サラの鍵のレビュー・感想・評価
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ナチス·ドイツ占領下のフランス 1942年7月16,17日に行われ...
ナチス·ドイツ占領下のフランス
1942年7月16,17日に行われた
フランス警察によるユダヤ人一斉検挙
ヴェロドローム·ディヴェール(ヴェルディヴ)事件
10歳の少女サラ・スタルジンスキは
弟のミシェルを納戸に隠し鍵をかけた🗝
2009年
パリでフランシスの夫と娘と暮らす
アメリカ人ジャーナリスト ジュリアは
ヴェルディヴの記事を書くになる
取材してるうち
義親から譲り受けた家は
かつてサラが住んでいたことを知る
1942年と2009年
サラの足跡を辿り
サラの家族、ジュリアの家族
過去と現在を交互に描かれながら
交差する家族との関わりをひもとく
.
「現代の視線では、今を生きている私たちがホロコーストについて考え、そして昔を知ることが重要です。過去の視線では、急いで生きている現代人に対して、過去のことは将来に何らかの影響を与えるのだ、どんな些細なことでも未来の世界に通じている。 ───ジル·パケ=ブランネール監督」
「真実が知りたかった」
「真実を知るには代償が伴う」
「他人の人生に干渉し、過去を掘り返し、批判する。私は何様?何て自分は傲慢なのか…」
ジャーナリストのジュリアの言葉
知らなくてもいい事もあるけど
知って救われた人々がいる
過酷で辛く悲しいお話だけど
人の優しさと温もりも感じられる作品
1942年7月におきたこの事実
81年後に初めて知りました
理解には程遠いけど
でもまずは事実を知ること
1995年フランス政府(シラク大統領)は
事件への責任を認めた
2007年に発表された
タチアナ·ド·ロネの同名小説を映画化
ジュリアの娘のサラが生きる時代は平和であって欲しいと願わずには…
少し前、ナチス関連の映画を紹介する本で、
この作品のことを知ったが、
キネマ旬報で第38位との評価には
納得出来ない素晴らしい感動作だった。
中盤まで、なかなかそれぞれの登場人物の
関係が分からず、理解に苦労したが、
徐々に「ソフィーの選択」に似た匂いが
感じられてきて、
弟を死に至らせた十字架を背負い続けた
女性と、
彼女に関わりのあった沢山の人々の人生模様
が見えてきた。
中盤以降は、彼女の周辺に登場してくる
心優しい人々に護られながらも、
トラウマに支配され続けたサラの人生を
推理劇のように徐々に解き明かす演出に
引き込まれると共に、
その影響を受けたジュリアが、
夫に反対されながらも出産を決意する心の
変遷にも感動を覚えた。
そして、出産後のジュリアが
「娘の名前はサラ」と、
サラの息子に告げた場面では
涙をこらえられなかっただけにとどまらず、
このシーンを思い出して
こうして投稿文を書いているだけでも
更なる涙が溢れてきた。
窓の外を見つめる娘の
後ろ姿のラストシーンに、
ジュリアの娘のサラが生きる時代は
平和であって欲しいと
願わずにはいられなかった。
4/19・24と2度の再鑑賞。
それまで、同じ作品を二日連続で
劇場鑑賞したことはあったが、
ビデオレンタル期間内とはいえ、
1週間で同じ作品を3度観たのは初めて。
そして、その度に号泣してしまった。
ジュリアの出産への思索の変遷には
やや不充分さを感じるものの、
“全ての希望は真実の上にあるべき”との
テーマ性が私の心をわしづかみする
見事な演出には、
評価を満点するしかないと
🌟5つに変更させて頂きました。
心は張り裂けた
とにかく悲しい。戦争のために家族を失い、孤独なまま大人になったサラ。心がずっと穴の空いた状態で、優しさや穏やかさを感じても、彼女の中に留まらず、みんな落ちていってしまう、のかもしれない。自分がもし彼女と同じ立場になったら、果たして正気でいられるだろうか。人の一生に起こる、いくつもの「If」。いつどこで、どのような形で現れるのか、誰にもわからない…。
BS松竹東急の放送を鑑賞。
原題は、フランス語で、「彼女の名前はサラ」なのですが・・・。 ラス...
原題は、フランス語で、「彼女の名前はサラ」なのですが・・・。
ラストの会話。
What her name?
Sarah・・・。
で、涙腺崩壊。
永久保存版🙆♂️
重厚な映画でしっかり作り込まれている。フランスでもユダヤ人の迫害が行われていたのはあまり知られていない。ヒトラー率いるナチスドイツが、フランスを完全征服していた当時の貴重な話。サラというユダヤ人女性の壮絶な生き様に圧倒された。
かなり前に
見たけれど衝撃的な作品。久しぶりに再度みた。弟を納戸に入れたまま、ドイツ人に捕まり収容所へ。弟を助けるため必死に脱送し。。。現代のジャーナリストが絡み進んでいく映画は見応え充分だけど、とても重い感情に揺さぶられる。
ラストは感情移入で思わず涙、ホロコーストにより何世代の家族が苦しんでる現実に、目を背けてはならない。歴史が繰り返えさぬ様、努めるのが今生きてる私達の勤めか。
Amazonで百円、重いテーマだけど。
ナチ政権下のフランスの失政を描いてます。
フランスの失政を認めたのはわりと最近のこと。
現代に生きる女性ジャーナリストの目を通して、
真実の尊さを訴えかけてきます。
二度と起こしたくない迫害の歴史ですが、
まだ世界中、至る所で起きているかと思うと暗くなります。
【ヴェルディヴ事件を経験したユダヤ人少女サラの悲痛な慟哭は、時を超え、新たな命を産み出した。感涙作。】
物語は、1942年のフランスで起きたフランス警察によるユダヤ人一斉検挙、世にいう”ヴェルディヴ事件”とその際に起きた幼きユダヤ人姉弟サラ(メリジェーヌ・マヤンヌ:幼き名優)とミシェルの悲劇。
そして、その60数年後、アメリカ人ジャーナリスト、ジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)とフランス人の夫ベルトラン(フレデリック・ピエロ)と一人娘ゾーイが夫の祖母マメから譲り受けたパリのマリ地区のアパートを観に行くという一見、全く繋がりのないシーンから始まる。
1942年、サラはフランス警察から両親と共に連行される。怖がる弟のミシェルを秘密の納戸に隠し、”鍵”を掛けて・・。彼らが連れていかれたのは、屋内競輪場”ヴェルディヴ”。
余りの環境の酷さに収容されたユダヤ人たちは疲弊し、一人の夫人が上段客席から飛び降りたほどである。
(ここで起きた悲劇に対して、故、シラク大統領が演説でホロコーストにおけるフランス国家の責任を承認し、フランス人には”時効のない負債がある”事を語った事は記憶にある。)
但し、今作ではフランス人もユダヤ人への弾圧を見て見ぬふりをする人ばかりではなく、収容所から逃げるサラたちさり気無く手助けする警吏や、不愛想だが匿うお爺さん(ニエル・アレストリュプ)も描かれている・・。
2009年、ジュリアは担当雑誌の特集で”ヴェルディヴ事件”を担当することになり、当時の状況を調べ始めるうちに、”夫の祖母マメから譲り受けたパリのマリ地区のアパート”について、疑問を持ち始める。
今作は、ここから一気に60年の時空を超えて動き出す。
[過去パート]
・ユダヤ人姉弟サラとミシェルの辿った悲劇。取り分け、過酷な状況の中、弟の身を案じ納戸の”鍵”を肌身離さず持つサラの健気な姿が観ていて辛い。そして、あの悲痛なシーン・・。
[現代パート]
・ジュリアがホロコースト記念館を訪れ、核心に迫っていくシーンやそれを快く思わない夫及び親族との溝が広がっていく。ベルトランはジュリアの体内に宿った命にも拒絶感を示す。(心中で、ベルトランに激しく毒づいた覚えがある・・。)
・サラの親族もジュリアに対しての対応は冷たく、真実を曝す事を良しとしない。
<事実を”知ってしまった”ジュリアが、その事実から目を背ける事無く覚悟を持って、新しい土地で新しい命を生むことを選択する姿に深い感動を覚えた作品。その新しい命に付けられた名前にも涙した。>
<2012年6月30日 劇場にて鑑賞>
女性ジャーナリストが、サラという女性の人生を追う物語。 ホロコース...
女性ジャーナリストが、サラという女性の人生を追う物語。
ホロコーストから逃れたサラの過酷な人生は、救いのないものであった。
でもラストは、ほんの少し救いだったのかな?
ホロコーストを背負った少女の悲しい歴史が、世界の何処か泣き叫ぶ
ドイツ軍がパリに無血入城して2年。
1942年頃のフランス官憲を利用した過酷なユダヤ狩りの恐怖を、強い意志を持ったカメラが、怯える群衆の俯瞰図を通して虐待の悲惨を浮き彫りにして行く。
一家が自宅から連行される時に弟を置き去りにした自責の念にかられる少女サラが、収容所から逃げるシーンのなんと美しいことか。
ホロコーストを背負った少女の悲しい歴史が、世界の何処かで静かに泣き叫びながら過ぎて行くのを感じる。
ストーリー展開に、女性ジャーナリストの私生活を絡ませたのが映画の巾を広げ、登場人物に深く思いを馳せる結果となった。
サラの鍵
「黄色い星の子供たち」と同じ題材を扱っているが、アプローチが全く違う。どっちも良さはあると思うが、この作品の方がより映画的である。C.S.トーマスの魅力、ラストシーンの秀逸さ。美しい。上手い。泣ける。
サラの過酷な人生を想う。
サラという名はまず「ターミネイター」のサラ・コナー、次に「ロスト・ワールド ジュラシック・パークⅡ」のサラ・ハーディングが思い出される。奇しくも二作ともSF映画だが、実際に起こったベルディヴ事件を基にしたこの映画のサラ・スタルジンスキーも忘れ難い名となった。一番幼い彼女が一番つらい目に遭っているとは・・・ 映画は弟トマはどうなったのか、サラはその後どうしたのかという興味でぐいぐい引っ張っていった。2時間半近い長さにもかかわらず、少しも長さを感じさせなかった。それを追うジャーナリストのジュリア自身も大事な決断を迫られており、その決断の行方も気になった。ぶれないジュリアをクリスティン・スコット・トーマスが落ち着いた安定感ある演技で演じ、すばらしかった。少しずつ明らかになる真実に私がとてもうれしくなった点がある。体制側にも良い人はいたのだということ。「戦場のピアニスト」でも描かれていたが、占領された側にも悪い人はいたし、占領した側にも良い人もいたのだということ。全員が全員ヒトラーの手先になっていたわけではないのだ。たとえ大きな体制を覆すことができなくても、小さいことかもしれないが、自分たちのできることをしようとした人たちがいたということが、この悲惨な映画を救ってくれていると思う。そして、私もできれば、そういう立場になった時、そうありたいと願わずにはいられなかった。この映画を良き手本として・・・
60年前の呪縛から開放されるとき
見る前は、成長したサラと弟が再会してよかったねで終わる話かと思っていたら、そんな甘い話ではないことを思い知る。
本作よりも少し前、「黄色い星の子供たち」という作品が公開された。この作品も、ナチス占領下のフランスでユダヤ人約1万3000人が味方だと思っていたフランスの警察に検挙され、ドイツの強制収容所に送られた1942年7月16日のヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件の悲惨さを描いている。
ただ、本作ではヴェロディヴ事件はあくまできっかけであって、10歳の少女サラが背負ってしまった十字架の重みと、サラと弟のその後を追い求める女性ジャーナリストを並行して描くことにより、ミステリーを紐解くような語り口で60年経った今も癒えない戦争がもたらした深い傷を浮き彫りにしていく。
誰かの手で納戸から抜け出すことができなければ弟がどうなるかは想像できる。捕らえられてから何ヶ月も経っているが、なんとしても自宅に戻って鍵を開けてあげなければというサラの想いが痛々しい。
もし弟が抜け出して何処かで生きていればいれば、サラの危険な行動は無駄になる。
重ね着した服を脱いでも脱いでも下から出てくる胸には黄色い星がついている。ユダヤ人であることを覆い隠せない小さな体に、幼い弟をひとり置いて来てしまった悔恨が重くのしかかる。
アメリカ人の女性ジャーナリスト、ジュリアは家庭の問題を抱えながらも偶然に知ったサラとその家族のその後を調査することにのめり込んでいく。調査はむしろ「暴く」行為にもなりかねない。60年前の呪縛が現代を生きる人間をも巻き込んでいく。それは戦争という人間の行為が残した傷跡の大きさを物語る。
それだけにラストの始末に、なにかホッとするものがある。人は過去から何かを引き継ぐのだという思いからくる感情かもしれない。
現代人の行動が変
戦争中のサラちゃんの場面は非常に切実で面白かったのだが、現代人パートは行動に不自然なところが多くて違和感ばかりを覚えた。
・自分のアパートが元々ユダヤ人が暮らしていたからと言っても別に奪い取ったわけでもなく、死体があったらそれは縁起が悪いけど、でも一家の恥とか極秘にするほどのものか。
・それを原因にアパートを売るのが極端。
・ジャーナリストの女がイタリアまでわざわざ尋ねていったのにユダヤ人の話が出た途端無視する息子、あまりに冷たくないか。どんな変な話でも外国から訪ねて来てくれた人の話を聴くくらいの寛容さは普通あるだろう。
・しかしその際、女は批判的に臨んでいた意図が分からない。サラについて聴きたかったのではないのか。それなら「どんなお母さんでしたか?」とまず聴いて流れで秘密の話になるのなら理解できる。
・介護を必要としていたサラの夫が、てっきりもう呆けているのかと思ったら随分しっかりしていた。あのくらいなら外国から来たジャーナリストに話くらいさせてもいいんじゃないか。
と言った具合で、現代パートは物語の進行の都合で人々を雑に扱っている感じがとてもした。
物語の山場はサラちゃんが弟を発見する場面だったため、その後の時間はけっこう退屈だった。しかし、サラちゃんの演技がすばらしく、魅力的だったので大人になって別の人になってしまったのも残念だった。
サラの関係者が思わず涙ぐむラストのワンシーンが感動的。そこ1点のためにあるような作品。
ミッション:インポッシブルのプレミアム試写会を飛ばしてまで、こちらを選んだくらい生き込んで出かけた試写会となりました。サラの関係者が思わず涙ぐむラストのワンシーンが感動的で、納得の一本となりました。全ては、そのシーンのために組み立てられたような作品なのです。
ユダヤ人収容所を描いた作品で子供が主人公のものでは、「縞模様のパジャマの少年」が名作としてお奨めです。同作も含めて収容所モノは、収容されてガス室に送られるところで終わりを迎えるのが普通でしょう。しかし、本作では主人公のサラが収容所を逃亡したあとが長く語れるところが違っています。
またサラの逃亡後の行方を、現代の視点でストーリーテラーとなって追いかけていく女性記者ジュリアの物語にもなっているところが、他の単なる収容所モノと大きく異なるところです。
ジュリアが高齢出産を決意するまでの現代の話とサラのその後が巧みにリンクしているところがよかったです。サラが収容所に行き着くまでは、とても重く、心が痛む映像が続きます。しかし、時々現代にスイッチすることで、いい息抜きとなっていました。現代と大戦当時のスイッチの仕方がいいバランスなんですね。
サラの悲劇を知ったジュリアがいのちの尊さを強く感じて、夫の反対を押し切って、高齢出産に望むストーリーは、同じような悩みを持っている女性にとって救いとなるストーリーではないかと思います。産もうか降ろすか悩んでいる人が居たら、勇気と愛情がこみ上げてくる作品なので、ぜひ鑑賞をお勧めします。
さて、舞台は1942年、ナチス占領下のパリで起きたユダヤ人迫害事件。なぜナチでなくフランス警察がユダヤ人を率先して検挙したのか、本作を見るまでは半信半疑でした。でも、捕まったユダヤ人に罵声を浴びせる市中のフランス人を見せつけられて、相当にユダヤ人に対して、経済的な嫉妬心を持っていたことが理解できました。それで当時のフランス人は、ユダヤ人のジェノサイドを支持したようなのです。
けれども収容されたサラが逃走するとき恩情で見逃す青年将校や、サラを匿う農夫一家の存在にフランス人に人権擁護の善意は失せていないことも感じました。フランス人のユダヤ人に対する複雑な思いは後に迫害への加担を認めた大統領演説で落着します。でも今なおフランス国民の心の傷は癒えることがないようです。
但しストーリーは、現代でジュリアがユダヤ人迫害事件を特集企画して、当時の遺構を取材して廻るところから始まります。その取材過程で、ジュリアはサラというユダヤ人女性の存在を知ることになるのです。
2人の接点はパリのアパート。ジュリアのフランス人の夫が祖母から譲り受けた部屋のかつての住人はユダヤ人家族だったことが偶然わかるのです。一斉検挙の際、姉のサラはとっさに弟を納戸に隠しその鍵を握りしめたまま収容所へ。そして現代。ジュリアはその後のサラと弟の足跡を克明に追うことになります。
ジュリアの取材が進むごとに、サラの消息が明かになっていきました。
ジュリアがとりつかれたように、サラの消息の確認にのめり込んでいったのは、その「真実の追求」がフランス国民の共通の心の傷に迫ることに繋がるからだったのでしょう。そして、次第にサラの気持ちに同化していったジュリアは、弟の足跡を確かめずに居られなくなったのです。
けれども、その謎の当事者として夫の実家が、連行されたサラの一家の部屋にその後引っ越した事実を掴んだジュリアは、夫の親族に対する疑惑の眼差しを向けてしまいます。
真実の追求は常に苦痛と恐怖を伴うもの。でも、ジュリアにとって歴史の中に真実を葬り去るわけにはいかなかったのです。それがたとえ夫婦関係が破綻を招こうとも本当のことを知ろうと、夫の実家に体当たりしていきます。
一方、弟を置き去りにしたサラの罪深い思いには、驚かせられました。ジュリアがやっとの思いで出会うサラの息子は、自分がユダヤ人の息子であることすら知らさせていないほど、かつての迫害を警戒していたようです。警戒心と贖罪の思いゆえに、 母の愛を感じずに育ってしまった息子が、真実を知ったときの驚きようが感動的でした。必至に守ろうとしたことがわかったのですね。
しかし、贖罪の思いはサラを悲劇的結末に追いやります。しかし、ここで描かれるのはユダヤ人女性の悲運な生涯だけではなかったのでした。たとえサラが死を迎えようとも、命というものは形を変えて連綿と続いていくことになるのです。ジュリアがどんな形でそれを受け止めて、いのちを紡いでいこうとしたのか。ちょっとフェイントを効かした小憎い演出が、感動のラストに繋がります。
その命の連鎖、生命の尊厳こそサラが我々に遺のこしたメッセージではないでしょうか。
この手の作品としては、映像も暗くならずなかなか綺麗でした。
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