持つ父親が、周りの人々に助けられながら暮らしている。
せっかく今の中国の一般的な生活を垣間見ることができるのに、機材のせいなのかプリントのせいか映像にまるで色彩感がない。
通りに面したチャイの店と、裏庭を挟んでワンの家がある臨場感や生活感といったものが、色彩の欠如で半減してしまったのがもったいない。水族館も同様だ。しっかり色彩があったら、ワン一家を見守ってくれる人々の温かみがもっと伝わってきただろう。
その裏庭を挟んでのワンとチャイの恋愛感情は、一定の距離を持った抑えたものだが、昔の日本映画もこんなだったよなと、なんか懐かしい思いを抱いて見入る。日本ではいつのまにか西洋文化が入り込み、映画に於ける愛情表現もストレート且つ大胆になって、ワンとチャイがベンチに腰掛けて互いの気持ちを打ち明けるシーンは却って新鮮だ。
ワンが自閉症のターフ-のために残された時間をすべて注ぎ込み、自分がいなくなっても生活できるよう知恵を授けていく姿に、館内のあちこちからすすり泣きが起きる。
さらに、いなくなってしまった自分をターフーが探すことがないよう、先を見越した策を講じる姿に父の息子に対する深い愛情を感じる。
ワンが亡くなったあとのターフ-の行動が感動的。
とくに、最初から出てくる犬のぬいぐるみの扱いがいい。オーソドックスな手法ながら感動と涙を誘う演出だ。
CGもワイヤーアクションもなしで、ジェット・リーが映画の原点を見せてくれる。
ターフーを演じたウェン・ジャンも上手い。
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