秒速5センチメートル(2007)のレビュー・感想・評価
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1メートル落ちるのに20秒
秒速5センチメートルだと、1メートル進むのに20秒かかる。実際の桜の花弁が落ちるのは秒速1メートル〜2メートルくらいだそうだ。どこから発生した言葉なのかよくわからないけれど、ただ、この言葉は、なんか力強い。もうちょっと考察してみる。
秒速五センチメートルというのは、足のよくないおばあさんが街の中を進む距離か。いや、秒速五センチメートルはほぼ止まっているような感じだ。50センチ進むのに10秒かかるのだから。
新海誠によるアニメーション作品。この作品は、短編三部作で総計一時間ちょっと。ある孤独な少年が小学生から社会人になるまでの12年くらいを途中色々とばしながらもゆっくりゆっくり描く。景色、風景が美しい。日本を紹介するのに、最良の作品ではないか。
誰にも思いあたることではないだろう。転勤族だった父を持つならば理解できる部分は多い。
少年時代の同級生同士の濃厚な初恋。転勤族同士だからこそ分かり合える心理状態というのはある。
「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」に通ずるものはある。
花火がロケットになった。サーフィン好きな女の子がわたしには唯一生命感を感じさせるエピソードに感じられた。
山崎まさよし One more time, One more chanceが、主題曲。
”あるある”がちりばめられたリアルなお話
とにかく背景がリアルで、それぞれのエピソードがあり得る展開で現実の話として受け止められます
希望があると思い高揚、そしてしぼむ
決めればいいだけなのは分かっていても、それほど強くなく決められない。そして落ち込む
そちらこちらに“あるある”がちりばめられていて、当時の自分を思い起こさせられて切なくなる
特に第二話の貴樹はまさに自分で、見ているのがつらかった(メールはなかったけど)
物語自体は台詞そのものよりも登場人物が心情を語るという形で進み、その表現が文学的、哲学的
カット割りも、より遠回しな形で感情表現がされていて観客の想像を膨らませる演出は良いですね
私は恋愛ものではあまり感動出来ないのですが、これはかなりはまりました。
ただ、一歩引いてみると。。
恋愛経験の少ない若い世代(20代くらい)には響く人は少ないかも。
そして“あるある”が全然当てはまらない人が見たらどうなんだろう?
13歳でキスしただけの初恋の人を大人になるまで思い続けられるだろうか?。
かなりレアケースでしょう。それを描きたいのだったらもう少し特徴的なエピソードが欲しかったかな
かつて好きだった異性のことを心の中で美化して持ち続けているというのは誰しも経験のある(50歳過ぎてもありますw)ことなので、その表現ということならこれもあり
ただ、感情の起伏がずっと海の底を漂っているようで、一般受けは厳しいか
忘れじの君へ
 ABCテレビの深夜放送を鑑賞(録画)。
 ノベライズは未読。
 タイトルに強く惹かれました。
 秒速5センチメートルとは、散った桜の花びらが落下する速度であると知った時、なんておしゃれな題名なんだろうと…
 咲き誇った桜が散り、儚いながらも、また来年美しく咲くために、新たな一歩を踏み出すために必要なスピード。
 主人公・貴樹の姿は、「秒速5センチメートル」の速度で落ち続けている最中の花びらなのかも、と思いました。
 時を経て、いろいろなことがあって、別れ別れになって、それぞれの人生を歩み出しても尚、忘れられない初恋の人への想い。あぁ、なんて切ないのだろうか!
 追憶と憧憬に捕らわれ、時間が止まったままの心。貴樹の彷徨が、新海誠監督ならではの流麗な情景描写と繊細な心理描写で描かれていて、心揺さぶられました。
 忘れたくても、忘れられない人がいる。
「あの頃」を思い返してしまう素敵な映画でした。
※修正(2024/02/17)
自分には合わない
多分に刷れてしまったからですかね、!
後悔を心にしまいながらいつまでも引きずって生きて行く人生は理解できない。
単なるコミュ障なだけじゃん。
確かに絵は綺麗だし、最後のエンディングの唄とのマッチングはよかったけど。
青春時代の思い出してくない恥ずかしい思い出を無理矢理に見せられた感じ。
この映画を面白いと思った方は読まないでください。
友人がこの作品を大好きだというので観てみたんですが、なんだこのうんこみたいな映画は、というのが最初の印象でした。とにかく主人公が苛つく。てゆうか登場人物みんなむかつく。映像の綺麗さを凌駕して不快感しか抱かせないストーリー。えー。友人はものすごく高評価してたのに。世間的にも評判は良いし。おそらく今の自分にはこの映画の良さが理解できていないに違いない、と思いこの作品は寝かせておくことにしました。
それが8年ほど前で、5年ほど前に2回目の鑑賞に挑みました。うんこを顔面に投げつけられたような気持ちでした。数年の時を経ても色褪せることのないうんこ感に心が折れそうになりました。そんなはずはないんだけどな、たぶん、今の自分には知りえない深みがこの映画にはあるのだろう。そう思い、また寝かせておくことにしました。
そして君の名は。が空前絶後の、超絶怒涛の大ヒットとなり、DVD化されてから君の名は。を観ました。なるほどー、前前前世だなー、と思いました。君の名は。に対しては別に文句を言うつもりもないので、感想としては、なんでもないや、って感じです。
その後、3度目の秒速五センチメートルへの挑戦。観終わった直後、自分は確信しました。
なるほど、この監督には才能がない、って。
映画監督としての演出の腕とか見せ方の技術とかではありません。ただ、センスがない。おもしろくない。おもしろいことを考える才能が欠如している。この人は、自分がおもしろいと思うストーリーを書かないほうがいい、自分の主張なんかせず、みんながおもしろいと思うストーリーを書くべきだ、と思いました。
まあ、本人もそれをわかっているから君の名は。のような万人受けストーリーで勝負したんでしょうけれど。そしてそれが大ヒットしたんですから、やっぱり監督としてはすごく優秀なんだと思います。
濃厚でした
なんとなく噂に聞いてましたが勝手に大人の恋物語かと思っていたので、冒頭で小学生が現れたのは驚きでした。
もう10年前の作品だけど光や色彩の使い方が素敵でとても綺麗なアニメーションでした。
子供から大人への成長を短編三部作した構成も面白かったですね。
第一話は、幼さと少し成長した淡い恋心のまどろっこしさと、それでもこの荒さがいいんだよねってまさに青春って感じでした。
これはいつの時代なんだろう?
スマフォの便利さが再確認できると共に、便利になった世の中ではこういう情緒は薄れていくんだろうなとも思いました。
遠い未来ではこんな時代だった頃も忘れられて
「なんでこの人達スマフォ使ってないの?」
なんてやりとりがされるんだろうな、、、
自分の青春時代に情緒を感じるとは歳をとったものだ。
第二話。
女の子の切ない片想いがいいですね、これまた青春って感じです。
メールの宛先は明里かと思ってたけど宛先のないメールとは、、、一話で一緒に居られないと言ってたけどそういう事なんだろうか?
この島は原付通学が普通なのかな?
第三話。
ほぼ歌だけだったけど伝わるものはあった、泣けてきました。
全編通しても短い作品でしたが中身は濃くいい物語でした。
リアリティのあるストーリー、ただそれだけ
良し悪しは置いといて、とてもリアルな映画だと思います。
主人公とヒロインふたりの恋心はとてもリアル。
両思いなんだけど、小学生じゃそれを伝えて結ばれるなんてできませんものね(現代の子供は知りません)
結局結ばれずに離れ離れになるのがリアル。互いに想ってはいるのに気持ちを伝えることもできず、時とともにふたりの関係も流れてしまう点もリアル。
思春期の男の子がちょっとしたことをさも深いことのように大げさに哲学する様子もリアル。
主人公がふたりの恋が終わったことを悟りながらも、新しい恋に目を向けることもできずに童貞をこじらせ、ズルズルといつまでも引きずっていることもリアル(実際主人公の彼のような男性、結構いると思います。)
そして結局は最後もすれ違い、再会すらできなかったとこもリアル。
でもリアルであることが即ち良い作品であるのか?
この作品は非常にリアルな展開になっていますが、それだけ。
山なし、谷なし、落ちなしです。
監督はこの作品で一体なにがしたかったのでしょうか?
主人公の彼に倣って哲学してみますが、そもそも映画というコンテンツは何かを表現したり伝えたりするためのものです。
それはエンターテイメントなのか、何かの宣伝なのか、何かの歴史やドキュメンタリーなのか、自然の美しさなのか。
そういったものがこの映画からは伝わってきませんでした。
この監督は一体何をしたかったのか
定評のある美しい風景が描きたかった?
舞台装置としてのストーリーならもっと内容のない、個性的で美しい風景を引き立たせることのできるものがあったはずです。
人物の絵の拙さもマイナスですね。
恋愛映画にしたかった?
だとすれば落第点です。たしかに非常にリアルにできているとは思いますが、それだけでなんの面白みもない展開。
結局主人公がブツブツと独白してるだけで終わっている映画ですから。こういう経験してる男性、山ほどいると思いますよ。
それをきいて面白いですかって話です。この映画の内容を身近な男性から自身の経験談としてくどくど1時間も聞かされたら「で?」と言ってしまいたくなるでしょう。
男女のリアルな恋模様を描きたかった?
だとすればまぁ成功してますね。面白いかどうかは別にして。
ただ非現実的な、輝く風景は不自然ですけどね。
ピンポイントの演出だけならともかく、背景は全編通してこだわりのある部分のようでしたから表現としては不適切かと。
何度も繰り返しますが、ふたりの関係や感情の機微などはリアルで、昔を思い出して共感できた方も多いのではないでしょうか。
たしかにリアルな描写は物語に深みを与えますが、それだけでは物語として成立しません。
料理に例えますと、リアリティだけを追求した物語は調理されていない食材のようなものです。この映画は「男女のリアルな関係」という食材をぶつ切りにして皿に盛っただけ。料理になっていないのです。
一見魚を切っただけに見えるお刺身さえ、魚を捌き、魚ごとに適した切り方をして、薬味で臭いを消したりしてようやく料理として成立しているのです。この作品はそういったことを怠った作品だと思います。
いくらこだわり抜いた食材でも、そのまま食べても美味しいとはかぎりません。
監督のやりたいことと、演出方法、ストーリーと全てがチグハグな為、作品の方向性が見えないのです。
同じ食材でも、通常作る料理によって調理方法は変わってきますが、その使い分けができなかったのですね。自分のできるやり方で皮をむき、自分のできるやり方で切っただけ。作ろうとしている料理に適しているかどうかなどはお構いなし。
だから好評価のレビューですら、「共感した」「切ない」「背景が綺麗」などの感想ばかりになるのだと思います。作品全体のレビューなのに「男女のリアルな関係」という物語の一要素のみに終始してしまっているのです。
カレーライスを食べて「お肉が美味しかった」と言っているようなものです。お肉を美味しく食べさせる為のカレーなら良いのですがね。
長くなりましたが、私としては「リアルなだけでは一本の映画作品としては成立しない」と結論付ました(それがわかっただけでも価値があるとは思いますが)
よってこの映画の評価もバットです。
光るものはあったが、それらをまとめることができていないって感じですかね。
一歩を踏み出すまでの物語
イラスト、音楽、セリフ、そして作品タイトルまで
なにからなにまで切なさで溢れている作品だなと思います。
この映画が公開された当初鬱映画だなんだと言われていたそうですが、私は全くそうは思いませんでした。
ずっと綺麗で大切で拠り所としていた明里との思い出が大人になるにつれて次第に貴樹の心を固くしてしまう。
映画ではほんの数十分で大人になるまでの時間が流れていきますが、実際はとてつもなく長い時間重く苦しい思いをしてきたんだと思います。
最終的に二人は踏切ですれ違いお互いを認識するも踏切が閉まってしまう。
しかし電車が通り再び踏切が開いたときにはもう明里はいなかった。
その二人が結ばれなかったというラストでおそらく鬱映画と言われているのでしょう。
だけど、最後の貴樹の表情を見るかぎり鬱エンドには思えませんでした。
あそこで明里とすれ違ったことで、振り返ったときに明里がいなかったことで、やっと貴樹は前に進める。
栃木まで会いに行ったときの別れ際に明里は「貴樹くんなら大丈夫」と声をかけていましたが、その言葉の通り貴樹を「大丈夫」にしたのは明里だった。
だから明里との思い出は美しいままで、すがりつくだけの過去ではなくなった。
あの踏切のシーンで、過去に執着する貴樹ではなく未来を期待する貴樹を見れてようで、すごく温かい気持ちになれました。
過去に囚われていた少年が一歩踏み出すまでの切なく優しい物語でした。
時間と距離は残酷?
ラスト、貴樹はこの先どうするのだろうと思うと、ハッピーエンドとは思えない。
不安でも拠り所がなくても前に進めといっているのか……。
何を得ていいのか分からない。
時間と距離の残酷さをどうとらえていくのか……
誰もが遊び人に堕落してしまった。
10年前に既に私は40歳かと思うと愕然だが、そんな2007年の新海誠第三作。dTVで閲覧させていただく。その後の『言の葉の庭』のほうを先に観てしまったので、その時のアニメでこんな風景描写がされるのかと言う驚きは緩和しているが、この映画も独特な雰囲気がある。桜の落ちる速度のタイトルでも、雪の舞いの速度の描写だけでも感性に触れて来る。公衆電話にISDNと書かれてある。ロードムービーになり、貴樹が明里のいる栃木県まで電車を乗り継ぎ、約束時間が遅れてしまい必死で急ぐが、時代背景がわからないが、携帯スマホは無いのかと今では思ってしまう。それがまだ無い時代からの話なのだろう。3作連作の形式でもある。主題歌が山崎まさよしの良く知られている曲である。まだ観ていないのだが、『君の名は。』の大ヒットは着々と準備されていたのだろうと思わされるのは、『言の葉の庭』でも思わされていたが、13歳で主人公の二人のキスシーンは早熟すぎて好きではないので、評価をここで落とす。惜しかった。極端に評価するので、私の評論方法はそこでアウトにするのだ。男よりも女のほうを落としてしまうのだ。これで怒るような女は程度が低いので気にも留める必要はなかろう。ただ毛布にくるまっていただけで性行為にまで至らなかったのは作者の良心だろう。それから堕胎のような話になったら新海の世界が放射能汚染の海になってしまっただろう。2話に移るが、どうでも良すぎる事だが、私も高校は弓道部だった。
貴樹のほうでも、東京から鹿児島に転校した先で憧れてくれるクラスメイトがいた。鹿児島県で会った花苗のほうが貴樹には合っていた感じがする。コンビニで種子島コーヒーパックまで出ている細かさなのに鹿児島弁が無かった。ここで携帯が出てメールが出ている。満天の星などは細かい。高校生辺りでかなり異性に対してのコンプレックスが生じる人達が出て来る難しい時期なのだろう。だいたい、そこから器用に出来ずに、30代以上までひきずってしまう人も多いし、私もそれで狂わされている人生である。それはひどい状況が続くのである。自然にやっているようで高校生から必死な状況である。だがそれで別れてしまう所に、実は不自然があるのではないか。寿命は延びながらバランスを崩している。この作品では、貴樹には花苗で十二分だったのに。ここで調べてもしまったが、だいたい明里にこだわりすぎた悲劇の予兆があるが、男性として誠実なだけなのに、それが悲劇になるのである。逆に遊び人や軽い人間だったら花苗と交際していただろう。花苗のほうも軽い人間では無かったのである。3話めで社会人となっている。心なしか雪の落ちる速度が速い感じがした。既に明里は結婚していた。貴樹と3年間交際した水野という女性は、「1000回メールし合っても心が1センチほどしか近づけなかった」とメールに残した。残り1センチに明里があった。罪は明里のほうにあるのではないのか。明里のように変わってしまう女性に思いを残しても社会が混乱してしまうだけではないのか。何人も傷ついてしまう。女性の一筋の思いをする能力の劣化が人間を壊すのではないか。そういう意味で気付かされはするが、肯定できる映画では無かった。簡単に言えばやり逃げ社会の映画となってしまった。『ニューシネマパラダイス』も同様なモチーフを持っていたと思うが、誠実なようで不誠実の固まりの映画になってしまった。水野にしたって。婚外性交や婚前性交の危険性がある。ただただ花苗がそんな事も無く、幸せになっている事だけを願いたい映画である。
「ねぇ、秒速5センチメートルなんだって」「えっ、何?」
映画「秒速5センチメートル」(新海誠監督)から。
「ねぇ、秒速5センチメートルなんだって」
「えっ、何?」「桜の落ちるスピード、秒速5センチメートル」
このインバクトのある会話が、最後までスピードを意識させる。
普段の生活であまり意識してなかった「速度」や「距離」が、
鮮明に表現できていて、驚かされた。
「たった1分がものすごく長く感じられ、
時間ははっきりとした悪意をもって、僕の上にゆっくりと流れていった」
「僕たちの前には、いまだ巨大すぎる人生が、
茫漠(ぼうばく)とした時間がどうしようもなく、横たわっていた」と
時間に関する表現があったかと思えば、
「一緒に帰らない?」「今帰り? 一緒に帰ろうよ」と、
高校生の2人が一緒に歩くスピード・距離感がたまらなく心地よい。
(時には、バイクで追っかけるスピード・距離感もあり・・)
また「今、振りかえれば、きっとあの人も振り返ると強く感じた」という
想いの強さだったりもする。
何気なくそしてどこにもあるような風景だからこそ、親近感があり、
感情移入できてしまう、最近の新海作品に注目していきたい。
これこそが新海監督の君の名は。への大きな布石の1つ!
これを最初に観た時は14歳でした。
思い出補正もあり普段使う駅も出てきていたのでそれを入れると★5以上になってしまいます。
秒速五センチメートルでは主人公貴樹と女性の心の距離をメインに描かれています。
登場する女性は3人。ですが、主人公の心の中に終始生き続ける女性が1人います。それが主人公の初恋の相手である篠原明里。
第3章までありますが、主人公の心の中には篠原明里がずっと住んでいます。そしてその思い出とともに成長していきます。
第1章では舞台は東京と栃木県岩舟駅周辺。
小学生の主人公貴樹と明里はそれぞれが転勤族で転校には慣れていた。
たまたま同じ学校で過ごすことになった2人は同じ境遇だったお互いを他のクラスメイトとは別の感情で接し合うことになる。
貴樹と初恋の相手明里の初々しい関係がこれから立ちふさがる2人の運命と共に描かれます。
恋未満の状態から、この感情は恋だったのだと確信する主人公貴樹にとって、中学に上がる直前の明里の引越しと、中2に上がる直前の自分の鹿児島への引越しは余りにも残酷過ぎた。
二人の生活する距離は離れていても心の距離だけは離れまいとする2人ですが、栃木と鹿児島は少年少女には遠過ぎたようです。
2章では明里は貴樹の回想の中でのみ登場します。貴樹はまだ明里のこと好きな模様。
3章になり大学に上がって単身東京の昔住んでいた場所の近くに戻ってくる貴樹ですが、その時点で明里とは手紙をやり取りする習慣は無くなっています。
本当に今でも好きだったら「東京に戻ってきたよ〜」とかいう手紙でも送ればいいのに、とか思うんですが、貴樹も過去は想い出としてしまっておいて新しい生活に臨もうと思ったんでしょうね。(後は、明里には明里の生活があると思って遠慮してしまったとか。)
そして就職、プログラマー/システムエンジニアとして活躍する貴樹ですが多忙な毎日に精神が日に日にすり減っていきます。
3年間付き合った彼女にもフラれ、会社を辞め、自宅で仕事をするようになった貴樹に再び現れたのは明里らしき女性でした。(てか明里。別の男性と婚約済み。)
1度、2度、3度。思い出してはもう昔の想い出だと押し殺してきた初恋の女性明里でしたが、再開した場所が最悪だった。(自分は魔の踏切と呼んでます。)
踏切ですれ違った2人ですが振り返った瞬間に電車が来てしまい(それも対向車も来たので2本連続)電車が踏切を通過した後明里はいませんでした。
貴樹は少し苦笑し、前も向き直って歩き出す。
こうしてこの作品が終わります。
最初観た時「なんだこの切なくて悲しいバッドエンドは!!」と幼いながら思いましたが何度も何十度も観ているうちにこれはこれで前向きなエンドだなと思うようになりました。何度も見てるうちに楽しくなってきました。()
結局は明里を忘れられなかった貴樹ですが、昔遊んでいた踏切周辺で一瞬だけでも再会できたってことはまた偶然会えるかもしれないですしね。
明里サイドも貴樹の事をちゃんと覚えていて、昔の大切な大切な想い出として心の奥底にしまっていました。
これはバッドエンドではなく、前向きな気持ちで終わる終わり方です。それが自分の印象です。
この作品の好きな所は幼い貴樹の心の葛藤とそれを取り巻く魅力的な女性達。
第3章での緩やかな回想台詞からエンディングへの盛り上がり方、貴樹と明里の電車に乗車する瞬間の横からの足のカットと共に流れる秒速五センチメートルの文字と山崎まさよしのone more time one more chance。そして公式のMAD。挙げればキリがありません。
ツッコミどころもいくつかありますが、観ていて絶対損はしません。
君の名は。で新海監督を知った人に絶対観て貰いたい作品です。
(君の名は。にも通じる印象的なアイテム:携帯電話、電車、恐らく2章で出てきた発射されるロケットは君の名は。の降り注ぐ隕石との対比。)
人生のスピードは?
桜の花びら 5cm/sec
ロケット運搬 5km/hr
心 1cm/1000texts
初恋の淡い思い出から、成長と共に生じる現実的なすれ違い。恋も仕事も、無意識に手の届かないような理想を追い求める人の姿と、遥か彼方へ飛んでいく宇宙ロケットとを掛け合わせているようです。止まって欲しいと願う幸せな瞬間、早く終わって欲しいと焦る待ち時間。人間の感情は時間の流れを変えます。
初恋は可愛らしいのですが、13歳の少年少女が雪の夜に納屋で一晩て…?
結局毎回、歌に合わせて作っているのか?という印象です。
絶妙な余韻の残し方
新海監督の作品初鑑賞です。
君の名は。はまだ観ておらず、こちらの作品を先に観ました。
観終わった後の感想としては、切なくて胸が張り裂けそう。
でも、お互いに人生を踏み出している。
淡くて優しい恋の物語ですね
1話目は、貴樹が雪の中明里のもとへ向かうという状況でしたが、
雪と主人公の苦しい胸の内がいい情景描写として表現されているのが印象的でした。
家族は心配しないかなぁ、とも思いましたがそれほどは出てきませんでしたね。
途中、時刻表を買うときに種子島の本がちらっと写っていましたが、伏線だったのかと後で気づきました。
2話目では、主人公が引っ越しをした先から始まりますが、花苗の叶わない恋が描かれています。ジュースを買うコンビニがいい脇役だと感じました。最後は、貴樹と同じコーヒー牛乳を買う花苗の心理とはどのようなものか、考えてみたいです。
また、貴樹の宇宙に対する夢が明確に心理描写として描かれていますね。
3話目では社会の中で葛藤する社会人の貴樹が描かれています。山崎まさよしさんのソングが絶妙なタイミングでかかるのが素晴らしいと思いました。(歌も素晴らしいです)また、やはりここでも種子島の雑誌を手に取る貴樹の姿が見られます。
心の中に秘めてきた宇宙への夢をあきらめきれない貴樹の心理が3話分を通して描かれているのだと思います。
最期踏切の場面はすごく余韻のあるものでした。
明里と思われる人と踏切ですれ違う瞬間、そして振り返る瞬間、視聴者の目は電車の奥に釘付けです。
結果として彼女はその場にはいない、という結末でしたが、二人の脳内には幼い頃に駆け回ったあの想い出が蘇ったのではないでしょうか。
そして、貴樹は歩き出して終わります。
続いていくそれぞれの人生を、少しずつ伏線を残しながら(貴樹なら宇宙への大きな夢)終わるこの余韻の残し方が絶妙だと思いました。
ただ、ひたすら美しい。
生きていく中で、会えなくなったひとが、会うことを諦めたひとが、どれだけいることだろう。
なのに、それでも、会いたいひとのどれだけいることだろう。
求めるひとの、どれだけいることだろう。
それを知っている今観たからこの作品はこんなに胸が苦しくなるんだろう。
そして新海誠監督特有の映像美がそれをまた増幅させる。空が、雲が、雪が、桜があまりにきれいで余計に哀しくなる。
劇伴も哀しくてきれい。ラストの山崎まさよしの主題歌もずるい。。
※以下、別作品「君の名は。」のネタバレあります。
「君の名は。」も会いたいけど会えない誰かがいる。その会いたい気持ちを元に、失った空白を埋めようと求め、行動して結局は埋めることができる話だけど、この作品はそれを埋められない。
2作品に共通した「失ったなにかを求め続ける」という苦しさや痛み。これは「君の名は。」を観たときにわたしを虜にして劇場に足を何度も運んだけど、そういう意味ではこの作品もすごく好き。
そしてラストに残る苦しさ、哀しさ、それゆえの美しさの余韻はやはりこの作品が大きい。また観たい。
エピソードの順を逆にしたらより完成度高いかも
最初の引き合う純粋な二人の初恋はとても素晴らしい出来であった。特に最初の桜景色からラストの雪景色につながる転換、特に列車の連結部の細やかな動きなど相変わらずの素晴らしい新海タッチに感動した。2番目の種子島のシーンも悪くないが、ある1つの片思いが描かれ、展開がやや寂しい感じがする。それに宇宙ロケットを巡る面白さはあるが何か全体が上手く調和していないと感じるのは私だけかな。3番目は初恋の人との哀しくなるすれ違いと言えようか。
スピードがキーワードであるがストーリーが私のこころの中で上手くつながらない。勝手な思いを抱いた。「順序を逆にしたら、見終わって悪い気がしないんだけどなあと…。」
新海クオリティ ソノ2
19年前の作品
桜の花びらの落下速度なんてものを気にするほどの繊細さがなければこの作品は産み出されないものなのだろうとしみじみ思う。
三部構成になっているストーリーは、それぞれが単体というより、時系列的な流れでその時々の出来事を作品毎の主人公目線でフォーカスしてみせている形になっている。だから視点の違いで感情の流れを多角的に表現演出している故、主人公の心の機微が洪水のように溢れ流れるように移入してくる。受け止めきれない程の切なさを抱えたまま、ラストストーリーへ進み、そして最後のBGMが山崎まさよし『One more time,One more chance』と共に短いカット割りで過去から遡り、現在のお互いの生活状況、特に男の子の純粋な気持ちから大人になっての疲れやさぐれた心情を映し出す印象的シーンの演出・・・ 涙腺が悲しみを押し出すように決壊していくのを食い止める術はない。 しかもこの作品、あれだけ二人の男女がすれ違いながらも小学生から大人になるまで想い続けていたのに、最後は結ばれないという哀しいオチになるところが、より一層の切なさを奏でているところが秀逸であり、フランス映画の薫りさえ漂う。
多分、『君の名は』は、アナザーストーリーかパラレルワールドとしての物語なのかもしれない。そういう意味でもこの監督の過去作品は全て繋がっている希有な制作方法なのだろう。
相変わらずのヌケの良い広大な空と光と雲のカットは言うまでもない。
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