「長澤まさみ最強説の証明と覚醒」モテキ 全竜さんの映画レビュー(感想・評価)
長澤まさみ最強説の証明と覚醒
長澤まさみ&森山未來は、かの名作『世界の中心で、愛をさけぶ』以来8年振りのコンビ再結成となる。
故に、森山があの娘とあんなチョメチョメしたり、こんなチョメチョメしたりとフシダラな了見に明け暮れる、
謂わば、
『妄想の中心でヤリたい!と叫ぶ』
みたいな、どうせ茶番やろと、タカをくくっていた。
その反動か、意外と中味はドロドロ重い恋愛模様で驚いた。
かといって、茶番には変わりないのだが…。
面白いっちゃあ面白いけど、わざわざ映画化するほどじゃあないね。
胸中をカラオケビデオで表現したり、いちいちツッコミ入れたりする賑やかさは、好きな方のテイストやけど、銭払ってまで味わいたいか?は微妙な料理である。
ケンタッキーのフライドポテトみたいな感じやと例えれば、お解りいただけるだろうか?
そこまでヒドくないか。
COCO'Sのハンバーグぐらいかな。
そんな変わりゃしないか…(笑)
異性から次々とアプローチされては、調子に乗っていく森山未來に対し、嫉妬とか羨望etc.云々を抱く以前に男として、何故か無性に恥ずかしくなった。
8年前、セカチューで「助けてください!」と絶叫する場面より恥ずかしさを覚えたのだ。
ただ単に私がオッサンと化した証拠なのだろうか…。
むしろテキトーな上司役のリリー・フランキーの方に共感を得た。
せやから、やっぱり、オッサン化の症状なんやろね。
神輿は独りじゃ担げないし、乗れやしない。
そんな重さがクライマックスに向かうに連れて、ジワジワと支配していく。
罪な映画だ。
っていうか、麻生久美子をフった時点で、森山は即、死刑である。
勿体無い!!
etc.etc.彼の優柔不断な焦れったさに対する憤りが、そのまま恋愛下手の自分自身にダイレクトに跳ね返ってくる。
終始、無性に恥ずかしかったのは、そのためなのかもしれない。
それにしても、セカチューからもう8年かぁ…。
一番成長してないのは、己自身やな…と痛感したところで、最後に短歌を一首
『つぶやけば 疼くざわめき 乱れ抱き 去りてから知る 神輿の重さ』
by全竜