サラの鍵のレビュー・感想・評価
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サラが鍵をかけたものは
ホロコースト関連の映画は沢山あるが近年は少々変化球気味の作品も増えた。本作もまた、そんな変化球作品だ。
ストーリーはサラを中心とした過去パートとジュリアを中心とした現代パートで構成される。
過去と現代を交互に描きながら焦点が、連行されるサラとサラの両親、納戸に閉じ込められた弟、ジュリアの妊娠、サラのその後、と変化していき、その都度面白いのだが、全体のまとまりは少々薄い。
特に軸となる最終的なメッセージがあやふやで、とらえたいように解釈できる良さはあるけれど、ただ事実だけを伝える主張のないニュース映像を観たような印象だ。
とりあえず、過去と現代があまり繋がらないことに大きな問題を感じる。
それでも、サラというキャラクターだけを見た場合、非常に興味深いものもある。
時代のうねりに飲み込まれ彼女の身近にいくつかの死があり、それはサラの非力さのせいなのかもしれないが、少なくとも彼女の過ちのせいではない。
当然、サラを責めるものはいないが、サラ本人にとってはどうだ?。あの時ああしていればあの人は死ななかった。こうしていれば死ななかったかもしれない。と、後悔を募らせる。
その後悔は次第に罪の意識として蓄積していき、サラの心を蝕んでいく。
そして、ユダヤ人であるために自らが受けた恐怖と合わさり、どれほどサラに見えない重圧としてのしかかっただろうか。
過去の出来事に対して乗り越えるべきなのかフタをするべきなのか私にはわからないが、作中で二度ほど、過去をほじくり返すな、というようなセリフが出てくるし、サラは自分の心に鍵をかけた。
少なくともフタをするかどうかの判断は本人に委ねられるべきで、他者が安易に触れていいものではないと、善意を装った第二の迫害はあるのではないかと言っているように思えた。
しかし、残された鍵で自らの扉を開けることは自由だ。
ナチス·ドイツ占領下のフランス 1942年7月16,17日に行われ...
ナチス·ドイツ占領下のフランス 1942年7月16,17日に行われた フランス警察によるユダヤ人一斉検挙 ヴェロドローム·ディヴェール(ヴェルディヴ)事件 10歳の少女サラ・スタルジンスキは 弟のミシェルを納戸に隠し鍵をかけた🗝 2009年 パリでフランシスの夫と娘と暮らす アメリカ人ジャーナリスト ジュリアは ヴェルディヴの記事を書くになる 取材してるうち 義親から譲り受けた家は かつてサラが住んでいたことを知る 1942年と2009年 サラの足跡を辿り サラの家族、ジュリアの家族 過去と現在を交互に描かれながら 交差する家族との関わりをひもとく . 「現代の視線では、今を生きている私たちがホロコーストについて考え、そして昔を知ることが重要です。過去の視線では、急いで生きている現代人に対して、過去のことは将来に何らかの影響を与えるのだ、どんな些細なことでも未来の世界に通じている。 ───ジル·パケ=ブランネール監督」 「真実が知りたかった」 「真実を知るには代償が伴う」 「他人の人生に干渉し、過去を掘り返し、批判する。私は何様?何て自分は傲慢なのか…」 ジャーナリストのジュリアの言葉 知らなくてもいい事もあるけど 知って救われた人々がいる 過酷で辛く悲しいお話だけど 人の優しさと温もりも感じられる作品 1942年7月におきたこの事実 81年後に初めて知りました 理解には程遠いけど でもまずは事実を知ること 1995年フランス政府(シラク大統領)は 事件への責任を認めた 2007年に発表された タチアナ·ド·ロネの同名小説を映画化
ジュリアの娘のサラが生きる時代は平和であって欲しいと願わずには…
少し前、ナチス関連の映画を紹介する本で、 この作品のことを知ったが、 キネマ旬報で第38位との評価には 納得出来ない素晴らしい感動作だった。 中盤まで、なかなかそれぞれの登場人物の 関係が分からず、理解に苦労したが、 徐々に「ソフィーの選択」に似た匂いが 感じられてきて、 弟を死に至らせた十字架を背負い続けた 女性と、 彼女に関わりのあった沢山の人々の人生模様 が見えてきた。 中盤以降は、彼女の周辺に登場してくる 心優しい人々に護られながらも、 トラウマに支配され続けたサラの人生を 推理劇のように徐々に解き明かす演出に 引き込まれると共に、 その影響を受けたジュリアが、 夫に反対されながらも出産を決意する心の 変遷にも感動を覚えた。 そして、出産後のジュリアが 「娘の名前はサラ」と、 サラの息子に告げた場面では 涙をこらえられなかっただけにとどまらず、 このシーンを思い出して こうして投稿文を書いているだけでも 更なる涙が溢れてきた。 窓の外を見つめる娘の 後ろ姿のラストシーンに、 ジュリアの娘のサラが生きる時代は 平和であって欲しいと 願わずにはいられなかった。 4/19・24と2度の再鑑賞。 それまで、同じ作品を二日連続で 劇場鑑賞したことはあったが、 ビデオレンタル期間内とはいえ、 1週間で同じ作品を3度観たのは初めて。 そして、その度に号泣してしまった。 ジュリアの出産への思索の変遷には やや不充分さを感じるものの、 “全ての希望は真実の上にあるべき”との テーマ性が私の心をわしづかみする 見事な演出には、 評価を満点するしかないと 🌟5つに変更させて頂きました。
心は張り裂けた
とにかく悲しい。戦争のために家族を失い、孤独なまま大人になったサラ。心がずっと穴の空いた状態で、優しさや穏やかさを感じても、彼女の中に留まらず、みんな落ちていってしまう、のかもしれない。自分がもし彼女と同じ立場になったら、果たして正気でいられるだろうか。人の一生に起こる、いくつもの「If」。いつどこで、どのような形で現れるのか、誰にもわからない…。 BS松竹東急の放送を鑑賞。
原題は、フランス語で、「彼女の名前はサラ」なのですが・・・。 ラス...
原題は、フランス語で、「彼女の名前はサラ」なのですが・・・。 ラストの会話。 What her name? Sarah・・・。 で、涙腺崩壊。
自身を責め続けたサラ
ヴェルディヴ事件について調査を始めたジャーナリストのジュリア( クリスティン・スコット・トーマス )が、少女サラ( メリュシーヌ・マイヤンス )とその家族の存在を知り、消息を辿るが…。
パリでもこのように残酷な事が行われていたとは。
サラが思わず悲鳴を上げるシーンが痛ましい。
弟を助ける為に必死で生き延びたサラでしたが、自分だけが幸せな人生を送っている事に耐えられなかったのかも知れません。
-事実を知るには代償が要る
BS松竹東急を録画にて鑑賞 (字幕版)
永久保存版🙆♂️
重厚な映画でしっかり作り込まれている。フランスでもユダヤ人の迫害が行われていたのはあまり知られていない。ヒトラー率いるナチスドイツが、フランスを完全征服していた当時の貴重な話。サラというユダヤ人女性の壮絶な生き様に圧倒された。
かなり前に
見たけれど衝撃的な作品。久しぶりに再度みた。弟を納戸に入れたまま、ドイツ人に捕まり収容所へ。弟を助けるため必死に脱送し。。。現代のジャーナリストが絡み進んでいく映画は見応え充分だけど、とても重い感情に揺さぶられる。 ラストは感情移入で思わず涙、ホロコーストにより何世代の家族が苦しんでる現実に、目を背けてはならない。歴史が繰り返えさぬ様、努めるのが今生きてる私達の勤めか。 Amazonで百円、重いテーマだけど。
反戦映画ではない。反体制映画と言うべきだ。
カソリック故に、フランス人の多くはユダヤ人を差別していた。映画の中で、フランス人は『知らなかった』と話を進めるが、知らないわけがない。ペタン元帥のヴィシー政権。
兎に角、話が長すぎる。主人公とサラの関係も何もなし。何をこだわっているのだろう。
原作だけが面白い。このくらい複雑になれば、文書での説明がないと、理解しがたい。一人アメリカに何故渡り、アメリカで一人なぜ死んでしまったか?原作を読めば分かるが、映画では、説明していない。ネタバレだ。
『ヴィル』と言う映画を見て、この映画を再評価したい。原作とは違うが、反ユダヤ主義を正直に告発していると再認識した。但し、今回は鑑賞していない。2024年7月5日
過去と現代が交互に描かれる。
1942年の7月、パリに住むユダヤ人の家族スタルジンスキは、ヴェロドローム・ディヴェール(ヴェルディヴ、屋内競輪場)一斉検挙の朝、パリ警察に逮捕されるが、サラが気を利かせ弟をクローゼットに隠してしまう。しかし、収容所に入れられると弟が死んでしまうかもしれない・・・誰かに鍵を渡せられれば・・・臨時収容所に入れられ、家族3人がバラバラにさせられたスタルジンスンキ。サラは高熱を出し、3日間うなされていたが、介抱してくれた女の子と一緒に脱走を企てる。パリの警官も悪い人ばかりじゃない。ジャックという警官が鉄条網を開けてくれて、2人は逃げ出したのだ。どうなる?弟のミシェール。かなり時は経っている・・・
現代のジュリア。妊娠について悩みつつも、自分が住む予定となっているアパートにもユダヤ人がいたことがわかる。折しもヴェルディヴについて調べていたところだったので、その部屋にはサラたちスタルジンスキの家族が住んでいたことまで掴んでいたが、両親の死亡は確認されたのに、収容所での死亡者リストにサラとミシェルの姉弟の名前が見つからないのだ。しかし、義父テザックの話を聞いて氷解する。田舎のデュフォール夫妻の親切によってスタルジンスキのアパートに戻ったサラは、大切に持っていた鍵で納戸を開け、弟ミシェルの遺体を発見する・・・これが中盤。
それからはサラの消息を辿るジュリア。秘密主義となったサラはニューヨークへ渡り、幸せな結婚をしていた。早速生まれ故郷でもあるNYに飛んだジュリアは、サラが結婚した相手の家を捜し当てるが、サラは交通事故で60年代に亡くなっていて、再婚もしていた。忘れ形見である息子にもフィレンツェにまで会いに行く。
後半はサラの過去とその後を訪ね歩くといった内容。ホロコーストの悲惨な部分はほんの触り程度なのだが、それでも逃げ出すために病気を装うために口の中を切るアンナという女性の描写が印象的だ。
サラの息子が母親がユダヤ人であることさえ知らないこと。ようやく病床にあった父親が50歳を過ぎている彼にすべてを教えてくれるのだが、歴史を封印してはならないということを静かに訴えてくる。ヴェルディヴ事件という歴史。そして、家族の忘れ去りたい過去においても、世間に訴えるため明らかにすることも大切なのだ
観るのに覚悟が必要な、そして一度観たら忘れられない作品
何度思い返しても、小さな弟を納戸で発見した時のサラの気持ちを思うと胸が締め付けられる。
サラが小さな弟を納戸に隠した時の気持ち、強制連行された後に弟が心配でたまらない気持ち、そして納戸で変わり果てた姿の弟を発見した時の気持ち。
そして、待望の妊娠が分かると同時に、自分の義父が住んでいたアパートがサラの住んでいたアパートだと、サラが変わり果てた姿の弟を発見したアパートだと知った時のジュリアの気持ち。
それぞれの気持ちが痛いほど伝わってくる、というよりも襲ってくる映画。
自分がサラだったらと思うと、自分だけが幸せに生きていくなんて耐えられない。
そして自分がジュリアだったらと思うと、望んで望んで望んでやっと授かった我が子を中絶なんてできない、ましてやサラの人生を知ってしまった後で、自らが授かった新たな生命を絶つなんて出来るわけがない。
ジュリアが(ジャーナリスト魂からか)過去に起こった惨劇から目を背けることなく、事実が明らかになるまで調べ尽くし、それによってサラの息子にも事実が伝えられ反発されるが、最後にはその事実が受け入れられ、そしてジュリアが連れていた幼子の名前が”サラ”だと分かった瞬間、観ている私たちまで言葉を失う。
そしてそのサラが無邪気に遊んでいる姿に救われる。
観るのに覚悟が必要な、そして一度観たら忘れられない作品だと思う。
ナチ政権下のフランスの失政を描いてます。
フランスの失政を認めたのはわりと最近のこと。 現代に生きる女性ジャーナリストの目を通して、 真実の尊さを訴えかけてきます。 二度と起こしたくない迫害の歴史ですが、 まだ世界中、至る所で起きているかと思うと暗くなります。
【ヴェルディヴ事件を経験したユダヤ人少女サラの悲痛な慟哭は、時を超え、新たな命を産み出した。感涙作。】
物語は、1942年のフランスで起きたフランス警察によるユダヤ人一斉検挙、世にいう”ヴェルディヴ事件”とその際に起きた幼きユダヤ人姉弟サラ(メリジェーヌ・マヤンヌ:幼き名優)とミシェルの悲劇。 そして、その60数年後、アメリカ人ジャーナリスト、ジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)とフランス人の夫ベルトラン(フレデリック・ピエロ)と一人娘ゾーイが夫の祖母マメから譲り受けたパリのマリ地区のアパートを観に行くという一見、全く繋がりのないシーンから始まる。 1942年、サラはフランス警察から両親と共に連行される。怖がる弟のミシェルを秘密の納戸に隠し、”鍵”を掛けて・・。彼らが連れていかれたのは、屋内競輪場”ヴェルディヴ”。 余りの環境の酷さに収容されたユダヤ人たちは疲弊し、一人の夫人が上段客席から飛び降りたほどである。 (ここで起きた悲劇に対して、故、シラク大統領が演説でホロコーストにおけるフランス国家の責任を承認し、フランス人には”時効のない負債がある”事を語った事は記憶にある。) 但し、今作ではフランス人もユダヤ人への弾圧を見て見ぬふりをする人ばかりではなく、収容所から逃げるサラたちさり気無く手助けする警吏や、不愛想だが匿うお爺さん(ニエル・アレストリュプ)も描かれている・・。 2009年、ジュリアは担当雑誌の特集で”ヴェルディヴ事件”を担当することになり、当時の状況を調べ始めるうちに、”夫の祖母マメから譲り受けたパリのマリ地区のアパート”について、疑問を持ち始める。 今作は、ここから一気に60年の時空を超えて動き出す。 [過去パート] ・ユダヤ人姉弟サラとミシェルの辿った悲劇。取り分け、過酷な状況の中、弟の身を案じ納戸の”鍵”を肌身離さず持つサラの健気な姿が観ていて辛い。そして、あの悲痛なシーン・・。 [現代パート] ・ジュリアがホロコースト記念館を訪れ、核心に迫っていくシーンやそれを快く思わない夫及び親族との溝が広がっていく。ベルトランはジュリアの体内に宿った命にも拒絶感を示す。(心中で、ベルトランに激しく毒づいた覚えがある・・。) ・サラの親族もジュリアに対しての対応は冷たく、真実を曝す事を良しとしない。 <事実を”知ってしまった”ジュリアが、その事実から目を背ける事無く覚悟を持って、新しい土地で新しい命を生むことを選択する姿に深い感動を覚えた作品。その新しい命に付けられた名前にも涙した。> <2012年6月30日 劇場にて鑑賞>
女性ジャーナリストが、サラという女性の人生を追う物語。 ホロコース...
女性ジャーナリストが、サラという女性の人生を追う物語。 ホロコーストから逃れたサラの過酷な人生は、救いのないものであった。 でもラストは、ほんの少し救いだったのかな?
良質な反戦映画
第2次世界大戦におけるナチスが行ったユダヤ人ホロコーストを知らない人は居ない。600万人の人命が失われた。実際に体験した世代は、戦後70年経ち、減少してはいるが未だに歴史的証人は存在している。ナチスドイツが人間に、一体何をしたのか、同じ時期に日本軍がどのようにして権力を我が物にしてきたのか、それでどんな歴史的汚点を作って来たのかということを、どんなに語り、表現しても表現したりない。もっと、もっと反省を込めて反戦映画が出て来なければならないと思う。
これはヴェロドローム デイヴェール事件を扱った作品。(RAFLE DU VELODROME D'HIVER)
第2次世界大戦下、ナチスドイツ占領下にあったフランス、パリで1942年7月6日にユダヤ人が大量検挙された事件を言う。ヴィシー フランス政府はナチスの要求するまま、パリとパリ郊外で1万3152人(そのうち4115人は子供)のユダヤ人を警官が検挙した。ヴェロドローム デヴェールというのは、冬季競技場の名前で、検挙されたユダヤ人は、5日間ここに閉じ込められ、屋根のない真夏の競技場で、暑さと食糧、飲料を与えられないまま人々はその後 アウシュビッツなどの東欧各地の収容所に送られた。このような過酷な扱いに、ほとんどの人は生存できなかった。
映画のなかでも、警察に引き立てられた人々が、「どうしてこんなひどいことをするの?私はフランス人よ。あなたも同じフランス人なのに。」とパリ警察に抗議するシーンが出てくる。当時ヨーロッパでユダヤ人が憎まれていたとはいえ、自分たちが自国の警察官によって検挙されてホロコーストに会うなどと、夢にも思っていなかった当時の市民の姿が垣間見られる。この映画は、10歳のサラが、深夜パリ警察に連行されるシーンから始まる。
ストーリーは
1942年7月6日。
深夜、パリ警察が乱暴にドアをたたき、父親の居所を問い正す。10歳のサラは、とっさの機転で、警察は、父親と弟の男だけを連行するのかと思い、弟を子供部屋の戸棚の中に隠し外から鍵をかける。たとえ自分が連行されても取り調べだけで、すぐに家に帰れると思っていた。弟には、どんなことがあってもサラが迎えに来るまで戸棚から出てはいけない、としっかり言い聞かせた。サラと母親は外に出され、別棟に隠れていた父親と共に引き立てられた。両親とサラはジープに乗せられ、競技場に連行され、コンクリートの上で炎天下何日も留め置かれた。その間、弟のことを案じた家族は警官に、弟を見つけて連れてくるように頼み込むが、誰も聴く耳を持たない。サラは熱中症で倒れ、家族はバラバラにされて列車に乗せられ、収容所に向かった。そしてそのまま二度とサラは両親に会うことがなかった。
3日3晩高熱で苦しんだのちサラは意識を取り戻す。弟のことが気になって一時もじっとしていられないサラは、収容所の警備員に鍵を見せて必死で弟を連れてきたいと懇願する。一人の警備員が10歳の子の尋常ではない頼み方に心が傾き、収容所の鉄条網をゆるめてやる。サラは走りに走ってパリをめざす。人家をみつけて家畜小屋で眠っているところを百姓夫婦に助けられる。夫婦には息子が居たが戦場に送られていた。夫婦は、サラを不憫に思い、警察に隠れて危険を承知で自分の娘として育てる。サラのたっての願いで、夫婦はサラを連れて占領下のパリに出かける。もとサラが住んでいたアパートに着いて、サラの持っていた鍵で開けた戸棚には、、、。
2002年ヴェロドロームデヴィエール60年周年記念の5月。
新聞社に勤めるジュリアは、この事件について論評を書くように依頼される。彼女はアメリカ人だが、フランス人の夫との間に14歳の娘がいる。新たに妊娠していることがわかった。家族はパリに居を構えることになり、夫の遠い親戚からパリのアパートを貰い受けたので、改築する予定だ。アパートの寝室には古い大きな戸棚がある。
論評を書くにあたってジュリアは、その古いアパートに戦争時に住んでいたスタルズスキ一家について調べることにする。そこに住んでいたユダヤ人家族は戦時中どんな生活をしていたのか。やがてジュリアは、この家族には2人の子供が居たはずなのに、収容所で死亡した両親の記録があっても、子供達の死亡記録がないことに気がつく。夫の遠い親戚たちや公文書から、家族にいたはずのサラと言う名の子供の足跡をたどる。そしてサラが養父母に大切に育てられ、アメリカに渡り、家庭を持ったことまで調べ上げる。
サラはホロコーストを生き延びてアメリカに渡っていた。ジュリアはその足跡を追って、アメリカに飛ぶ。サラの夫は老体で死の床にいた。サラはその夫との間に息子をもうけていた。息子は幼いうちに母親を亡くしたので、サラのついての記憶がない。
ジュリアはサラの人生を追うことによって、自分の人生がサラの人生の重さに重なって、もうサラを知る前の自分に戻ることが出来なくなっていた。というお話。
才覚ある10歳の娘が最愛の弟を守ろうとして、逆に死なせてしまう。その十字架を背負ったまま戦後まで生き残ったサラが家庭を持ち、息子を育てることになるが、息子が死んだ弟の年に近付くに連れて、原罪意識から逃れられなくなっていく。
哀しい哀しい物語だ。
ホロコーストで殺された600万人の人には、600万のサラのような悲劇的な物語を抱えて死んでいったのだろう。
サラの息子は、かたくなに自分の過去に口を閉ざして、そのまま何も語ることなく亡くなった母親が、ユダヤ人だったことも、ホロコーストの生き残りだったことも知らずに成人していた。彼は母親が残した形見の宝石箱に残された鍵の意味を知らずに、ただそれを思い出として大切に持っていた。
サラの生涯を調べつくしたジュリアは、サラの人生に深くかかわるに連れ、自分が妊娠中であるにも関わらず夫と理解し合うことができなくなり別れて 一人で娘を産む。
ジュリアがサラについてのすべての物語を息子に語り聞かせたあと、息子はふと、ジュリアの赤ちゃんは何という名なの、と尋ねる。何という名前?ジュリアはしばらくためらったあと、サラという名なの。と答える。それを聞いて泣き崩れる息子とジュリアのシーンで映画が終わる。とても心に残るシーンだ。
戦争の激しい暴力にさらされて、奇跡のように生き残った生存者が、戦後しばらくして自ら命を絶った、その胸の内が哀しい。「ソフィーの選択」も同様に戦後を生き続けることができなかった男女のお話だ。人は生き延びさえすれば良いのではない。失ったものが大きすぎる。耐えられるものではない。人はそんなに強い心をもって生まれてくるわけではない。
とても哀しい良質な反戦映画だ。
ホロコーストを背負った少女の悲しい歴史が、世界の何処か泣き叫ぶ
ドイツ軍がパリに無血入城して2年。 1942年頃のフランス官憲を利用した過酷なユダヤ狩りの恐怖を、強い意志を持ったカメラが、怯える群衆の俯瞰図を通して虐待の悲惨を浮き彫りにして行く。 一家が自宅から連行される時に弟を置き去りにした自責の念にかられる少女サラが、収容所から逃げるシーンのなんと美しいことか。 ホロコーストを背負った少女の悲しい歴史が、世界の何処かで静かに泣き叫びながら過ぎて行くのを感じる。 ストーリー展開に、女性ジャーナリストの私生活を絡ませたのが映画の巾を広げ、登場人物に深く思いを馳せる結果となった。
とても
見応えのある作品だった。この歴史的事件をもっともっと詳しく知っていれば、またさらに違った見方ができたかもしれない。 見せ方も素晴らしく、ラストシーンが最高。自然と涙が溢れた。 観て良かったと思える作品!
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