秒速5センチメートル(2007)のレビュー・感想・評価
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思春期の‼️❓切なき想い‼️❓無くしけり‼️❓
何も引かない。
何も足さない。
ああ、こんな出逢いがあるのなら。
なんだか、新海誠の原点のような作品でした。
ただ、このアニメの海の中で浮かんでいる心地よさ。
観ながら、喜んで、哀しんで、感動する🥲🥹
心地よい涙🥲を流す。
ああ、新作が楽しみだ。
ありがとうございました😊😭
やはり切ない
過去に何度か視聴しており、ブルーレイも持っていますが、映像が綺麗になって大きいスクリーンで見れる、ということで久しぶりに映画館で見ました。
やはり、この作品の見どころは「映像美」と「ストーリーの切なさ」だと思います。
映像美という点では、動画配信サイトではいかにこの映画を綺麗に動画として投稿できるか、として、よく投稿されていたのを覚えています。
絵の精緻さという点では、やはり年月もあるからか、目を見張るというところまでは行きませんでしたが、さまざまなシーンが1枚絵として成立するくらいに、カット割りや絵が綺麗だな、と思いました。
ストーリーもやはり切ないですね。正直1話だけでも十分に短編として成り立っているわけですが、そこから2話、3話と進み、主人公が第1話のあの瞬間、あの感情をずっと引きずっている感じは、2話では切ないのですが、3話では痛々しくも感じます。最後の最後、主人公が前向きになっていたのが、唯一の救いですね。
ここまでかなりストレートに切なさが描かれる映画も今となっては珍しいかもです。新海監督の最新作も今度あるのですが、また、こんな作品を作ってほしいな、と思います。
切ない、、、
第1話
中学生ということをよく表している。見えない大きな壁があり、それを超えることは難しい。
距離が離れてからも2人の心は離れず、2人が会うところには心温まる。どんな困難であれ、乗り越えられるような気もしてくる。この先に別れることが決まっているのが辛いものがあった。
第2話
ただただ辛い。心ここに在らずの貴樹に思いを寄せる香苗。分かっていながらも一緒にいたいと思う気持ち。徹頭徹尾思いは伝えられず、離れることも出来ず青春している。見ていて辛く切ない、、、
第3話
今だなお、心の片隅にある気持ち。ただがむしゃらに進むしかなく、その気持ちすらも薄れていく。明里は新しい人生を迎えようと進んでいき、対照的に貴樹は心ここに在らずで生きていく。正解も不正解もなく、2人がくっつくことも香苗ともくっつかない。現実的は無情で奇跡なんて起こりはしない。あの時こうすれば、、、とか思っていても戻ることは出来ず、ただ進むしかない。
なんか、とても切ない気持ちになる、、、。
良い悪い、感動するしないとかそういう次元の話じゃないなあ〜ってみて...
良い悪い、感動するしないとかそういう次元の話じゃないなあ〜ってみて思った。
見る時期によっては心臓が抉られちゃう。
以下、私の考えです。
主人公はヒロインに固執(好き)しているんじゃなくてヒロインと過ごしたあの一瞬に固執していると思った。
ヒロインの存在ではなくてヒロインを好きだった時を追っているように感じた。
仮にヒロインの存在が好きだったら手紙でもメールでも出せばいいんだけど、その瞬間を求めているから宛のない手紙とかメールを書いていたんだと思うし、それこそ追いかけている物が抽象的すぎて自分でも何を求めているのかがよくわかってなくてメールを書いては保存して未送信のメールが溜まって だからこそ第2話以降から比喩として宇宙探索がでてきているのかと思った。
第3話の最後で会えたことがトリガーでやっと主人公が1歩を踏み出せてるって思った。
成長したあの子に会うことで自分を苦しめてた原因に気づくことができたと思うし、ずっと止まってた時間が進むことが出来たと思う。
比喩的に考えると人それぞれ違う時間・時計を持っていて主人公はある意味時計がずっとあの中学生のとき(ヒロインと雪世界の田園の中でキスをしたとき)から止まっていて自分が何を求めていてどうすればいいのかも分からずにさまよっていたんだと思う。それに対してヒロインは主人公との時間を過去として捉えていたから進むことが出来たと思うし、別の人と出会って結婚したのでは無いかと思う。
だからこそ最後のシーンですれ違って終わったことがハッピーエンドなのではないかと思う。
ここでまた出会ってたら死んじゃう(笑)
関係ないけど昔すごく好きだった人思い出した、そんな映画です。
エモい
今どきの言葉で言うと、まさに「エモい」映画です。
山崎まさよしの歌と映像がドンピシャにハマってます。
雪で電車が遅れる事で感じる焦燥感とか、高校時代の淡い恋など、誰もが感じた事のある感情が心に刺さります。
恋愛の儚さ
新海誠IMAX映画祭で、かなり久しぶりに鑑賞しました!
3話構成のバランスが良く、話によって様々な登場人物に感情移入してしまいます😭
心理描写が丁寧で素敵な作品ですね👏🏻✨
個人的には、第2話が1番好きです╰(*´︶`*)╯✨
綺麗な海・無限のような宇宙・空の描写がとても綺麗で、
東京から転校してきた遠野くんに片想いするものの、夢は叶わず飛行機で島を去ってしまうのが、本当に切ないです…
普段は優柔不断なのに、コンビニで遠野くんと同じコーヒー牛乳を選ぶのも悲しさがあとからこみあげてきます😭
ラストの終わり方は、山崎まさよしさんの曲が本当に似合っていて最高なエンディングだと思いました!
一度、種子島でロケットの発射を見なくては
と思わされる映画でした。
私は「天気の子」や「すずめの戸締まり」よりも好きです。というか、かなり好きな作品です。
でも、この作品を酷評する人の気持ちもよくわかります。
やはり私は好きです
まさか「秒速」をIMAXで観れる日がくるなんて思ってもいなかったです。
公開時、今はなき渋谷シネマライズに観に行きました。
その映像美や構成に凄い衝撃として残ってしまい、それをもう一度確認したくて初めて二度劇場に足を運んだ作品でもあります。
短編作品ながらも3部構成の作りは見易く、また天門の音楽も寄り添うようで実にあっていまいした。
また、どうしてもそのサウンドトラックが欲しくて、DVDも購入(サントラCDは同梱特典のみ)したものです。
そうして迎えたIMAX版。やはりというか、新海作品と実にあいます。
当時の小さなスクリーンとは別格で、リマスタリングしたかのよう。
隅々まで美しさが感じられ、冒頭の桜並木の描写からして息をのむようでした。
3部タイトルバック「One more time」の入り方は今観ても見事で、大きなスクリーンでのカットは見応えがありました。
合う合わないが分かれるストーリラインだとは思いますが、この作品やはり私は好きです。
そしていつか、「雲のむこう」も大きなスクリーンで観れますように。
若さ
これまで地上波放送や配信で観てはいましたが、スクリーンでは初。
「新海誠IMAX映画祭」にて大スクリーンで改めて。
「『NASDA』懐かしい」
「種子島最高」
などと思う一方で。
この作品の発表当時に流行りの、独白セリフで心情全て説明しちゃうタイプの作り方に時代性と、キャラの青臭さでの監督の若さを感じつつ。
心象表現に、風景描写を多用する作風はもう完成していたんだな、と再確認。
しかし、小学生の時の想いが、中学でMAXを迎え、高校時代から徐々に距離が離れていき、大人になってからの壊れっぷりは…
「SEってのは心を壊す仕事だよな」
が観終わっての一番強い感想になるのは、私の偏見によるものだろうか?
心がとろける
新海誠監督の作品は、最高の環境で見ると2倍3倍のレベルではなく、10倍増しにも感じる。冒頭の桜が舞い散る圧倒的な映像美にふさわしい言葉が浮かばない。
ストーリーは、めちゃくちゃキュンキュンくる。
第1章は、新海監督の願望じゃないの。中学生の頃、こういう恋愛がしたかったっていう。わかるわかる。こんな一晩があったら、一生別れたくないと思うもの。
第2章は、こんなクールな俺でありたい。そんな願望だよね。かわいいクラスメートが恋のサインをバンバン出しているのに、俺は女の子として見てませんから。
これもわかる。毎日自分に酔ってみたい。
第3章は、ある種のナルシズム。俺は組織の歯車として生きることができない人間だし、俺を理解できるような女はそうそういない。
これは、わからない。だから、『君の名は』は、ああなったのか。
とにかく、心がとろける作品でございました。
新海誠IMAX映画祭にて
色々経験して思うこと
2〜3年間隔で視聴してて、IMAX版を見終えての感想。
学生の頃は「なんでハッピーエンドじゃないんや!明里、結婚してるし踏切におらんのかい!」ってラストに対して思ってたけど、今見ると1話のキスシーンで恋は終わってたんやな。タカキのキスシーンでの心理描写を見てるとそう思った。
2話以降のタカキは、恋心を残しつつも「側にいて幸せにしたかった。自分にそれが出来なかったとしても幸せになってほしい。だけど、明里の人生に関わる事も見届ける事も出来ない」みたいな気持ちを引きずってたのかなーって思うと腑に落ちた。
だから、ラストで明里がいなくても追いかけたり落胆したりせず、結婚指輪をしてる姿を垣間見て安堵した表情をしたんだと。
全編通して描写されるタカキの心残りや未練のような独白が踏切以降無いのも、そういった気持ちに整理がついて先に進めたからなんかなー
(ここら辺で『奇跡がもしも起こるなら 今すぐ君に見せたい 新しい朝 これからの僕』ってところで、
ァァァア!わかる!わかるよ!幸せにしたかったけど出来なかったダメな自分も、少しはマシになったよって伝えたい気持ち!ってなった笑」
とまぁ、色々経験して見方や捉え方が変わって、タカキがより前に進んでいる様な終わり方に感じた。
今のより美麗な作品に比べると、15年経った本作は見劣りするところもあるけど、それでも魅力的な描写や演出があると改めて感じた。
良い作品。
当時劇場で観れなかった自分としては、劇場での初視聴がIMAXなのは凄く贅沢な経験をさせてもらったので、関係者には感謝したい。ありがとう!
公開から15年も経過した作品がIMAXでリバイバル上映されるって、とても良いので新作を邪魔しない頻度で実施してほしいっすね
人によって見方が違う面白い映画
三部構成で、言葉は多くなく、この映画を見る人によって感じ方は違うのではないかと思う。
考察もでていて考えさせられるし面白い。この作品は非常にロマンティックな作品だ。
この作品の魅力の1つに言葉の美しさがある。
どのセリフも深くて考えさせられる。
「どれほどのはやさで生きれば、また君に会えるのか」
桜の花びらの舞い落ちる速度から始まる美しい話だ。
遠野貴樹は過去に捕らわれ、大人びて見えるが先へ進むことができずに大人になっていく。
そんな遠野の自身の視点や周りの視点から物語が進んでいく。
14年前の作品だが映像は壮大で綺麗。音楽もピアノ基調でマッチしている。
クライマックスで流れる音楽も素晴らしい。
あまりにも鮮烈な経験を引きずる主人公(遠野貴樹)
2007年。新海誠の監督・脚本・撮影・編集・絵コンテ・演出を担当した。
63分の短編アニメーション映画。
題名の「秒速5センチメートル」は桜の花びらが舞い落ちる速度。
「桜花抄」
「コスモナウト」
「秒速5センチメートル」
の3編からなっている。
3編とも男性主人公は遠野貴樹。
貴樹は「桜花抄」では小学生から中1にかけて・・。
「コスモナウト」では種子島の高校生。
「秒速5センチメートル」では、社会人になっている。
私はやはり「桜花抄」が強烈に心に響きました。
東京の小学校で病弱で図書館好きだった遠野貴樹と篠原明里。
自然と親しくなります。
小学校卒業して栃木に親の転勤で行ってしまった明里。
半年後、明里から手紙が届いて2人は文通をするようになります。
中1の終わり。
今度は貴樹が親の転勤で鹿児島へ行くことになる。
「一生、会えなくなる!!」
そう思った貴樹は、3月4日、明里の住む栃木県岩舟駅まで向かい会う約束をするのでした。
ところが、3月4日。
その日は途中から雪降りになります。
雪は止むことなく降り積り、何度も何度も汽車は停車。
ジリジリした時間が過ぎます。
なんど乗り換えを繰り返して、なんど停車したことでしょう。
焦り・・不安・・空腹・・疲労。
やっと岩舟駅に貴樹が着いたのは真夜中の22時半ば。
明里は待っていてくれました。
ストーブの温もり、明里の笑顔、そして作ってくれたお弁当。
「もう閉めるよ!」
駅員さんの声に、待合所を出た2人は、人気のないホームでファーストキスを交わします。
13歳の明里。
13歳の貴樹。
農家の納屋で話しながら寝込み、まどろみ、翌朝一番列車で帰る貴樹。
「どうしたら俺は明里を守れるのだろう?」
未来は果てしなく遠かった。
そして2話と3話。
貴樹は「桜花抄」のあまりに鮮烈な記憶から抜け出せません。
明里以外の女性と交際しても、心を開けないのです。
3話の「秒速5センチメートル」はわずか5、6分の短編。
山崎まさよしの「ONE MORE TIME ONE MORE CHANCE 」の流れる5分間に
貴樹の現在が語られます。
鮮烈な初恋から抜け出せず、深い喪失感を引きずる貴樹。
チャンスはもう一度、来るのだろうか?
山崎まさよしの曲は、「ワン モア チャンス」と唄っている。
過去鑑賞
繊細な描写だが、くさい背景が気になる
第一話は若者の純粋で繊細な心の動きがよく描かれていて感動しました。
が、一話から三話まで常に夕焼けや満点の星空などカレンダーに描かれるような多彩な色づかいのキラキラ背景が現実ばなれというか、、、くさすぎて。。。
やりすぎな気がして終始気になりました。
ロマンチストさんにはオススメです。
四季がある国に生まれてよかった
10年以上前の映画なのに作画、特に風景描写が本当に綺麗だと思った。10代のうちに見れたことに意味があると思う、純粋な気持ちを忘れたくないし大人になってまた見返したい
生かしつつ殺すという革新的映画
この映画において、雨や雪のなかでも月が描かれており月がとても重要視されていることがみてとれた。
子供の遠野にとっては、月はとてもきれいだが、とても遠くにあるもの、つまり明里としてみていると感じた。だから、ロケットで月にいったのかは知らないが、ロケットで宇宙に行った後に遠野は飛行機で明里の近くである東京に行ったのではないかと考えた。
また、澄田が第1章の遠野を表しているため、澄田の未来は遠野の未来ともとれるのではないかと考えた。
その結果、小説にて、澄田は遠野との恋を過去の恋であったと消化し、それを夢として表現しているため、遠野も明里との恋を完全に忘れて未来へ踏み出したのではないかと考えた。
しかしここで重要視されるのがこの映画のテーマでもある、女は過去の恋愛を重要視せず、男は過去の恋愛を大事にするということだ。
つまり、1章の主人公である遠野と2章の主人公である澄田は、どちらも転校生を好きになり、乗り物が動かなくなって、その後に同じ物を味わって最後は離ればなれになる叶わぬ恋をしているなどの共通点はたくさんある。しかし、決定的に違う事象がある、それは性別だ。
つまり、遠野は男であるために、澄田のように忘れることができたのかを疑問視することができる。
2章の始めに唐突にきれいな映像が流れる。とても映像がきれいで気がつきずらいが、ここでは月と日と里を野原から明里と遠野がみている映像だ。その後、遠野と澄田が一緒にその野原に座ってみる景色は真っ暗な景色だ。つまり、遠野にとって、明里とみる景色、世界はとても美しいことを示していると感じた。
小説には振り返った時に明里がいても気にせずにいることを決心したと書かれているが、おそらくそれは嘘であろう。なぜなら、踏切が上がるのを待っているということは、会いたいという心の表れだからだ。ただ、もし明里がそこにいて、話しかけても上手くはいかなかったであろう。なぜなら、2章において遠野の分身である澄田が示しているように、思い人がいる人との恋愛は上手くいかないからだ。
あと、主人公を表す道具として電車が使われていたが、新海誠と電車で思い出したのが天気の子において、主人公が中央線を走るところだ。新海誠は電車が主人公において重要な役割を果たしていることに気がついてもらえないことを揶揄して、天気の子の主人公に中央線沿いを走らせたのかなと勝手に想像した。
そして、この映画の一番素晴らしい部分は、ヒロインを生かしながらにして殺しているのである。
通常の恋愛映画ではオチを作るために難病をもってきたり、すごくモテる人をもってきたりファンタジー的側面があったりするがこの映画にはそのようなことは無い。つまり、世間からみて大きな事件が起こっている訳ではない普通の人の人生を切り取り、映画にできてしまっているのだ。この映画では、人間は会わないのならば死んでいることと変わらないということを利用し、ヒロインをはじめにある意味半殺しにしている。これにより、恋を100%成就できないという状況でなく、99%成就できないという状況を作っているのだ。この1%が主人公の遠野を苦しめている気持を理解できるのかできないのかで、この映画の捉え方は異なるだろう。
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